よく言われることだが、多くの国が自然を「征服すべきもの」とらえる中、日本人は自然の中に神を感じ、敬い共生していく方法をとってきた。幼い頃は中国山脈のなだらかな山で遊び、瀬戸内海の海の幸を堪能し海水浴を楽しんだ。春夏秋冬を当たり前のように体験し感じてきた。季節は体全体で感じるもので、特に空気が運んでくる匂いや植物や動物の気配も印象的だった。
いつからだろう、季節を温度でしか捉えられなくなってしまったのは。確かに梅、桜、朝顔、ひまわり、公園の広大なポピー、コスモス、虫の声が季節を伝えてくれるが、春になってもあの大地の喜びの様なふくよかな春風は感じない。秋になってもあの厳しくて透徹した大気はない。ただの感傷だろうか。平和を絵にしたような、あの頃の日本の自然にもう一度抱かれてみたい。