「ろくな死に方はしない」ってどういうことなのかな。

最近村上氏の影響のせいか、本の名前にとても長いタイトルがついてたりする。だから真似して長いタイトルにしてみた。

あの人は生きている時にひどいことばかりしたから「ろくな死に方はしない。」とか「畳の上では死ねない。」という言葉を今まで時々聞いてきた。でもよく考えると本当かな、と世俗的な観点からは思う。だって、まず救世主と言われ世界的に一番知られているイエスは、「ろくな死に方」をしたのだろうか?勿論、上の世界からは「あっぱれ」ということで天使が大勢迎えにきたと信じる。人類の生き方に大きな影響を与えたイエスの亡くなり方は例外なのか?

では、アフガニスタンで無私の貢献の上、襲撃されて殺害された中村医師の場合は?地域の皆さまに尽くして、頼りにされていたのに不条理な亡くなりかたをした鈴木医師は?また日本では長寿=幸せ=善人と思われているけど「いい人は長生きしない。」という言葉もある。矛盾してないかしら。

静かに畳の上で、長生きした上で大往生した方達は確かにお幸せな死に方だと思う。周りの方達にとっても、幸せなお別れだったことは間違いない。でも精一杯生き抜いて癌のため苦しんで25歳の若さで亡くなった遠藤和さんも、その生きざまで残された人に家族だけではなく、読者に大きな教訓を残してくれた。その教訓は生きる覚悟、死んでいく覚悟両方大事だというものだった。(私にとっては)

5年前の今頃撮った写真。白も集まると豪華。

こう考えていくと、私にとってろくな死に方とは力一杯生きた後に迎える死であり、いつか三輪さんが書いていた「私は神様の前に立った時、胸を張れる生き方」をした後の死であって、そういう生き方ができたなら孤独死でも傍目に無残な死に方でも「ろくな死に方」ではないか、と思うこの頃である。

この世だけしか信じない人と、あの世も存在し魂は生き続けると信じている人とは当然「死に方」の認識も違うんだろうことに気がついた。

 

 

 

 

 

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