Monthly Archives: November 2012

ブルーな日

母の所へ行ったけれど昨日入ったばっかりなので慣れなくて情緒不安定。従姉妹も来てくれていて心強かった。私には怒っていた が、今日は従姉妹の子供まで八つ当たり。帰ろうとすると泣きながら何か言われて、「姥捨て山」に捨ててくるような感じで施設を離れた。父は私に任せっきり で至って呑気。「僕はいつ行けばいい?」なんて言っている。私も娘がいたらよかったな。

出会いは別れのはじまり

母が今日リハビリテーション病院を出て、介護施設に入った。時間をかけて説明したつもりだったが何もわかっていなかった。(がっくり) 泣き叫ぶのを迎えの車椅子に移し、心配そうな見送りの先生や看護師を余所目にタクシーに乗り込むと、けろっとして窓の外を珍しそうに見ていた。

この病院では本当に親切にして下さり、幾多の我儘もできる限り聞いてくださった。つくづくluckyなご縁だったと思う。最大感謝。母も最期の一ヶ月で鼻腔栄養も外れ、自分でたくさん食べれるようになった。これからリハビリが少なくなるので、退院した頃が一番のconditionだったね、ということのない様、私も気功頑張るし、施設にも働きかけていくつもりだ。

失われた20年

SMAPの「世界にひとつだけの花」が30年間分配額topのニュースで「日本の失われた10年の後に出てきたこの曲は...」と言っていたので、「えっ、今の方が失われてるんじゃないの?」と言ったら三男が「だから失われた20年って今は言うんだよ。俺の人生、ほとんど失われているんだ。」と悲観的なので「いいじゃない。始めの三年よかっただけでも。」と返しておいた。「覚えてねえよ。」とぼやいていたけど。

考えてみたら、自分はとてもいい時期に生まれて高度成長を謳歌し、働いている時は郵便局の利率、9%台という夢のようなこともあった。複利だと10年で約2倍になる。まだまだ自然も豊かでのんびりした時代だった。人は幸せを追い求めているはずなのに、なんでこうなるの?と思う。一つには明らかに調和より競争の方をとったからだろう。また便利の追求で人が置き去りにされた。でも私は謳歌してしまった世代だし、やはりなんらかの社会貢献しないと子供世代から見ると”不公平”になるのだろう、と思う。

空と富士山

天気がいい日の夕方の空を見るのが好きだ。刻一刻と変化して、どんな上手な絵描きも真似できない、微妙な色を作りあげる。それに富士山が入れば最高。うちの近くからも、何箇所かの富士絶景ポイントがある。全く期待してなかったのに、突然夕焼けの中にすっくと立つ富士山に出会うとやったー、と叫びたくなる。

こんなに素敵な景色を無料で(俗世間的には)いつまでも見ていることができるのに、気がつきもしないで行ってしまう人がほとんどだ。富士山プラス雲から光が四方八方に広がっていた時にはあまりの美しさに、子連れのお母さんに思わず声をかけた。始めは怪訝そうだったお母さんも空を見て息をのみ、「気がつきませんでした。有難うございます。」と言って下さって、二重に気持ちのいい秋の夕暮れとなった。

介護の問題

母が倒れてからやっと介護の大変さ、特に女性にとって自分の人生をも変えてしまうくらい介護問題の深刻さがわかった。母の場合要介護5だったので、うちで見るのは無理でしょう、とリハビリテーション後のホームも決まったが、それでも家に帰れるかも、とすぐ近くの中古住宅を契約しかかったり、父と住める可能性を模索したりと紆余曲折を経た。

一番驚いたのは、たとえ家で看たとしても介護保険の費用が民間の施設に入った時の月額とそう変わらないこと。特養であれば、ずっと安くつくが、たいてい150人から300人待ち。貯えがなければどうすればいいんだろう、とケセラセラ系の私も本気で思った。多分ほとんどの人が家を売ってホームに入っている。売る家がなければ?

孤独死は案外身内に迷惑かけないかもね、と知人と言い合った。私は山が好きだから山で凍死がいいかな、と言ったら捜索費用が高いとつっこまれたので、携帯で居場所を知らせてから凍死する、と言ったら、あなたのことだから、駆けつけた時はまだ生きてるでしょう、と言われて結論は出ず。

 

色々な役目

若い時は思いもしなかったが、人はそれぞれ役目があり、それは一人一人違うんだ、ということをこの年になって納得できるようになった。単純に考えると、家庭での父の役割、母の役割、子供の役割になるが、実際にはもっと複雑で、個人から見て目標になる人、合わせ鏡のように似ていて自分の欠点に気づかされる人、反面教師になる人と必ずどの場面にもいたように思う。一般に考える役割とは違う。むしろ今の日本は固定観念的な役割から離れた方がより柔軟な社会になると思う。

例えば学校でも教師だと思うからモンスターparents が出てくる訳で、そういう役割をはずして学校を出たての若人と見れば先生としても育ってもらおう、という意識も生まれてくるだろう。家庭でも旦那がナンダ(回文)という意識が出てくれば。。。オット失礼。ここまでにします。

 

病・老・死・苦

今日は母のことで一日終わってしまった。この一箇月で快復著しく、意味のある言葉も大分出てきた。何より介護度5の身でありながら友達が見舞いに来ると、気をつかったり、何となく威張ったりという本来の母の姿がでてきて本当に嬉しい。次のホームでも順調に慣れますように。

人の病・老・死・苦を見て人生を悟ったのはお釈迦様だったかしら。私は現代人の不幸の大きな苦の原因は不安だと思う。先が見えない不安、わが身を案ずる不安、お金の不安、これに不満が上乗せされ、苦が増長する。でもこれって本当は際限ない。シリアなど戦火の中を生きている市民は、日本国民を夢のような生活をしている人達と思うだろう。お金がなくてもケセラセラの人もいれば、結構な資産を持っていても失う不安に苛まれている人もいる。病・老・死も受け取り方は様々。つまらない心配しないで、私は今日精一杯生きた、これが私の限度です。足りないところがあったら御免なさい。明日又頑張ります、という心構えはしておきたい。ということと、おかしなことがあったら、はっきり言う勇気を持つことは別。社会的な不安は取り除く努力は必要だと思うから。行動しつつ、心は平安に保ちたい。