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人生大変なこと

とてもprivateなことだけれど、私の父はもうすぐ95、母は三月で86になった。戦争を若い時に体験した世代だ。母はうちの近くの介護施設に、父は自宅で一人で過ごしている。母をうちに連れてくることを考えたが、自宅で倒れていきなり要介護5だったことと、うちを大改造しないと車椅子が玄関にさえ入らないことであきらめた。今、母は表情が落ち着いて、穏やかに幸せにみえる。

一人暮らしをしている父は大分あやしくなってきた。ある程度先祖から受け継いだ財産はあるが、何故か「三つの不動産は売らん。後のことは考えん。わしが死んだら好きなようにしろ。」と言って税理士の孫を困らせている。万一のためにケアマネさんが勧めたブザーも月に300円、と聞いた途端「高い!」と言って断ってしまった。孫が「おじいちゃん、今節約してなんになる。全部楽しく使っちゃいなよ。」と言っても耳を貸さない。

「エンディング・ノートを書かないことは、自分だけがよければどいいということですよ。」とE氏からくどくもからくも言われて私も書き始めたけれど、父が亡き後の始末を考えると(何も教えてくれてないので)気が遠くなる。姉はアメリカから帰ってこないし、なんで貧乏くじ引いちゃったかな。

木蓮の花。(だと思う)春の花が今綺麗だ。

木蓮の花。(だと思う)春の花が今綺麗だ。

父は退職してから自分が設計して建てたうち(50年以上誰も住んでいない)の管理以外、趣味も旅行もボランティアも自分からは何もしなかった。頭の良さを生かして塾に行けない子供を教えるボランティアでもしていれば、どれだけ尊敬できただろう。「親に不満をもつのは親に依存している証拠」なのはわかっているけれど、反面教師になってしまった。自分だけのことを考えている人はどんどん孤独になり結局は幸せになれない。

最近とうとう見えていた片方の目と聞こえていた耳も遠くなり、「誰かに盗まれた。」と電話かけるようになってきた。ヘルパーさんとケアマネさんが必死に支えてくれていて本当に頭が下がる。私はなるべく父の要望、希望を聞くようにしているが、他に何をすべきだろうか?(今までよかれと思って何か言っても、何も聞きいれてくれなかったという無力感がある)長生きをするということは、本人も周りも大変なことだなあ、とつくづく思う。

 

今年の(も)誓い

玄関の掃除をしてお正月のお花を生けたら、一応新年の用意ジ・エンド

玄関の掃除をしてお正月のお花を生けたら、一応新年の用意ジ・エンド

めちゃくちゃに忙しかった中であっという間に年があけ、新年早々あっちこっち行っている間に今日になってしまった。今年は仕事をきちんとやろうと思っているけれど、今一番気になっているのは25日にあるピアノの発表会。月光第三楽章を弾く。先生が「沢山お知り合いの方を発表会に呼んで下さっていいですよ。」とおっしゃったけれど(ふ、ふ、呼ばなきゃいいわ。だって練習できてないもん)と開き直っていたら、毎回来てくださる方で今回は予定があるので、とお断りがあった呉服店の奥様や(予定がキャンセルになったそうで)どうせ無理と思っていた長男夫婦や友人やらであっという間に五人になってしまった。まだクラスの方には言ってないのに。。。これはまずい、とやっとエンジンがかかり今一生懸命練習している。聴衆に大きく左右される自分も少し情けないが、とにかく頑張るのみ。

やっと新年の誓い、の話。どうも朝苦手の夜型なので、遅寝、遅起きになりがち。こんなことでは、あれもこれもやりたい事の半分もできない。よし来年は何が何でも明け方起きて10時には熟睡する生活にしよう、と固く決意しながら部屋の掃除をしていると一年前と三年前の手帳が出てきて処分できるかな、とぺらぺらめくっていたら、「新年の誓い」の項目が目に付いた。一年前のは「まず第一に規則正しい生活。朝はなるべく早く起きよう」と書いてあった。三年前のは「今年計画したことは全てやる。そのためには太陽と共に起きて10時前には寝る」と書いてあって、かなり自分にがっくりした。こんな基本的なことを毎年誓っている人も少ないだろうな。きっと神様が「またか」とあきれて、私に見せたに違いない。本気で実行しないと仕事にも影響する、と思って今年こそは気をつけるという新年の誓いでした。

 

結婚式

長男の結婚式が11月4日にあった。全て二人で企画したので、少し心配したけれど良く考えていて、皆様から「オシャレな結婚式だった、雰囲気良かった、アットホームで温かさを感じた」と最大級のお褒めの言葉を頂いた。親戚の子供達も大活躍。小1の子はヴァイオリンでエーデルワイスと喜びの歌を滑らかに弾き、小5の子は大人顔負けの声で「お母さん」を披露してくれた。又従兄弟の家族は、両親共医者で超忙しいのに、総出でつまり6人で、もってきた楽器と歌で楽しく盛り上げてくれた。花嫁さんのお友達もボードを使って彼女のしっかりした様子を伝えてくれたり、息子の友達も二役、三役と引き受けてくれた。短い期間に良く準備した、と頼もしく思えた結婚式だった。

良い季節に結婚式ができました。

良い季節に結婚式ができました。

一番ずっこけたのは、父の言葉。式の前に息子と彼女で私の実家に挨拶に行き、そこで父はWedding gift (結婚祝い)を渡し、3時間程度一緒にいた。Candle serviceに私達のテーブルに来てくれた時、彼女は「この前は有難うございました」と父に挨拶をして離れていった。直後、父は隣の次男に「ありゃ、誰だ?」と真顔で聞いた。一瞬おいて次男は大爆笑。私はびっくりして「何ぼけてんのよ。花嫁さんじゃない。この前うちに来てくれたでしょう」と言うと「よく見えるメガネを持ってきたんだけど、かける暇がなくて。」という返事。はは~、今日という大事な日にメガネ、家に忘れましたね。そして色々な着飾った方が挨拶に来て混乱したということですね。でも私も肝心な時に口紅はげていたり、指輪してくるの忘れていたり。。。この父にしてこの娘、という結論に至りました。

恐るべし、適性検査

確か小学生だった時、職業の適性検査をした。立体、空間が得意な人は、何故か一番難しいと設定されていたパイロットにもなれる可能性がある。私は立体、空間が不得意だったので難しいとされる職業は軒並み不向きで、その時わかったのだが「手」の動きがとても良くて(頭の動きではない)最適なのは「手を使う工場の作業員」というようなものが出た。、子供心に複雑な気持ちになったのを覚えている。

芸小ホールの公園にて

芸小ホールの公園にて

でも確かに就職したのは外資系企業だったので、毎日英文タイプを凄い勢いで打っていたし、今は「手」を道具にして気功師になっている。また一番の趣味はピアノなので、やはり体の中で何を一番使い、仕事や趣味に役に立っているかというと、残念ながら頭や顔や容姿ではなく、足でもなく「手」ということになる。う~ん、恐るべし、適性検査。

母の誕生日

今日は母の83才の誕生日。昨年の3月31日に倒れたので約一年たった。母にとって最も過酷な一年だったに違いない。「車椅子に座っていられることが最終目標」と言われたくらいひどかったのに、自分で食事をとれるようになった。言葉に関しては発っすることも無理、と言われたのに、買ったセーターと上着を見て「これ、可愛い」と言ってくれた。お母様が母と友達の鮫島有美子さんの日本の歌を一生懸命聞き写真を見せると「うん、うん」と頷く。

よくここまできた、と思う。本人はしんどいだろうけれど、やはり子供としては生きてくれているだけで心強い。余程うちに連れてきてしまおうかと思ったことも何度かあったけれど、車椅子がはいらない、バリアフリーではない、トイレ、風呂が寒いなどいくつも直さなければならないことがあり叶わなかった。老後のことも頭に入れてうちを考えなければいけない、と始めて気がついた。

公園の風景

公園の風景

一つ不思議なことは、私も本当に大変な一年だったのに気功に関する仕事は意外な程進展を見せ、形になり始めたことだ。今までもそれなりの努力はしてきたはずなのに、どうしてかよくわからない。忙しい、忙しいで密度が濃くなったのか、母を見て自分もあまり呑気にしてはいられない、と思ったのか。まだまだ目標には程遠いが、与えられたチャンスをものにすべく邁進していこうと思う。

色々なlicense

私が学生の時は花嫁修業という言葉がまだ実質を持っていて、母は張り切って私と姉にお茶、お花を習わせた。面白くて表と草月の最初の師範まで拾得したが、その先の家元近くの師範までがひたすら金銭的に遠く、そのせいか母は始めの師範を取ると何も言わなくなってしまった。着物の着付けも然り。でこの三つは生活に役には立つが、資格としてはB級ライセンス化している。

駅の風景

駅の風景

他、パンの先生、車の免許(これが一番使っている)等とり、最近は国内旅行業主任をとった。美術専門の旅行業を夢見たのだが資格を出してくれた協会に「どうやって旅行業を始めるんですか?」と聞いたら、「旅行会社のスタッフを引き抜いてきたら?」と言われ、これは相当の覚悟と資金がいるな、と始めて思い知った。色々なlicenseを持ったが、licenseがでない気功師として仕事をしていくことになるとは思いもよらなかった。