Monthly Archives: December 2012

全ては無常

落ち葉

今年は落ち葉になるのが遅かった

笹子トンネルの崩落事故。どうも点検の不備が原因の一つらしい。出来上がったものが老朽化することは、常に頭に入れておかなければいけない。3年位前上海を訪れた時、おもちゃ箱をひっくり返したような個性豊かなビルが沢山立ち並び、まだこれでもか、という程建設ラッシュだったので、何となく異国情緒を期待してた私はがっかりした、というか驚いた。と同時にこれらのビル群が一度に寿命を迎えた時ちゃんと保全するのだろうか、と少し恐ろしくなった。

日本では昔から、例えば鴨長明が、世の無常を説いている。時間と共に全ては変わっていくというこの思想。全てに当てはまる。西洋美術でも「時」は良く鎌をもった死神で表された。今度のこの事故は、まさに鎌をもった「時」という死神を連想させる。「時」を怖がるばかりでなく、恐ろしさを知った上で、「時」を味方につける手立てを考えなければいけないだろう。

又~したい

人生の折り返し地点をとっくに過ぎて、また去年と今年で人間の儚さを目の当たりにして、俄然やりたいこと、やらなければいけないと思うことはしておこう、という気分になっている。好奇心が強く、色々とやりっ放しになっているものが多い。登山とスキーもその一つ。スキーは私がしていた頃よりずっと板が短くなり、スピードはあまり出ず、回転は楽らしい。是非試してみたい。

縁起物

少し早いですが目出度い縁起物

山は大好き。勤めていたころ、ワンゲル部に入りよく山に行っていた。活動は私たちのよく行っている山が冬山になる前の11月3日が山行止め。「冬山は行かないの?」とある人に聞かれ、「まさか、そんな危ないこと、しませんよ。」と答えたら「あなた、スキーによく行くじゃない。スキーは冬山でやるものじゃないの?」となぜか怒られた。ごもっともです。スキーも山も、もう一度始めるchanceを狙っている。今はとても無理だけど。

今日の夕食

書くことに困ったら食事のことにしよう。毎日一番力を入れているものでもある。今日は息子二人も食べるということなので作りがいがあったけれど、長男には残してあったステーキを食べさせるため別献立になり、少々面倒くさかった。他の家族は餃子。餃子は冷凍だったが、始め冷凍のまま焼いてから水を入れ蓋をし、水がなくなったら、3分位蒸して最後に又油で炒めるとかりっとする。

付け合せはレタス、トマト、他ホワイトシチュー(鳥肉、人参、じゃがいも、玉ねぎ、キノコ二種類)ほうれん草のおひたし、里芋とイカの煮物。ちょっと重たいかな、と思ったのでシチューは薄目にして煮物は少なめにした。今これを書いていて社会人になって家を出た次男の言葉を思い出した。「中華なら中華、和食なら和食に統一してよ。」今思うになかなか鋭い子ではあった。鈍感な家族が残って良かった。(のかな?)

両国

ある駅の前。どこでしょう。

もう12月

ペンギンひたすらひたすら時間に追われた一年だった。といってもまだ一箇月あるけれど。色々なことが段々と早くなり、11月に入った途端、街にクリスマス・ツリーが出始め、御歳暮や年賀状、おせちのことまでどんどん考えなければいけない。追い詰められないと動かない私には、丁度いいのかもしれないけれど。

母が今日「何もすることがない。」と言ったような気がしてどきっとした。「何もできない」と言ったのかもしれない。脳の言語野がやられたので、人からの言葉の理解が難しい。でも母の言っていることは時々理解できる。何よりも話好きの母から言葉が奪われ時間を持て余している。娘の時間と足して二で割れるといいね。これからの母の時間が何とか楽しいものでありますように。