日別アーカイブ: 2015年6月21日

儚い夢と現実の思い

人間が人間らしく生きるのは、もう不可能なのだろうか?機械の導入は便利だけれどお金がかかる。今より便利な生活を望めば余計お金がかかる。これだけ便利、効率、利益追求、経済優先だとお金の価値が高まるのは当然のことだろう。かくして格差は深刻になる。

個人のレヴェルで済む話ではなく、国家レヴェルになってくると国が豊かになるためには資源がいる。国にとって資源はお金であり、豊かになるために争奪戦がはじまる。自分の国だけ豊かになりたいから、自然の破壊に対して良心の呵責もないし他の国の幸せは眼中にない。

個人でも国でももう少し他に対する思いやり=他を自分のこととして想像できる能力、があれば、世の中とても変わってくると思う。私が習っているスピリチュアリズムはこれをすごく強調する。全体はワンネスで全てのことは自分と関係あることと受け止める。この実現は儚い夢なのか?

自然はいつも神秘的。

自然はいつも神秘的。

全く話はそれるけれど、もし日本でもう一つ、原発が事故を起こしたら小さな日本、安全に食べられるものが、しばらくはなくなってしまうだろう。いくらオスプレイを配備してもまた安保法制を変えたところで、本当の危険な状態になったら米、中、ソ連のどこが早く「ボタン」を押すか、の問題になりその他のことは何の意味も持たなくなってしまうだろう、と考えるのは過激すぎるかしら。

とりあえず今自分にできることは、自分の思う正義はしっかり守り自然を大切に思い、他の人の問題も自分のこととしてできるだけ受け止める(人間ができている訳ではないので100%は無理)ことである。もう一つ、「天は見てござる」「魂は永遠で死に逃げはできない」ことを心に刻み、死ぬまでしっかり生きようと決意している。