三男の、はなし

私は息子が三人いて各々が個性豊かで、本当に人生を楽しませて(?)もらった。可愛くて素直で、いわゆるいい子と思っていた三男は長ずるに連れて変身し、今ではほとんど理解不能な未知数の多い大人、おじさんになった。

父が亡くなる前に父からということで、お金を振り込んだら、アメリカまでの予定を南アメリカまで足を延ばし、奥地まで行った。その後も少額だが振り込んだお金は、私からのお金は貯めてはいけないと思っているのか、全て海外旅行や投資に消えていった。母が亡くなる前に母からと思って振り込んだお金は一度取り損なった自動車の免許をとるため、富士山の合宿講習に使った。母のお葬式の日に「講習中で今帰ったら、全て取り消しになりお金も返金してくれない。」というので、私自身も母に謝りながら、皆さんには海外にいて来れないということにした。(遠くから弔問に来て下さった方、ごめんなさい。)

大人になっても白い花のような純粋で無垢な心は持ち続けたいです。

もう随分昔になるが、この三男は、東京理科大学の大学院で統計の勉強をしていた。先生は統計学のかなりの権威な先生で、ついていくのが大変だったのか自分で別に立川にある、知る人ぞ知る、統計学研究所というよう所でも勉強をしていた。そこで、名古屋大学の先生と知り合い、大学院博士課程は名古屋大学の医学部(医学統計の方)を受けちゃんと合格した。ところが名古屋大学の先生の指導の下で修士論文を書いたのがいけなかった。理科大でついていた教授の逆鱗に触れ、何と卒業三か月前に修士論文、不合格を出された。これで、名古屋大学の博士課程は合格したにもかかわらず道が閉ざされた。選択は二つに一つ、先生に謝ってもう一年、先生の指導の下、新たに論文を書くか、退学するか。本人に聞くと、「もう先生にはついていけない。」ということだった。

結構ぐずぐずしていたので、お尻を叩いて退学届けを出させ、既に就活の時期は過ぎていたので就職浪人になった。でも、何がいいかわからない。もう一年立川で勉強して実力をつけた。AIの知識も身につけた。それを武器に次年度就職し、それからはオファーもあり大きな企業を渡り歩いている。実際業績も出しているようで、社長賞も時々頂いている。この子はどうなるんだろう、と悶々とした一年がなつかしい。

今日書きたいのは、ここからで、先日三男に会った時、東大生にもAIを教えていると言うので、「よく頑張って、ここまで来たね。」と言ったら「うん。理科大の教授が知ったら、今の僕を誉めてくれるかな。」と答えた。私は、当時はコミュニケーション不足でこうなった、あなたが悪い、と本人に言ったものの、進路を閉ざされて教授を恨むだろうな、と思っていた。だからこの言葉はすごく嬉しかった。ああ、昔の素直で純粋な三男は残っていると、とても安心した。という親バカな話です。お付き合い、有難うございました。

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