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北京の大気

9月29日の朝日新聞、朝刊の「北京と四日市 秋空を仰いで」を読むと、大気汚染についての中国と日本の見解の相違が良くわかる。この秋も北京の空はさえない。日本は大気汚染という公害を克服した手本があるとして、中国に日本の公害技術を学んで欲しい。また中国の汚染が日本まで及んでいるという、被害者意識もある。

ところが中国は「日本は中国に工場進出して排出物を中国にまき散らし、収益だけちゃっかりもっていく。日本も汚染の発生源だ。」という認識らしい。また公害時代の日本も、今の中国と似たような心境で、80年代に日本の汚れた大気が北米大陸まで飛来しているということを知っている人さえあまりいなかった。

花のように仲良く咲くのは人間には難しいのかな。

花のように仲良く咲くのは、人間には難しいのかな。

人間の心理について色々勉強になることはあるが、それはさておき、大気汚染について日本がすべきことは、中国に大気汚染がどれ程健康に影響するかを丁寧に説明すべきだろう。このままいくと北京に住む人の寿命が大分縮むということも言うべきだと思う。そして日本は加害者でもあり被害者でもある立場から(中国にしても同じだろうが)公害技術を上から目線ではなく(この態度が中国が嫌う国だということはわかっているはず)同志としてすぐ適用すべきだろう。

これは「国の体面」を前面に出す問題ではない。人間として健康に生きることができるかどうかに国境はない。空気に国境がないように。

教育の役割

「静岡知事が、平成25年度全国学力テストで県内公立小学校の国語Aの成績が全国最下位だった結果を受け、成績が悪かった100校の校長名を公表したいとの意向」の記事を読んでため息が出た。今時教育の価値を点数に求めること自体時代遅れだし、文科省もそれは「校長をみせしめにするための行為」というのだったら、「最下位」という烙印を押す「県をみせしめにする」成績の公表をやめればいい。

どんなに知識を詰め込んだって、だからといって職にありつける時代でないことはもうわかっているはず。勿論知識は必要だが、あくまでそれは人間形成の一端で、今の日本の教育に必要なのは、知識をもとに自分で判断したり考えたりする力や想像力を養うこと、健全な精神のための情操教育ではないのか。

今日も暑かった。ハロン湾の風景で少しの涼を。

今日も暑かった。ハロン湾の風景で少しの涼を。

どう考えても教育の目的はどこかに行ってしまい、方向性も間違っているような気がする。「机上の学問」に終わらせないようにするためには「点数」で学校や校長先生をおいつめないで、(それはイコール子供を追い詰める)もっと子供が生きる力を身につけ、人間力がつくように多角的な視点で教育や学校を評価して欲しい。

強い女性

光るカンナの花。マララ・ユスフザイさんのよう。

光るカンナの花。マララ・ユスフザイさんのよう。

暴力に屈しない女性は文句無く強い、と思う。一般的には相手をねじ伏せる力が勝ると”強い”と言われている。男性は大体この論理に従っているが、パキスタンで武装勢力に頭を撃たれたマララ・ユスフザイさんは本当の強さとは何か、を身を持って、そして心で示してくれた。暴力に遭ってもその信念や言葉を変えない。それどころか「彼らを憎んではいません」と言い切った。

彼女の強さは「再び命を脅かされるかもしれない」という懸念よりも、信念の方を優先させたところだ。将来に対する漠然とした不安から、又は経済的理由で、自分を見失ってはいないか、信念を曲げてはいないか。16才の少女から自分のあり方に対する反省を迫られた。

福島の汚染水

ちょっとした集まりがあり、そこで講師の方が福島汚染水のことに言及された。「皆さん、もう関心が薄れたり、感覚が麻痺して『濃度が100倍』と言われても何も感じなくなっている、ということはないでしょうね。」と。正直、ドキッとした。新聞でさっと読んだが、事態はあまり良くないという感想だけでそれ以上、考えることもしなかったからだ。

暑い時には海の生き物(そろそろネタ切れ)

暑い時には海の生き物(そろそろネタ切れ)

帰宅して記事を読み直した。「2号機の海側にある井戸の地下水から国の基準の180~240倍の放射性セシウムが検出され、この4日間で100倍も上昇している」ということだった。恐いのはこれが海へも流れ出ている可能性が高いこと。東電は全てに「何でもないこと」のように言うが、余計不安が高まってしまう。福島のことを思うことは、こういう一つ一つのことにきちんと関心を持っていくこと、と反省した。

命について

6月9日朝日新聞朝刊「日曜に想う」でショッキングな記事を見つけた。インドでは高一と高三で統一テストが課され、その点数が人生を左右してしまうという。「インパクトたるや日本のセンター試験の比」ではなく、高三の結果発表の直後から自殺者が続出する、という。日本のある自殺の名所(?)の看板に書いてあるという言葉、「ちょっと待て。死ぬのは早い。まだ先だ。死んで花実の咲くものか」をそのままインドの絶望している若者にあげたい。

私は死後の魂の存在を信じているが、だからといって自殺したり、生きている時間を粗末にしていいとは全く思わない。日野原先生が「命は時間の中にある」とおっしゃったが、精一杯自分の生を生ききって、始めて安らかに向こうの世界に行けると思っている。

百草園の入り口

百草園の入り口

精一杯自分の人生を生きるということと対極にあるのが、自分と人を比べてネガティブな感情を持ったり、他人の評価をそのまま受け入れて自分の人生を決めてしまうことだろう。人生は自分で作るもの、社会の価値観なんていつどういう風に変わるかわからない。しなやかに、したたかに与えられた生を生き切ろうよ、とインドの若者に伝えたい。

お金を使って欲しいところ

先日、友達と話していたら、福島原発に入るためのロボットを作るために多くの人が一生懸命働いたが、それに対してあまりお金はおりなかったという話を聞いた。試作で作っても採用されるのはわずかで、ほとんどは無駄になるかもしれない。でも色々なことが「想定」できていたなら当然今までに、研究費として出されていなければいけない費用だ。東日本大震災の復興予算はこういう所に沢山使われるべきではないのか?

母に会いに行った帰り百草園でおそば頂きました。とてもおいしかったです。

母に会いに行った帰り百草園でおそば頂きました。とてもおいしかったです。

日本の北から南まで6時間半で結ばなくてもいいからまず、高速道路、トンネルを全部点検して補修し、安全な交通網にして欲しい。技術を追求するのは素晴らしいことだけれど、政治的には国民が本当に「一刻も早く」目的地に着きたいと願っているのだろうか?私にはそうは思えない。反対にのんびりと旅路を楽しみたい人が多い気がする。これからは先に行くことばかり考えないで、もっと足元を固めることに私達の税金を使ってほしい、と切に願うこの頃である。

橋下氏が言うべきだったこと(18才未満お断り)

橋下氏の発言が騒動を招いている。(書くには少し遅いけれど)始めの印象は男の本音が出てしまったな、という程度だった。よく考えると沖縄のことを思っているようで、実は沖縄をアメリカの植民地と考えているようなアメリカの立場に立ってしまっている。露骨に言うと、何故兵士の性欲処理のadviceをしたのか?

入りそこなった成川美術館の喫茶店

成川美術館のロビー

橋本氏の言うべきことは、沖縄に見境もなく少女を襲うような下品な、もっと言ってしまえば獣のような兵士を送り込まないで、沖縄の人や文化に敬愛を持つことができる、教養のある兵士を置いて欲しいということではなかったのか?沖縄に米軍がいることがいいかどうか、の議論はさておいて、とりあえず女性の安全を守るにはこれしかない、と私は思う。

受け入れ難いこと

福島であんなに扱いが大変なことが分かった原発を、どうしてトルコに輸出できるのか。トルコも地震が多い国ではないのか。ある新聞では「原発じり貧状態の打開策」というような記事があった。どう思ってみても私にはわからない。

自然が見せる豊かな表情

自然が見せる豊かな表情

もう一つは日本の子供の貧困率の高さである。(貧困率とは全世帯を所得順に並べ、丁度真ん中にあたる世帯が得ている所得の50%未満の所得の世帯に属する17才以下の子供の割合)特にひとり親家庭の子供の貧困率が大変高く、格差大国アメリカの48.9%を上回る57.3%。母子世帯に限っても83%の親が働いているにもかかわらず、である。ここでも正規、非正規が大きく関係してくる。OECD加盟の主要10カ国の中で、日本だけが最近20年間で子供の貧困率を上昇させ続けた唯一の国らしい。子供達は国の未来である。真剣に考えていかないと、日本は本当に滅んでしまうだろう。それでなくてもこの時代に、お腹を空かした年端のいかない子供たちが大勢いると思うと心が痛む。

どうなるんだろう、日本

北朝鮮が危ない。「ただの見せかけだろう」という人が多いが、あくまで「だろう」で誰も確実なことは言えない。その間に日本の地面は揺れる、揺れる。福島原発の汚染水問題はどうしてもっと報道しないのかしら。アメリカにいる姉の方が日本の水の汚染状況に詳しいのはどういうことだろう。厚生年金基金は9割が廃止になるとか。なんでみんな大騒ぎしないのだろう。年金のかなりの部分を占めているはずなのに。

大学通りの春

大学通りの春

ここまで問題が目白押しになると何から心配していいのか分からない。でも心配したところで手の届かない問題ばかりだ。誰か、政治に意欲のある聡明な女性が参院選に出ないかな。上野千鶴子、江川紹子、美輪明宏(女性?)、等個性的な人だと一石を投じてくれるかもしれない。市川房枝は偉かったとつくづく思う。渡辺和子さんの本に『置かれた場所で咲きなさい』というのがある。私も当分は「気功師」が置かれた場所だと思って努力するしかないと思う。

震災から二年

震災から二年。この年月は短いのか、長いのか。まだ避難者が30万人を超え行方不明者が2668人、ガレキの中に転がっている車、手つかずの様なテレビに映る風景を見ると二年は短いと思えるし、テレビやメディアの取り上げ方や寄付をする所が少なくなったのを見ると、二年という年月はもう風化をもたらすのかと感じてしまう。

小金井公園。梅が真っ盛り。

小金井公園。梅が真っ盛り。

でもこれも傍観者の見方なのだろう。被災地は今も震災の真っただ中。地震、津波、原発、風評被害の四重苦で生きる希望を失ってしまう方もいる。故郷を諦めてしまう方も多い。これからは被災地の方とアベノミクスで日本の経済が良くなったと勘違いする人達の、色々なことに対する認識の格差が大きくなるだろう。3.11を原点に日本を見直すことを忘れてしまったら、日本は方向を大きく間違ってしまうだろう、とそのことが怖い。