責任の範囲

うちにヒーリングに来た方との話。原発の話になると、「うちの主人の会社も関係しているみたいで。。。」と言っている。「でもやっぱり原発は怖いと思う。」と言うので「実際に原発開発に携わった方でも、事故が起きて『これはやはり人間の手に負えるものではない。』と反対している人たちがいるので、会社に自分の意見を縛られることないんじゃない?」と言ったものの「責任の範囲」ということについて考えた。

雪はうちの樋(とい)を壊して去っていきました。(涙)免責10万で補償も出ず。(もう一度涙)

雪はうちの樋(とい)を壊して去っていきました。(涙)免責10万で補償も出ず。(もう一度涙)

例えば、今ひたすら危ない方に進もうとしている政権について、自分は与党に投票していなくても、日本人である「自分達」が選んだ政権だから、政策には自分にも責任がある、と思わなくてはいけないのか、或いは主義主張が全く違うので、自分には接点がないと思っていいのか?例えば汚染水をだだもれにして世界の海を汚したら、世界は政治家や東電の幹部の名を挙げて非難しないで「日本」はなんということをしてくれたのか?と怒るだろう。とすれば「日本」の中には「私」も含まれるわけだ。

考えてみたら戦争もしかり。戦争で莫大な利益をあげる人も戦争反対した人も、一つの「国家」の中に押し込まれ、戦わなくてはいけない。無駄な命の消費の次に不条理なことがこの国による個人の消滅だと思う。「責任の範囲」というのは実はこれ程あやふやなものなのだ。

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