社会情勢についての雑感(2)

この前から今日までに、ますます世界はキナ臭くなった。やられたらやり返す、より強い武力や権力を持ったものが弱者を容赦なく押しつぶす。(政府が沖縄に対してしていることも大して変わりないように感じる)本当は宗教とか哲学はこのような、実は人が持っている野獣性をコントロールするものとして出てきたのではないだろうか?「憎しみからは何も生まれない」とおっしゃった後藤さんのお母様の深い言葉を大事にしたい。

旧ソウル駅の夜の風景

旧ソウル駅の夜の風景

どう考えても今の風潮は、経済やお金が「どう生きるか」を決める要素になっていて本末転倒の様な気がする。本当は「どう生きるか、どういう社会にするか」が経済やお金を動かすのではないのだろうか?お金がないから年金を減らし、介護も手薄にして税金を上げたら殺伐とした社会にならないだろうか?武器を作って売ることは、それがどの様に変化して「積極的平和」に繫がるのだろう。「風が吹いたら桶屋が儲かる」的なことならそこをきちんと説明して欲しい。怖いのは大して国民的な議論もなく、いつの間にか殺人に手を貸す国になってしまったことだ。

毎日毎日、日本でも理由なき殺人のニュース。「吉信ちゃん事件」でショックを受けていた頃がなつかしい。「人生の目的は何かを成し遂げることではない。生き抜くことである」と知ってよかった。どんな状況であろうと、自分が置かれたところで精一杯、心の中の良心(或いは神ともいう)の声に従って生きていこう、と決心は余計固くなった。

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