月別アーカイブ: 2019年5月

何がいけないのか?

最近、子どもが犠牲になる事件が多い。川崎登戸は、私がどこに行くにも良く使う南線沿線で、通る度に思いだすことになるだろう。

小学校六年生の女の子とお若い外務省職員のご冥福を心からお祈り申しあげます。

犯人は自殺してしまったので、余計やりきれない事件になってしまった。「死にたいなら、子どもや他の人を巻き添えにしないで、一人で死んでくれればいい。」というコメントに対し、「それでは解決にならない。」というコメントもあったようだ。

いわゆる「拡大自殺」というもので、自殺したいのだけれど、それでは自分の気がすまない、或いは他人を巻き込むことで自殺の寂しさをまぎらわすという心理のようだ。勿論許されることではない。しかし現実的には、なぜこういう人になってしまったか、という分析なしには次から次へと同じ様な事件が起きることは間違いない。

一番には、自分の未来に希望が見出せないことだろう。そして、この事件を考えていた時に、私が勉強しているスピリチュアリズムのH氏が作った2017年5/31日の日めくりカレンダーを見たら、「問題を起こす子を怖いと思うかもしれないけれど、その子たちは『空き家』なんです。住人は誰?『愛』という住人がいないから、空き家なんです。」という文章が目について、唸ってしまった。どうして唸ったか?

やはり例外なく、犯人もそうだったのだろう(だから許されるとは言ってません)という気持ちと、いつもそうなのだけれど、どうして考えていることのヒントになる言葉をタイミングよく投げてくれるんだろう、という驚きの唸りだ。

ということは、日本人を取り巻く環境が「愛」を与えられないのではないだろうか?一緒に暮らしていた親戚、という狭い範囲ではなく(大変彼を心配なさっていたようです)モノ、金、権力で人を判断することになってしまってないか?それは息苦しさと自己を認められない寂しさ、だけを若者に感じさせないだろうか?

子どもを巻き込んだ多発する事件は、ヨセフやマリアと子どもであるイエスの犠牲に見える。イエスは人の、自分だけを愛する心ではだめだ、という教訓を残してくれた。心を大事にする社会でなければ、人として恥ずかしいと思う。経済的に行き詰まりが見えてきた現代こそ、教育も生き方も考え直すチャンスかもしれない。

誤解なきよう書いておきますが、スピリチュアリズムを勉強し始めて不思議なことは幾つもありましたが、いわゆる「ご利益」を金銭的に頂いたことは一度もありません。ただ、「気づき」という「ご利益」は沢山いただきました。(宗教とは思っていません。)

時間がないので、写真は後日入れます。

 

ここたのナイト

前の記事で「あ・お・い・お・に」で「お」は怒るなという意味と書いたけれど、実は現代は相手のことを思って怒ることは、とても難しい時代になった。どうしてか?一つは、エネルギーが要る。もう一つは言ったことにより、人間関係が悪くなる可能性がある。人は「いい人仮面」をしている方が楽なのだ。

「Love & Anger」という言葉を、国際キリスト教大学公開心理学教室にて学んだ。子供の躾にも重要な言葉で「愛ある怒り」とでも言おうか、要するに愛を持って理性的に怒ることが大事ということ。今は大分直ってきたけれど、ラテン系気質がある私には心に留め置かなければいけない話だ。

図書館前の風景。花と手入れして下さる方のお気持ちも素敵

さて、第三土曜日の7時から国立市谷保の団地内にある「ここたの」という喫茶店で、一芸を披露したり、鑑賞できたりする催しがある。席料はデザートと飲み物の700円から簡単な食事までのオーダー料だけ。一芸は詩の朗読や政治に対する意見、歌、楽器、紙芝居、随筆的なものの発表、マジック、と何でもいい。時々顔を出していて、18日には久しぶりに行ってきた。

嬉しかったのは常連さんが、ちゃんと来ていてしっかり頑張っていたこと。本当に久しぶりだったので、すっかり入れ替わってしまったかなと思ったけれど、続けて発表していることはすごい。星野道夫に関する本とその人なりの紹介、「美味しんぼ」の作者、雁屋哲の現代に対する鋭い批判の紹介、「もう一人の自分」を意識した詩と「友人」の定義について、篠笛、ちょっとブラックな紙芝居、私の「夢路より」(アハハ、いい度胸)。

星野さんからのメッセージを聞いて思ったのは、人の、自然に対する傲慢さに対する警告。雁屋さんの現代人批判ももっともだった。人間の不幸は執着、自己防衛本能を優先し、自分の良心を無視した迎合、利己主義を源としている、と私も思う。やはり現代の諸々の危うさは、人のこういう心が生み出しているのではないだろうか?

今日はとても暑かった。本当に「地球」という船が沈みそうなのに、中で関税とかの覇権争いしている場合ではないよね。謙虚になって、科学の粋を集めて、まずこの気象異常を何とかしなければ。5月が、風薫る時期だったのは昔の話。今日の太陽に、地球に対する敵意さえ感じました。

 

怒るが負け

今回のGWは長いなと思っていたが、孫の世話、空き家になっている実家の私道の話し合い、スピリチュアリズムの勉強のため千葉へ、とどたばたしているうちにあっという間におわってしまった。久しぶりに友達三人と会って話ができた日が一日だけあった。

GW一日目に、孫二人と三男と浅草花やしきに遊びにいった。お天気があまりよくなかったせいか、そんなに混んでいなくて次々と乗り物に乗せることができた。最後には疲れたのか、一台持っていったベビーカーの取り合いになり大喧嘩が始まった。するとそれまで、やさしく付き合っていた三男が怒った、というかきれた。

すると余計ぎゃーぎゃー二人で泣いて、収拾がつかなくなってきた。「眠くなってきたのだからしょうがないのよ。」と三男をなだめて何とか帰途についた。三男は憮然としている。子ども達は一人はベビーカーで、もう一人は腕の中で寝てしまった。

電車の中で目を覚ました子供達は怒られる前と同じ様子で、「叔父さん、叔父さん」となついている。三男は、というと何となく照れている。それを見て、「はい、怒ったあなたの負け。」と思った。

図書館の花、誰に向かって咲く♪

社会学者の方が新聞の記事で、祖母に言われた話として書いていたことを思い出した。(違っていたら失礼します。)おばあさんは「青い鬼」はダメダとその方に言ったという。あ=あせる、お=怒る、い=威張る、お=おごる、に=逃げる、成程、これを忘れなければ確かにスピリチュアリズム的にも幸せになる。わかったかな、三男君。