もう一つの法事

父方の祖母は酉年で、前回書いた母方の祖母も酉年だった。一回り父方の祖母の方が年上だが。。。母方の祖母が亡くなった次の年の2月に父方の祖母も亡くなった。今時、33回忌をするのは珍しいと思うが、祖母が亡くなった時代は普通だった。少なくとも豊橋では。私が思うに、自分は33回忌まではしてくれると思って亡くなったのに、時代の流れとかでしません、というのも、ひょっとして納得できないのではないかと思い、できるうちにと父方の祖母の法事も1月28日に執り行って頂いた。

母のしてきたことをするのだが、何しろ始めてなので右往左往した。親戚の方からも大分助けていただいた。途中、写真がいるとわかり、わざわざ豊橋のうちまで捜しに行った。写真は何となくぼけていて、周りの紙も染みがあり、そのまま使えそうになかったので取りあえず100円ショツプで写真立てを買い差し替えて、うちに古い写真立てを持ってきた。捨てるつもりだったが、なかなかしっかりしていて、それに何となく祖母の魂が入っているような気がしてガラスは磨き、台紙も差し替えると思いがけなく立派になった。

頂いた花をいじってみました。祖母に捧げます。

頂いた花をいじってみました。祖母に捧げます。

当日そこに祖母の写真を入れてもらい、祭壇に置いた。お焼香の時ふと見ると、あれれ、ぼけていたはずの写真が立体的に見えて、しかも随分と若返っている。会社を切り盛りしていた祖母らしく、きりりとした面影で、すごく美人。用意の忙しさで目もおかしくなったか、と後で他の方に聞いてみると、「本当にいい写真、若く写っていた。毅然としていておばあちゃまらしい。」と言って下さる。???昔の技術で近くから見るとぼけていても、遠くから見ると立体的に見えるようになっているのかしら、とか、ひょっとして法事を行なった会館で写真を預かっている間、細工をしてくれたのかしら、今の技術はすごいから、とか思ったけれど、祖母の昔の面影を知るはずもなく、そんなことまで無断でするわけがない。

やっぱり祖母は喜んでくれたのだろう、と思う。当分これでうちの法要も最後と思い、一生懸命やった。その前の週は豊橋でも雪が降って、お墓に行くのは無理かなと心配したのだけれど、当日は晴天でそんなに寒くもなかったので、お墓できちんと法要できた。それに私より年上の方が何人もいらしたので、風邪やインフルエンザで欠席もありうると思っていたのだけれど、全員揃って出席して下さった。おばあちゃまやご先祖様が応援してくれたのだろう。

こういうことはどんどん廃れていきそうだけれど、やらないからいけない、ということではなくて、亡くなった方達や親戚やご縁のある人達と旧交を温めるという機会、という意味では、すごく良く出来た日本の習慣だと思う。二つの法事、参加して、やって良かった。私の時も23回忌位まではお願いしておきたい。その後は願わくば、高級霊となって皆様をお見守りしたいです。

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