日別アーカイブ: 2018年7月26日

ある女の子の死

残念なことに、子供の虐待死が後を絶たない。不思議なことに、写真で見るその子達は、とても愛くるしく天使のように見える。顔で判断はいけないが、あまりの可愛さに両親が嫉妬し、母親ももはや母ではなく、一人の女として対峙してしまったのか、と思うほどだ。

文書を残して最近亡くなった女の子は、文章を読むと気高くさえあった。人格の高さに、人の気持ちを失った両親はかえって追い詰められたのだろうか?女の子の内なる光がまぶしくて、殺してしまった、となると昔々、そうこの世界が始まった頃を思い出す。

白いお花はどんな花も浄化のイメージがある。

イエス・キリストの処刑。スピリチュアリズムを勉強し始めて、イエスの処刑の意味をずっと考えてきた。「自分達の罪を背負ってくれたから、自分達は無罪放免になった。信ずる者は救われる。」という見方がよくあるが、私にはあまりにも都合のいい見方だと思う。「イエス自身のカルマの解消」、これもイエスを余りにも矮小化している。イエスは生前、天の人達と交信できる程の霊格の持ち主だった。

私が考えたのは、(というかこれまでの学習の集大成として)イエスは人間のカルマを自分の身を犠牲にして表したのではないか、ということ。つまり、他の人にあれだけ尽くして、最後に酷い仕打ちを受ける、人とはこういうことができる生き物ですよ、ということを体現して示してくれたのではないか、ということだった。

女の子のつぶらな瞳と、一生懸命書いた文書を目にすると、この子も一人のイエスだな、と思ってしまう。

集中豪雨と猛暑

西日本豪雨の被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

遠くから、早い復旧と猛暑で倒れることのないように、お祈りするばかりです。人手が要るということで、体力が許せば駆けつけたいのですが、こちらも連日連夜の猛暑で、自分の身を保つのが精一杯です。

自然と仲良く生きるのは難しい時代になってしまったのか?

岡山県で生まれ、倉敷市にも親しんでまいりました。募金受付する所がはっきりせず、やっと市役所と郵便局から気持ちだけ募金しました。

もう日本中、どこで何があってもおかしくない時代になりました。全てを我が事と捉えて考えるしかないと思っています。

どうぞ、心折れることなく、一日、一日を生き抜いてください。

これからもしっかり胸に刻んで、いつも被害者の方に思いを馳せるようにします。

 

KIRAKU   冨田 貴子