感謝!!!

両親の最晩年、力になって下さったのは、両親の一番近くいた人達でした。父の場合、昨年の二月まで練馬の家で一人で暮らしたので、ケアマネさん、ヘルパーさん、介護施設のトップの方、リハビリで知り合った面倒見のいい男性、お弁当を毎日届けながら様子を見てくださったワタミの方。実家まではここから車でも電車でも一時間半、買い物したり、環八が混んでいると二時間かかるので、何度家に電話かけても出ない時や、どうも調子の悪そうな時はお願いして、よく見に行って頂きました。

母は国立で三年以上お世話になった介護施設、損保ラヴィーレで、多分近年になく幸せな生活を送ったと思います。三度三度のおいしい食事、お気に入りの男性介護士、母を慕ってくれた女性の介護士、しっかりと組織を管理し、母を見守り、いつも病院に付き添って励ましてくれて、本当に頼りにさせて頂いた女性の施設長。そして二人共、最後は武蔵小金井の桜町病院で温かい先生と看護士さん達にお世話していただいて安らかに旅立ちました。

勿論、親戚や友達もとても心配してくれて、理事長や病院長の身でありながら豊橋からお見舞いに来てくれた従姉妹や従兄弟、二人入院して(最初は別の病院だったので)あっちとこっちで困っていたら、「今日は私が伯母ちゃまの所に行くから」と良く申し出てくれて助けてくれた従姉妹、何を優先しても子供も連れて見舞いに来てくれたお嫁さん、母の延命を一生懸命祈ってくれた叔母、わざわざクラスが終わってからお見舞いしてくれた友達、数え上げれば感謝する方達はきりがありません。大勢のお見舞いの方達を見て、こんなに大切に思ってくれているんだと本当に嬉しくなりました。

見慣れた立川の街。「いつの日かこの世に別れるその日、遥かに見下ろす立川の赤い橋」

今回特に感じたのは、血が繫がっていなくて家族でも親戚でもなく、あくまで仕事の中でのお付き合いであるはずなのですが、毎日、施設ではすぐ側にいてやさしくして下さったり、病院ではもう何も病人にすることがなくなっても、温かい眼差しを送ってくださることが、どんなに病人や家族にとって力になり励まされ癒されるか、ということでした。

正直、冷たいな感じ悪いな、と思う他の病院の階もありました。そんな時は、家にいてもいつも心配でした。二人の最晩年、周りにいた方達が心ある方達で本当に幸せでした。母の四十九日も済ませ、思い返せば私だけではどうにもならなかった、と思うことばかりです。

この場を借りて、心からお礼申し上げます。明日、三月からは気持ち新たに、また、気功師とピアノ、スピリチュアリズムの勉強に全力を注いでいきます。

 

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