年をとるということー父の話

よく母の話はしてきたが、今日は父のことを書こうと思う。所謂、勉強の頭はすごく良くて、エリートコースを歩んできた。母が倒れて施設に入っても、人付き合いが嫌いなのと家フェチなところがあり、90を過ぎても一人で暮らし、とうとう95になった。すごく良いヘルパーさんやケアマネさんに恵まれて、又ワタミの宅配を利用していて必ず声をかけてくれるので、私は月二回ほど顔を出すだけで何とかまわっていた。

部屋から見る冬の庭

部屋から見る冬の庭

ところが、去年あたりから少しおかしくなってきた。「来い。話がある。」と言うので行くと「あんた、何しにきた?」と言う。決して近い距離ではないので、がっくりくる。今年になるともっとひどくなり、昼に行っても雨戸は閉めっ放しで、大声で起こすと「なんで明け方に来た?」と言われる。

法事の時の引き物を始め、色々なものを豊橋の会館に頼む時、「費用は父が出すので、父の名で。」と言ったのだが「いえ、頼んだ方のお名前で。」と言われ自分の名前を書いたのだが、これが騒動の元になった。会館使用料や引き物やお食事の合計された請求書が父に届いた日から、(その日までに既に支払って、父にも報告をしていたのだが)20万円以上の買い物を私がして、その請求書が自分にきたと思いこんだ。毎日電話が二回ずつ入り、「あんたな~、二月一日付けで請求書が来ているけど」と始まる。いちから説明して、「ほ~、そうか。」で一度きる。そして寝る。起きると又その請求書が目に入る。寝る前のことはきれいに忘れている。そこで、腹が立ってすぐに電話する。宅電がかからなければ、携帯にする。「あんたな~、二月一日付けの」が始まる。

五日間続いて、もともとラテン気質のところがある私はきれた。「ちょっと、わかったなら、今すぐその請求書捨てて!」と怒鳴った。返す刀で、請求書発行元の会館にも電話して、父名義の領収書をすぐ送ってもらうよう頼んだ。私の大声に恐れをなしたのか、その日から電話はかかってこなくなった。送られてきた自分宛の領収書で安心したのだろう、顔を合わせてもその話はなくなった。(to be continued)

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