月別アーカイブ: 2013年10月

銀座を楽しむ

もうすぐ長男の結婚式。朝10時から集まるので2時台には終わってしまい、遠くからいらした方達にはちょっと中途半端。せっかく銀座が会場なので帰るまでの間、楽しめるところをネットでさがした。親戚が高齢の方も多く、また小さなお子さんも来てくださるので皆さんが楽しめるところを探した。

なつかしきヴェトナムの建物。(写真とる暇がない)

なつかしきヴェトナムの建物。(今、写真とる暇がない)

まず歌舞伎座ギャラリー。口コミの評価が意外と高い。新しくなった歌舞伎座も一緒に見ることができる。次に博品館toy park。乳幼児からのおもちゃもあるしスロットカーサーキットも楽しめる。女性にはJUWEL BOX GINNZAでスワロフスキーのアクセサリーを。(見るだけでも)東京駅には東京station galleryが隣接していて、この時期は植田正治の写真を見ることができる。新しくなった東京駅は中も外も面白い。

小冊子を作ることを思いついてお嫁さん側に連絡したら、喜んでくださった。今の心配は南方で生まれた台風だけ。日本に来ないでね。

ピアノを弾いて自分をみつめる

朝早くからお出かけ下さって感謝、です。

朝早くからお出かけ下さって感謝、です。

ピアノは趣味で弾いているが、何をやっても性に合ったものには結構熱くなる私。今日は「大人の晴れ舞台」というピアノ発表会だった。練習は積んできたつもりだったが何度も間違えて自己採点は65点。大曲にしては練習不足は否めないにしても、集中力とか落ち着き、度胸も関係あるのだろう。

もっと短い曲を完璧に弾いたほうがカッコイイけれど、自滅しても長い曲を弾きたいのはどうしてだろう。隠れた自己顕示欲、どうせでるなら、のもったいない精神、よく言えばチャレンジ精神と色々考えられるけれどよくわからない。

頂いたお花。お花大好き。母にも見せたい。

頂いたお花。お花大好き。母にも見せたい。

練習で弾けていると思っても、発表会では自分で合格点を出せず、そこで気がついた弱点を注意して引き続けているとやっとまともになってくる。なんでも付け焼刃はだめなことがわかる。気功も世に出す前に小さな失敗や反省を繰り返したので、今とりあえず引っ込めなくてもすんでいる。全てのことはより良くするため、点検しながら修正しながら努力していくしかないんだな、としみじみ思う発表会の夜であった。朝早くにもかかわらず、来て下さった方、有難うございます。

優雅な一日

台風のせいで久しぶりに外出の予定のない日になった。それが嬉しくて、懇意にしている着物やさんに結局出かけたりした。そこで「いつも動き回っていて、エネルギーがある。偉い。私も刺激を受けます。」と褒めてくださったのだけれど、私からしたら、いつお客様が来てもいいように待機していて、どの方にもにこにこ顔で応対する方が余程偉いと思う。気功治療院のようなものをちゃんと出そうか、と考えていたけれど、一定の時間縛られ誰かを待つ、ということは私には出来そうにない、とヒーリングはうちで教室はスタジオを借りてという形になった。覚悟が足りないと言われればその通り、とは思う。

木のある所大好き。又山に登りたい。

木のある所大好き。又山に登りたい。

勤めていた時に或る男性から「僕は年をとったら島を買って、そこで何も煩わされることのない様な暮らをしてみたい。どう思いますか?」と言われたことがあった。今から考えると「素敵ね。私もやってみたい。」と言うことを期待されていたのかもしれない。でも私は少し考えて「三日であきるんじゃない?」と返した。忙しく会社で働いているからこそ憧れるのであって、でも現実は違うという認識は若い頃からできていた様な気がする。

今ある日常を一生懸命生きれば、つかの間の違う場面は新鮮で楽しく感じる。動には静の、静には動の刺激。とばかりも言ってられない。うちにいる時くらいは、片付けんと又年末に大変な騒ぎに。。。。。。(深い溜息)

花開く才能

今日の気功のクラスでは、瞑想の時間の前に朗読を始めて三年経ったHさんに、短めの朗読を二つして頂いた。青森出身なので津軽弁はperfectで、自分で音曲を入れた童話と民話を、東北の語り部のように上手く読んでくださり一同聞きほれた。自分が興味あることから少し歩を進めると、意外な才能が現れるいい見本になっている。方言を気にする方もいるが、Hさんの場合はそれを朗読の有効な武器にした。

厳しい世の中、力を合わせて乗り切ってほしい。

厳しい世の中、力を合わせて乗り切ってほしい。

クラスの方でピアノや声楽、お料理、芸術に夫々得意な分野があり、そこからひょっこり顔を出す才能を見つけると、嬉しくなる。もう、世に認められるとか賞をとるとかを追い求める年ではないが、この年になるまで色々見聞きしているので、いい、と思ったものはいいのだと確信している。「魂は永遠で努力して得たものは蓄積されていく」という説を信じているので、いつか才能が世に認められる日もくるだろう。

、ちょっと関心を持ったものをこつこつと掘り下げれば、何かはつかむことができるのだな、と思う。日常にヒントはいっぱい転がっている。お世辞ではなく教室に来て下さっている方は皆キラリと光るものを持っている。それは技能だけではなく、心のあり方だったりする。波長の法則(類は友を呼ぶ)は成程本当だな、と結局自画自賛して満足する日々である。

或る不安

いつもなら、不安は行動というエネルギーに変えて乗り切っている。でも最近の不安は少し種類が違う。大変な現実があるのに、みんなで見ないふりをしている様な、火事が迫っているのに「うちは大丈夫だろう。」とのん気に家にいるような。もっと汚染水に真剣に目を向けなくてもいいのか、消費税は8%になった時、現在でも増えている餓死者が増える可能性を考えなくていいのか。

そんなことを感じていたら私の気持ちにぴったり合った文を見つけた。一つは「もやい」理事長の言葉。(安部首相の「状況はコントロールされている」の発言は)現実とかけ離れているのに、あまり問題視されていない。国を信じてはいないが上手にだまされるならいい、という空気が蔓延しているように思えてならない。それは現実逃避です。

暗い話題なので光あふれる写真を。

暗い話題なので光あふれる写真を。

もう一人は今日残念なことに訃報が報じられた天野祐吉さんの言葉。「いまこの国は景気さえよくなれば、憲法を変えようが原発を再稼動させようが『ええじゃないか、ええじゃないか』の空気にあふれている。」そういえば、やなせたかしさんもも山崎豊子さんも逝ってしまった。こんな日本に愛想をつかして行っててしまったのでなければいいのだけれど。日本を見放さず、向こうの世界で見守ってくれることを祈るばかりである。

ピアノ弾きました。気功はのんびりと。

気功を習いたい、とおっしゃって下さる方が新たに男性一人、女性二人いるのでもう少し人数を増やして国立Ⅱ期、つまり四つ目の教室を作ろうかと考えていた。けれど、息子の結婚、自分のピアノの発表会、父の腰の世話と色々入り、気が乗らないうちに始める約束の10月18日がきてしまった。

花で作られた文字

花で作られた文字

今までなら宣伝しなくても何となくできてしまうグループが、今回に限り間近になってキャンセルが相つぎ、結局10月開講は断念することにした。張り紙を教室の前に出した都合、どなたかみえるといけないと思い、教室に一応いることにした。が、ただいるだけではつまらないのでグランドピアノを借りれることを思い出し、急遽お借りしてスタジオでその日約2時間弾いた。

結構覗く方が多く、「ピアノを弾いてますが気功に関しての相談、受け付けます。」くらい書いておけばよかったかなと思いつつ、なかなかいいピアノだったので気持ちよく弾けたが、外が気になる度に間違えることがわかった。

よく考えてみると、まだどの教室からも卒業生は出してないし、今の私の状態では新たに気功を教える方を増やすのは無理だ、ということに思いいたった。幸い女性二人は「のんびり待ちます」とおっしゃっているし、男性も昭島の方に入ってくれる。私も気長に、でも努力だけはして次の準備をしていくことにした。又スタジオで優雅に、今度は少し落ち着いてピアノを弾きたい。

10/27(日)武蔵小金井、北口の宮地楽器小金井ホールで、朝9時30分から始まる午前の部で「テンペスト」三楽章を演奏します。無料です。すごくお上手な方もいます。ご都合のつく方は聞きに来てください。

怖い映画の話

ある人に勧められて、怖いDVDを見た。「エクソシスト」と「オーメン」。両方評判になっただけあって、確かにおぞましく怖い。でも前と違って余裕を持って見ることができた。何故かというとある本を読んだ後だったから。

昭和記念公園の竹の芸術

昭和記念公園の竹の芸術

とても悪賢くその上世知にたけた男がいた。自分のためなら、詐欺、裏切り、殺人と何でもして、死んでから後も悪魔と取引をした。人に憑依して自殺に追い込んだり、人生を破滅させたりした。そしてとうとう地獄の最下層に落ちるのだが、そこで散々な苦しみを味わった後、「神様だけは人間の苦痛の一切を知っておられる」ことに気づき、そこから悪戦苦闘して地獄から抜け出していくという話である。

結局私がこの話で知ったのは、極悪人も悪魔も神の摂理の内にあるということ。また神は全ての人の悲しみを知っていて、どんな人でも永久に見放すとことはないということ。他の人はどう思うか知らないけれど、私は直感的にこれは信じることができると思った。怖いものの正体を見てしまった気分になり、それでも決して近寄りたくはないが、不思議と悪霊とか悪魔に対する怖さがすーっと小さくなってしまったのだった。

Inspirationと霊能力

若い頃からいわゆるInspirationを得ることがあり、時々親戚を驚かしてきた。何も考えてないのに突然「従姉妹のCが外国の人と結婚しようとしている」と脈絡もなく頭に浮かび、自分でも「何?」と思っていると叔父が相談の電話をかけてきて、出るなりそのことを言うと、「何で知ってる」と仰天させたり。長野の父が倒れたというInspirationが入った途端、義兄からそのことで電話が入ったり。従兄弟の大学受験の合否を全部当てたり。

時々雲に竜神様を見ます。

時々雲に竜神様を見ます。

だけどいわゆる霊能力ではない。決定的な違いは自分が知りたい時、或いは相談された時にInspirationを受けるということが全くできないことだ。誰かが必要だと思った時に私に教えている、ということだと感じている。一歩間違えば精神病ではないか、と心配する方もいるだろう。ご安心ください。全ての人はInspirationを受ける資質はもっています。(虫の知らせという言葉があるように)ただそのsensorが鋭敏であるかどうかだけ。

そして幸か不幸か、Inspirationはほとんどの場合、人の役にはたっても現世的な自分の利益には全く役にたたない。つまりそういう意味では羨ましがられるものではなく、ただそういう体質というだけのものですね。

気功の真面目な話

この前気功はあせらないで、と書いたけれど生徒として来て下さっている方にあせらせているのは自分かもしれない、と反省した。何事も本当に基礎がしっかりできていることが必要。邪気のありかがどこにあるか分かる前に、きちんと複式呼吸で気を出していることが大事で、それには毎日気功式やDog Breathをすること。私は台所に立った時は必ず腹式呼吸をするように心掛けた。

それでも自分の気すら感じない日が続いた。天河神社で気の柱に触れたのをきっかけに、まず自分の気の存在がわかるようになった。更に気を出す訓練を続けていたらそのうち、人の邪気のありかが分かるようになってきた。それから色々な問題を抱えた人達のヒーリングを15年程こなし、ここ5年くらいでやっと自分の気功といえるものを確立した。

秋恒例の白団扇

秋恒例の白団扇

20年と言うと長いが、その間、自分の力量に応じてヒーリングしてきたわけで、こつこつと気の力を伸ばしてきた。がっかりするかもしれないけれど気の世界では免許もゴールもない。でも他人と比べる必要もなく努力しただけのことは返ってくる世界であり、自分と周りの人に役に立つ技術なので「千里の道も一歩から」という思いで修得してほしい。

私は歩もうとしている方には、もう必要ない、と言われるまで伴走しますので、その点は安心して頂きたい。

KIRAKUの気功

KIRAKUの気功を通して感じてほしいことがある。それはまず、自然の恵み。人は文明の利器の前に太陽、空気、大地、自然がないと生きることはできない。それを体で感じて感謝するのがKIRAKUの気功といっても過言ではない。

次に人と共に生きているという自覚。当たり前ではないか、と思うだろうけれど私も含めて「私以外の人が幸せでないと、本当の自分の幸せはありえない」という感覚を真に持つのはとても難しい。ともすると「自分さえよければ」になってしまう。気功だけならともかく、更に上のレベルのヒーリングを目指そうとすると、この自覚は必要条件になる。

暑い時にはコスモスの花

暑い時にはコスモスの花

勿論、自分がしっかりして自立してないと、人様の世話どころではない。そのためにまず修得して欲しいのがKIAKUの気功法。人に個性があるように気も人それぞれで、それがどの様に力をつけてくるかは、それこそ神のみぞ知る。だから人と気の出方を比べる必要は全くない。私もまだまだ目指すものはあるので、皆さんと共に楽しみながら努力していきたい。