月別アーカイブ: 2019年3月

悔しい話

今日は、どうでもいい話です。どうでもいい話を読みたくない方にはお勧めしません。あしからず。

この前、時間がたつのが早いと書いたけれど、60になった時はえっ、嘘~、もう60!、と自分でも驚いていた。その頃、舞台を見た後や講演会のアンケートで、たいてい年を書く場所があって、年を60と書くのがとても抵抗があり、年齢(  )歳と書いてあれば(午)歳、年齢(  )と書いてあれば(55以上)とかふざけた様なことを書いていた。

ところが慣れとは恐ろしいもので、それから2年たち、3年たつうち年のことは段々どうでもよくなった。最近「人生100年」とか言われたり、テレビで見るお年寄りの方がすごく元気そうでも80台後半だったり、90過ぎていたりするのも影響しているかもしれない。

で、今日パソコンのネットでライブがあり、そこで書いて送るのに年を書くところがあり、何も考えないで、書いて送った。

昨日の写真の加工。明日、新たな写真とります。

そしてその後、母がお世話になっていた施設のホームに、転勤するホーム長へのご挨拶にいった時、突然気がついた。(さっき私65って書いたよね。でも私まだ64じゃん。)と。

最近、冗談交じりに「私、もうすぐ四捨五入したら70になっちゃうんだよね。」と言っていたのがいけなかったのかもしれない。自然に一つ多い年が自分にinputされてしまった。

自分でも意外だったのは、達観した、と思っていた年について、間違ったと気がついた時はとても悔しかったこと。後何ヶ月のことなのに、なんでここまで悔しいかな~と我ながら不思議だ。

してしまったことは仕方ない。後何ヶ月の64を何がなんでも実りあるものにしよう、と変なことから決意した今日であった。

意外なこと

私も年をとったのか、それとも本当にそういう傾向かわからないけれど、「今時の若者」と自分の価値観、それもマナーに関することで随分ズレがある、と最近そう思っていた。ところが、クラスをするスタジオを開けようとして、前の方が鍵を返してなくて開けることができず右往左往し、結局入るのが遅れクラスにも差し障りがある、といった事が起きた。

私もかなりおっちょこちょいなので、クラスの鍵に関しては返し忘れはないが、そういうこともすると思う。問題なのは、「スタジオで待ってますから。」と連絡してもらって言づけておいたにも関わらず、黙って返しに来て、こちらには何も言わず帰ってしまったことだ。なので、もう一度返すお店に行って鍵を取りにいった。何とこれが二週続いた。しかも違う団体で。

私はクラスができなかったらどうしよう、とやきもきして、いつもだったら20分くらい前から入るスタジオに4分くらい前に入ることになり準備で慌てるし、当然クラスも遅いスタートになった。鍵を持っていってしまったお二人も直接謝ることは今だない。

「今時の若い者は」ではなくて、こういう世の中になってしまったんだな、相手にしたら大して迷惑もかけてない、何しろ結局返したんだから、と思っているんだろう、いい大人なのに、とがっかりしていた。

大きな木に咲く花。何の木かしら。

今日書きたいのはここからです。告げ口ではなくて、これから私のように迷惑かかる人がいるといけないから、と思い、NPOの一ツ橋の担当の学生にこのことを報告して注意を促しておいた。

すると「調べたら、お宅様のいうことに間違いがなかった。これからそういうことの無いように、徹底させます。」という趣旨のメールが入り、その内容も文章もきちんとしていて「へ~、こんなにしっかりした若者もいるんだ。」とびっくりした。私自身、「自分が悪いわけではないから、文句言われる筋合いないもんね。」と思うことが多々あるけれど、世話をする立場の人はこうでなくてはいけないと、とても勉強になった。

私が企業の人事だったら、間違いなくこういう人をとる。なんだったら推薦文を書いてもいい。(かえって怪しまれてマイナス評価になるだろうけれど)最近、世の中の考え方の軸がぶれまくっている様な気がして、ひょっとして私は時代遅れ?という感じもあったけれど、このメールで反対に勇気づけられた。今日一番言いたいことは、「有難う。」です。

どうしても、わからないこと

今日は三月11日、八年前のこの日、今でいう東日本大震災が起きた。心から被害に遭われた方のご冥福をお祈りいたします。菊田心さんの詩『ありがとう』を読んで、惨事を糧に成長する人のたくましさ、やさしさを思った。

今、福島原発で施設に残った燃料デブリ(下段参照)がロボットでもなかなか取り出せず、このため廃炉作業がなかなか進まない。これは高い放射線量でとても危険なので、人は近づけない。何とこれが何百トンというから気が遠くなる。そして、原子炉を常に冷却していないといけないので、毎日膨大な汚染水が出て、その水を「海に流すこと」を検討していて、それを知った漁師さん達が大反対しているという。

東日本大震災で犠牲になられた方へ。

放射性物質は1500年は出続けるようで、これだけでも暗澹たる気持ちになるけれど、不思議なのは日本はどうして、他の原発の再稼動に舵をきったかということである。地震の可能性がどの地域でもこれだけ言われていて、外国は福島を見て「再生可能エネルギー」に重点をおきだした。日本は率先して原発を離れても、なんの不思議もないだろう。

それを何故か「原発」の電力を最優先し、「再生可能エネルギー」(下段参照)と止めたり、あろうことか「原発」の輸出に熱心である。原発が事故を起こすといかに恐いか、身をもって体験しているのに。

そして戻ってこようという人が非常に少ない土地に何十億もつぎこんで、何が生まれるのだろう。そのお金をいまだ避難している5万人以上の人の生活再建にあててほしい。

「原発」に頼らないと、日本の経済はもう支えられないのか、それとも有効性のない「復興工事」や「原発再稼動」させることで、大きな利益を得るところがあるのか。有利、不利、や損得を超えて日本人が未来に安全に住めるかどうかという究極のところまで来ているのに、どうも感覚的にわからないことが多すぎて、少しでも真実を知らなければと思う日々である。

「燃料デブリ」  原発事故で溶けてしまった核燃料が、原子炉のコンクリートの壁や他の金属と混ざって固まったもの。

「再生可能エネルギー」  石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった地球資源の自然界に常に存在するエネルギーのこと。その特徴は「枯渇しない」「どこにでも存在する」「二酸化炭素を排出しない」の三点である。