色々なことは、さておいて

現実の問題として、コロナ禍はまだまだ続くだろう。オリンピックにしても大会関係者は、記録よりも「三重変異」してワクチンが効かないコロナのクラスターが起きないか、そちらの方に神経を使うことになる。一日35万人感染している国からも選手始め、大勢の方がくるのかしら。大規模接種に使う予定のワクチンは「承認審査中」の米モデルナ製を使うということだけれど、はっきり言って未承認のワクチンを使うのは人体実験ではないか。どうして政治家から「もう、オリンピックは諦めて、その予算をコロナで打撃を受けたところに使いましょう。」と言う発言がどこからも出ないのか。誰かいってもいいと思うのだけれど。「人の流れを止めるのが大事」と言いながらどうして世界中から人を呼ぶのだろう。???だらけでしばし思考停止。

一番お花の綺麗な季節。コロナのことも忘れます。

両親が亡くなって三年以上経った。毎日お参りしているせいか、まだ相続の後始末をしているせいか、両親のことを思わない日はない。そして自分でも思わぬことに、年々両親に対する想いがかわってきた。どう変わったかと言うと、なくなってすぐの時は後始末のあまりの大変さに恨みつらみがかなりあったが、一年ほど前から、やはり両親は社会の厳しさや、いわゆる世間の荒波から一生懸命守ってくれていたのだ、ということがやっとわかってきた。要するに亡くなってからも甘えていたのだろう。私の不満や嘆き、怒りなど負の感情が向こうの世界にいる両親に、どんな影響を及ぼしただろうかと思うと冷や汗がでる。

人は(私だけかもしれないけれど)なんて勝手な生き物なのだろう。目先の損得は勘定できても、包まれた大きな愛はなかなか理解できない。二人を偶像化するつもりはないけれど、少なくとも社会や世間で私より様々な経験をして、嫌な部分、しんどい所はなるべく見せないようにしていた感がある。多分、期待した姉より私の方にそういう傾向があった。

父はその世代が皆そうであったように、お金をきちんと稼ぐことが家族への義務であり愛であった。母は母性本能そのままに愛してくれた。嫌であったことは遠のき、魂の純粋な核心の部分に最近触れられていると感じる。だからコロナ禍でも落ち込むことなく生きていける。まあ、ニュースを見てもコロナどこ吹く風の人も多く、私も慣れてしまっただけかもしれない。それでも両親、ご先祖様に感謝の気持ちを抱くと心が穏やかに癒されていく。

 

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