日別アーカイブ: 2015年7月2日

色々考えること(2)

前回、「自己犠牲」と書いたけれど、日本はアメリカの盾となることを選ぼうとしているとしか思えない。政治のことは良くわからない私だって、もし安保に関して阿部首相が提案したことに、少しでもアメリカの不利益になり日本の利益になることが含まれていたら、アメリカの政治家の誰かが異議を唱えるだろう。何故反対意見が出てこないで称えられたのだろうか?

自然の恩恵

自然の恩恵

敗戦国という汚名返上したくて、戦争という同じ土俵に乗ろうとしているとしたら、とても危険なことだろう。戦争に関してはするかしないかで、起こってしまったら細かい約束などあっという間に反故になって状況勝負になってしまう。今更、先の戦争でソ連が約束を破って攻めてきた、と言ったところで何も始まらない。戦争は全てを狂気に陥れる。それとも余りに私達が戦場となった沖縄の悲劇に反省も悲しみも持たないので、今度は日本全体を沖縄のようにする、「カルマの法則」が働くのだろうか?

私は日本が「参戦できる国」であるより「かえがえのない文化を持った尊敬される国」であってほしい。そうしたことによって何か起きるなら、受け入れるしかないと思っている。日本で起こっていることの重大さに比べ、自分の小ささと無力さに溜息をつくこの頃である。

色々考えること(1)

新幹線で事件を起こした人は「年金で生活できない」と言っていたらしい。ある時期までは日本は「年金で生活できる」国だった。ところがそれが不可能になった。65歳に引き上げられた時、これは大変なことになったと思ったがたいして騒ぎもなく決まってしまった。結局殺人事件になり、弁護するつもりは毛頭ないけれど、経済的に追い詰められたということは想像できる。

う~ん、疲れたな。

う~ん、疲れたな。

手が足りず子育てが大変な親と子供、一日一食しか食べることができない若者、まだ働けるけれど雇ってもらえない人達、このような人達がどんどん増えているのが現実だ。何かみんながきちんと役割を持って、安心して生きていける組織はできないだろうか?格差社会というからには使い切れないお金を持っている人がいるはずで是非考えてほしい。どこかで判断を間違えてもやり直しができる社会、生き直すチャンスがある社会、そういう社会でこそ人は人間らしく生きることができる。

社会のやさしさの指針は人の痛みをどこまで自分のこととして捉えられるか、自分が誰かの「役にたつ」ことにどれだけ多くの人が喜びを感じられるかだと思う。自己犠牲を言っているのではない。全てはしっかりした自分あってのことだ。(2へ続く)