月別アーカイブ: 2018年3月

人との縁(まだ結婚しない子供達へ)

スピリチュアリズムを学んでいるが、その中に「波長の法則」というのがある。人は自分の心のあり方が、出会う人や出来事を決めている、という法則。熱愛して結婚しても、「こんなはずではなかった」と別れていくことがある。親に勧められたお見合いで、(今時そういうのは珍しいけれど)始めはそんなに好きでもなかったのに、ずっと連れ添う夫婦もいる。出会った時の波長が低くて同じような波長の人と結婚してしまっても、お互いに霊格、人格を高めていければそれは素晴らしいと思う。

しかし、どちらかだけが高くなってしまったら、どうしてもお互い、居心地の悪さというものが出てくる。今だからこそ、自分の心の状態に気をつけるが、若い時はそんなことは思いもしなかった。本当の意味で添い遂げるのは、とても難しい。女性が「お金のため、生活のため」我慢して一緒にいることも多々ある。

うちの近くの夕焼け空。

だから、出会った時の自分の波長を慎重に分析することが必要だが、例えば結婚に関しては「何故自分は結婚したいのか?」という動機も内観しておいた方がいい。というのも自分の経験から、夫婦が同じ目標を持ち、大事なところで同じ考えを持つと力が倍増するが、そうでないと非常にやりにくくなるからだ。

でも、まあ、概して男女の結びつきは相手をしっかり見ないで、自分の幻想の中で作り上げた相手に勝手に惚れ込む、ことから始まるのではないかな、という夢のない意地悪ばあさん的なことを言って締めくくります。でも、真剣に真面目に考えた結婚なら、それだけのことはあるでしょう、という希望的な観測も付け加えて。

アメリカからのお客様(2)

豊橋二日目の午後は、名古屋の徳川美術館に連れて行った。名古屋から周遊バスがあったけれど、金山から乗り換えて大曽根駅で降りた方が一時間近く早く着く計算になった。裏の日本的な小道を通って表に出ると、そこには満開の桜が!!!今日、豊橋の親戚のKさんが、「早咲きの河津桜」と教えてくださった。ああ、今回は桜には早すぎた、と思っていたので見せることができて、とても嬉しかった。何本も華麗に咲いていた。

去年撮った写真。雲の形に魅力を感じました。

特別展で享保、寛永のお雛様や有職雛のお雛様、みたことがないようなユニークなお雛様が並び、美術の先生をしているお嫁さんが、すごく興味を持ってくれたので、「お雛様」の歌から、これがぼんぼり、雌雛、雄雛、三人官女、五人囃子、ガードマン(?)と説明していったら、一番下の男の人達は何をしているのか?と聞かれ少し返事に困ってしまった。お盆を持っている人形は食べ物をserveする人、他の人はcleaninng(掃除)する人達かも、といっておいた。

彼女は「どんぐりころころ」を日本語で上手に歌ってくれた。日本の童謡が子供にいいと思ったみたいで、まだ他の歌も覚えたいようだ。こんなお母さんなら、Mちゃんもいい子に育つだろう。日本を気に入ってくれて結婚してから三度目の来日だけれど、かえって外国の方から日本のいい所に気づかされる。こういう文化的交流を色々なところで積み重ねていくのが、結局、平和への近道なのだろう。まさかアメリカ人の親戚を持つとは夢にも思わなかったが、もう世界の垣根が実際には大分取り払われているということだろう。今回はお嫁さんと沢山お話できて、距離が縮まるという収穫があった。

 

アメリカからのお客様(1)

アメリカから甥っ子家族が遊びにきた。私の姉の一人っ子で、お嫁さんはアメリカ人、子供は一才半の男の子一人。甥は両親が日本人なので、血は日本人だが、アメリカ生まれのアメリカ育ち。彼のお父さん、つまり私の姉の配偶者も一人っ子だったので、叔母は私しかいない。従兄弟も私の子供達だけなので、姉がアメリカから彼を連れてきたり、私の両親が子供達をアメリカに連れて行ったりして何となく会わせていた。

御殿場の「時のすみか」というリゾート地では、夜の噴水ショーや素晴らしい富士山を楽しんだ。ホテルの窓から大きな富士山全体を見ることができて、とても私も幸せだった。豊橋では残念ながら二日とも雨だったけれど、一日目は「のんほい豊橋自然動植物園」に二日目は「徳川美術館」に連れていった。動物園は正直、全く期待していなかったけれど、行って見ると広くて驚いた。雨でどうかなと思ったが、植物園、展望塔、北極圏の動物達、恐竜の実物大のレプリカが沢山置いてある自然史博物館と雨でも屋根のある所が色々あり、12時半過ぎに入って閉演の4時半までいても見たりない程だった。両親が豊橋出身で、小さい頃から豊橋に行っていたのに、私は初めて行った!生きていたら、何故連れて行ってくれなかったのか、と確実に文句を言ったと思う。

今まで大勢の方がお参りして下さいました。

二日目はアピタというスーパーで、たこ焼きを食べた。(揚げてなくて焼いただけの、中がとろっとした人気のもの)これは一才半のMちゃんがぱくぱくと四個も食べた。内訳は10個のうち、Mが4個、甥が3個プラスMの食べれないタコを四個分、奥さんは恐る恐る一つだけ、私は二個だけ。これは言ってみれば十時のおやつのようなものだけれど、こんなことを覚えている私はひょっとして浅ましい?のかしら。実はここのたこ焼き、好きなのです。

その後スーパーからすぐ近くのお墓へ、お参りに歩いて行った。いつも車で行くので方向ど音痴な私は、入り口から、こんなに歩いたかしら、ここで迷ってお墓がみつからなかったらアメリカ人と幼児を雨の中連れて笑い事ではすまない、とどきどきした。無事みつけました。きっと私よりご先祖様や両親の方が、ちゃんと来れるか心配したと思います。導いて下さって有難うございました。(To be continued)

 

 

 

納骨の話ー母の場合ー

この前も書いたけれど、1月6日に母が亡くなり、1月20日に伯母が亡くなった。そして母の49日の法要を2月25日、豊橋で行なった。この時は伯母のお葬式に参列したので、どうして骨壷がお墓に入らないか謎がとけていた。名古屋方面では、荼毘にふしたお骨を全部を骨壷に入れないで、大事な(と思われている)お骨を三つに分けて、それぞれ小さな骨壷に入れる。一つ一つは手のひらサイズ。この大きさだと、うちのお墓にも余裕で入る。

わかっていたので、今度は布にお骨を包んだ状態でお墓に入れようと始めから思っていた。ところが。。。今度はなんとその布がない。いきなりお骨が入っている状態。住職も慌てられて、「どなたか小さな風呂敷を持っていませんか?」と声をかけた。実は家を出る時、ハンカチが気になり、迷った末、小さめのを持ってきてしまったので、困った、と思った時、名古屋から来てくれていた従姉妹が「これでいいですか?」と花柄の綺麗な小さめの風呂敷を出してくださった。「それで大丈夫でしょう。」と住職も安堵の色を浮かべられ、丁度お骨も収まって、事なきを得た。風呂敷を下さった方も、「叔母さま、おしゃれだったから、白い布よりこちらの方が良かったのね。」と言ってくれた。

「風呂敷、帰ったら見つけてお返ししますね。」と言ったら、「あれは通販の物を頼んだ時、サービスでついてきたものだから、気にしないでね。」と気を遣って下さったので、では、法要の時に出したお菓子を美味しい!と言ってくれたので、それと、紅茶をセットにしてお返しとすることにした。

菜の花の咲く季節になりました。人がいなくなっても季節は巡ります。

東京に戻って、早速まず、紅茶専門店に行った。ぐるりと見ていると、そこに丁度、頂いたのと同じ大きさの和柄の風呂敷が!!!このお店で始めて見た。「えっ、何故ここにこんな物が置いてあるんですか?」と聞くと「そうなんです。季節限定で今だけです。」というお返事。あっ、母だ、母が「ちゃんとお返ししなさい。」と言ってる、そう確信した。それにしても紅茶と言うと、明らかに洋のもの。そこに和柄の風呂敷が置いてあるなんて誰が想像するだろう。最後まで母らしい演出の様な気がして、寂しいはずの49日が思い出深いものに変わった。

納骨の話ー父の場合ー

今回、両親を送ったことで始めてわかったことがあった。生生しいことが嫌いな方は、ここから先は読まないで頂きたい。何かというと、東京と豊橋、多分名古屋も豊橋と一緒なのだが、骨壷の大きさが全く違うということだ。父の時にどのくらいの大きさを希望するか聞かれて、「普通はどのくらいですか?」と聞いたら、八寸、ということだった。お寺に問い合わせると、いや~、それは大きい、六寸でいいでしょうと言われ、その大きさにした。一番小さなサイズだった。

ところが、納骨の時に、それでも骨壷が大きすぎてお墓にどうやっても入らない。六寸でいいでしょう、とおっしゃったお坊さんは困ってしまって、「ではお骨を包んでいた布ごと入れればいいでしょう。早く土に帰る。骨壷は私が持って帰ります。」ということになり、無事納骨を済ませた。

豊橋市の市が管理している墓地は、管理料が無料でとてもあり難い。うちはかなり広い土地にお墓が五つ建っていた。お墓参りの時、一基にお花を入れる所が二つずつあるのでかなりのお花を用意しなければならず、お花代だけで三千円軽く超えてしまう。両親は「私達のために」なるべくお墓をまとめる、と言ってくれていた。

仏壇の前の様子。華やかにしている。

ある時、とても大事なことがあるから、なるべく皆で豊橋に来るように言われた。子供は一人しか行けなかったけれど、とにかく行くと、お墓に連れて行かれた。見ると、五基のご先祖様の隣にいやに立派な六つ目のお墓が建っていて、私は本当にびっくりしてしまった。「この新しいのだけにして、後はまとめるの?」と聞くと「そんな罰当たりなことはしない。このお墓に私達以降の人は、全部入ることにした。」と勝手に決めている。え~っ、話が全然違うと言うと、「だから大きなお墓にした。」という。

それでも一体幾つ骨壷が並べられるのだろう、と危惧したけれど、布で包むだけだったらかなり入る訳よね。そのつもりだったのか、聞きそびれたのは残念だった。冒頭でなまなましい話と書いたけれど、納骨の話だから、カサカサした話でした。訂正します。