3.11に思う

うちの近くの一本松。

うちの近くの一本松。

あの3.11から3年。私の中では「もう」と思うけれど被災した方達はどうだろう。「莫大な義援金はどうなってしまったのだろう」と思っていたけれど、新聞を見て唖然とした。義援金ではないが「巨額の復興予算が使い切れず、積み上がっている」と出ていたからだ。その一方で、災害公営住宅は岩手、宮城、福島でいずれも計画戸数の一割以下しかできていなくて、入居できるようになった戸数は岩手は計画の8%、宮城と福島はたったの2%。「震災関連死」は3県で2973人。又プレハブ仮設住宅に住む人は約10万人にものぼる。お金を使い切れない背景の一つが自治体のマンパワー不足、というのだからもっと驚いてしまう。就職に困っている若者がこんなにたくさんいるのに。。。

きちんとした衣食住は日本では当然の権利であり、せめて気持ちのよい住宅に落ち着けることが再起を促すと思うのだけれど、テレビで見るプレハブ住宅の狭さでは、震災関連死が増えても当然だと思う。「少しの間」我慢する所ではないのだろうか。地方は都会の便利さと引き換えに、土地でも家でも広々とした住環境があったはずだから、あれでは余計こたえるだろう。

マンパワー不足なら、問題ごとに組織を立ち上げて住民に解決策を見出してもらえばよい。そのための資金はお金を使い切れない自治体が払うべきだ。また「弱い者の味方」であるはずの党は、今が出番のはずなのだけれど。。。理論だけでは説得力がない。具体策を提言してほしい。

震災や原発の問題で感じるのは、根本的なところで「誰も責任を取る」人はいなくていいのか、ということだ。原発廃絶を訴えた菅さんは辞めざるをえなくなってしまった。それで終わり?賠償問題は裁判になるけれど、震災関連死を入れて三万人近い方が亡くなり、その何倍もの人が生活に困っていて、お金だけの問題、想定外で片付けてしまっていいのだろうか?

少なくとも原発も誰がどういう思いで進めたのか、政治家は何を考えたのか、そこら辺のところもきちんと検証し、私達も理解しないと、又とんでもない間違いを起こしてしまうだろう。福島のことは過去ではなく、これからの日本を、私達の生活を考える上で、なくてはならない事実なのだ。

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