タグ別アーカイブ: 日常

時間の使い方

私だけではなく、よく聞く話だが、最近時間が過ぎるのがとても早い。高齢化が進み、自分も含めて周りに高齢者が多いせいかもしれないけれど(笑)以前は、施設にいる母を週2.3回、車で一時間半くらいの父を月1.2回訪れるだけだったので忙しかったけれど、まだ時間に余裕があった。しかし父の独居を放っておけなくなって、こちらに来てもらってからとても忙しくなった。施設から病院通いが始まり、今も入院中。

気功の仕事も続けたいし、ピアノも手放せない。そろそろ断舎利とかもやり始めなければ、と気がせいている。かてて加えて、「後のことは考えない。」と私に宣言した父の言葉通り、色々なことがぐちゃぐちゃで息子達に迷惑かけないよう、せめてすっきりしておこうと思うと、膨大な事柄に取り掛かなければならない。

最悪のパターンは、ストレスが溜まりすぎて、欝っぽくなり何もできなくなること。私が動けなくなると取りあえず父が困る。それでまず、「自分の性格として、忙しい方が暇よりいい。」といつも自分に言い聞かせ、次に保身術として、昼間でもどうしても寝たい時は少しでも睡眠を優先し、また積極的に遊ぶ時間を作るようにしている。先週も高校のクラス会にでかけ、今週も河口湖まで行ってきた。力一杯楽しむので、充実感がある。

一竹着物美術館の前で。美人の顔がはっきりしなくて少し残念?

一竹着物美術館の前で。美人の顔がはっきりしなくて少し残念?

若い時より物事がはかどらないので、一計を案じた。一日前の夜に明日すべきことをメモする。夜になるとできた事を消していく。どうしてもやり残したことが出てくる。それを見ながらまた次の日の計画をたてる。例えば、銀行に行って施設費の支払い、母の所で弾くピアノの練習、着物片付け、贈答品のお礼の手紙、父の病院で相談員の方と打ち合わせ、アメリカの姉に電話、気功クラスの変更のお願い、という風に。週の終わり頃になると、ずっとりやり残したことがはっきりしてくる。そこで、それを朝一番の優先順位にもってくる。こうすると不思議に、一週間の中では大体片付いているし、自分が避けていることもわかる。(大抵は片付け関係)

この中には、家事のルーティーンと気功の仕事のことは入っていない。家事をするのは自然の流れだし、自分の仕事は常に優先順位を一番にしているからだ。もしメモしないと仕事を忘れてしまうようだと、もうおしまいね、と思っている。

今年もよろしくお願いします

大変遅いご挨拶になり、申し訳ありません。昨年暮れから夢中で走り続けて、今日やっと一息つきました。で、もう11日。わ~、この調子でいったら今年もあっというまに終わってしまう。と今からあせってもしょうがないので、また夢中で走るしかないでしょう。今年もよろしくお願いいたします。

母のいる施設のお飾り。飾ってあってほっとしました

母のいる施設のお飾り。飾ってあってほっとしました

久しぶりに帰ってきた次男と4日に、地域の神様である谷保天神に初詣に行ってきました。4日なのにまだ混んでいて、石段の列に並びました。(いつもは横から賽銭箱にお金を入れるのですが、次男がそれは駄目と言うので。。。)暫く並んでいた時、足の悪そうなおばあさんが私に「ちょっとあなた、私を向こうの鳥居まで連れて行ってくれませんか?」と後方の鳥居をさして言ったのです。列はどんどん進んでいるし、次男が帰ると言っていたので間に合わなくなる、という判断をして丁寧にお断りしました。すると列の後ろに並んでいたおじいさんが、「私が行きますよ。」とその方の手をとったのです。「ごめんなさい。」ともう一度言って、大分進んでから後ろを振り返ると、まだほとんど二人は進んでなくて、やはり親切にできなかったのはしょうがなかったと思いました。

「あの方、今からお参りする人ではなくて、帰る同じ方向の人に声をかければよかったのにね。でも行ってくれる人がいてよかった。」と息子に言ったら、「お母さんは、くみし易いようにみられるんだよ。人が良さそうというか、声をかけやすいというか、脇が甘いんだよ。」と非難するので、確かに大勢いる中で声をかけられるということはそういうことかもしれない、でも非難されることでもないのに、と思いながらお参りをすませました。

帰りみち、菅原道真を慕ったという牛の前にご夫婦がいらして息子に「写真を撮ってもらえませんか?」と頼んできました。息子は「あっ、いいですよ。」と二つ返事で引き受けて、写真を撮りました。私のところに戻ってきた息子に言ってやりました。「あなたさ~、色々な人が通る中で目をつけられたのは、余程頼みやすい雰囲気と顔をもっていたんだね~。」すると息子は「俺もそう思った。」とあっさり認め笑ってました。小さな思い出を残して夕方、千葉の自宅に戻っていきました。

走り続けた六月

もう、7月に入ってしまった。6月中は予定がぎっしりだったのに予定外のことも入り、母が倒れて以来一番忙しい月となった。前半は勉強のために大阪、その後友達と京都伏見稲荷、長楽館(明治42年、煙草王と言われた村井吉兵衛により迎賓館として建てられた)と表千家北山会館を訪れるため京都に回った。中旬は気功クラスの方を高尾山にお連れしようと思っていたけれど、天候のせいで武蔵小杉から神社、仏閣を訪ねる小ツアーに変更して、暑いところを連れ回すことになった。(特に帰り道が長すぎたようだ。反省)

京都長岡の地で。

京都長岡の地で。

6月最後の日曜日は母のいる施設へ、小学校5、6年以来の声楽をしている友達に来てもらい、私のピアノの伴奏で歌ってもらった。歌の伴奏は主役ではないと甘くみて、日が近づいて結構難しいことがわかり、例によって大いにあせり(切羽詰らないとなかなか稼動しない)最後は夜遅くまで練習する羽目になった。今回初めての経験だったのだけれど、自分だけで弾いているぶんには間違っても自業自得だけれど、歌をたてて弾くとなると、声も聴いてなくてはいけなくて、なかなか神経を使う。余程ピアノに余裕がないと無理な話で、しかも10曲近く。。。頑張りました。でもその後、歌のコンサートを聞きに言ってもピアノ伴奏の大変さが良く分かり、歌と伴奏を同じくらいしっかり聴くようになったので良い経験になったと思う。「やり残した二曲、またいつかやろうね。」とメール打ったがはっきりした返事は彼女から受け取っていない。私の伴奏は自己採点で75点。合格点ではなかったかも。。。

中野新井薬師の御前様の祥月命日でお墓参りにもでかけたし、その後わらび座の「平賀源内」も見に行った。(なかなか上手くまとめてあって、美術も見ごたえがあった。昔の話を現代劇に作り替えることに成功していた)その他にもS.O.Sが出ていた父のところに行ったり、出版社の人と会ったり。。。毎日動き回っていた六月でした。

 

 

ラッキーな一日

スピリチュアリズムを学んでいて知ったのだけれど、物品引き寄せをアポーツという。私は霊能力はないので、空中から物を出すなんてことはできないけれど、「欲しい」とおもったものはお金以外は(これが残念なところだけれど)よく人から手にはいる。例えば二番目の孫のために「うちでオムツを買っておいといてあげるね。」と言ったのに、あてにした薬局の20%オフの券がオムツには使えないことがわかり、ぐずぐずしていた。(せこい話で申し訳ない)そうしたら何とお隣の方から「うちの孫にはもう使わないので」と、オムツを大量に頂いた。長男夫婦はとても喜んでくれた。勿論私もほっとして、とても嬉しかった。

春です、春です、春です、と菜の花が叫んでいました。

春です、春です、春です、と菜の花が叫んでいました。

最近忙しすぎて、美術館になかなか行けない。クラスにきていたWさんから電話があり、ラファエロ前派がとても良かった、でももう日曜日までなのよね、という情報を頂いた。その時は「あ~あ、たまには見たかったな。もう今日は金曜日だから、無理ね。」とあきらめた。次の日、スピリチュアリズムの講座の帰り、渋谷に向かう銀座線の中で、隣の男性がラファエロ前派のパンフレットを見ていたので、思わず話しかけた。「とても評判よいですよ。」「そうみたいですね。」「明日までですよね。ボッチチェリはまだ先ですけれど。」「見ました。ボッチチェリもなかなか良かったですよ。」「美術お好きなんですね。私も好きなんですけどなかなか行けなくて。」と余程未練がましく言ったせいか、男性はカバンの中からチケットを出して「よろしかったら、どうぞ。」と招待券をくれたのだ。びっくりする私に「二枚持っていましたから。」と言うのであり難く頂き、帰宅時間を二時間半延ばし文化村のラファエロ前派を満喫してきた。

喜びのあまり、図録や他のものを購入し、チケット代ははるかにオーバーしたけれど、久しぶりに絵画に接し、スピリチュアリズムの講座で心も洗われ、最高の一日となった。いつもはしないのに前日、夕食の下ごしらえも済ませていたので、帰宅後も楽勝で長男家族や父と楽しい夕食をしたのだった。忙中閑あり。

(皆さんにとっては)どうでもいい話

とうとう安保法案が成立しそうだ。孫の代が心配だ。歴史が繰り返さなければいいけれど。。。でも今本当に考えなければいけないことは各国の利益よりも、地球の資源や自然破壊による影響、オゾンの破壊で、世界全体が一丸となって対策しないと、もうどうにもならないところまで来ているのに。人間の傲慢さは果てしなく、でもそれはカルマの法則で人間に返ってくる。残念ながら私も人間の一人。自然に対して取り返しがつかないひどいことをしていると思う。「ごめんなさい。」と時々つぶやく。

雨ばかり降って写真が撮れずサンプル映像を使いました。「灯台」です。

雨ばかり降って写真が撮れずサンプル映像を使いました。「灯台」です。

ここからは、皆さんにとってどうでもいい話。最近友達とまたは一人で、夏に河口湖のステラシアターで行うイルカのコンサートに参加している。この前パンフレットを見ていたら珍しくローマ字でIRUKAと書いてあった。う~ん、どこかで見たローマ字だと思って配列を変えてKを二回使うと、何とKIRAKUになり私の気功研究所の屋号になった。なにかご縁があるようで、嬉しい。(あなた、忙しいふりしていて結構暇ですね、という声が聞こえてきそう)

二つ目のどうでもいい話。うちの給料日はず~っと20日だった。40代まで生活が大変で20日が待ち遠しかった。長男は20日生まれ。なんとなく20日に好感をもっていた。(単純このうえなし)主人の会社が二つ目になり今度は25日になった。すると初孫が25日に生まれた。仲のいい従姉妹の誕生日も25日で25日の好感度はアップしている。(読んだだけ損と思われる内容ですね。ごめんなさい)

ブログ再開します。

ブログの長~いお休みを頂きましたが、また再開します。ご安心ください。気功の仕事はまじめに(くそ)暑~い夏もクラスもヒーリングもまじめに(強調)、というか暑すぎて具合が悪くなる方が多かったので、いつもよりまじめに(三度目の強調)働きました。うっかりしていた私が悪いのですが、更新を忘れブログが機能しなくなり心配して連絡してくださった方有難うございました。

もう秋なのに孤高に咲くひまわり。

もう秋なのに孤高に咲くひまわり。

他にも母の日野の施設からうちのすぐ近くの施設への引越し、とか私の厚生年金の手続きとか(年がばれる)お盆ももう秋なのに孤高に咲くひまわり。お彼岸もいけなくて気になっていた豊橋のお墓参りを9月の連休で行ったりとか、人前でピアノを弾くこと二回、高校のママ友の会の役員になっていたため集まること三回とか、その間大阪に講座を聞きに行ったり。。。そうそう八月の初めに長男夫婦の税理士試験のため、家族で5日程滞在して、試験前日にホテルに行き当日孫を見たりとか、まあ沢山色々あってよくぞ頑張ったと我ながら思います。他の人もそのくらいやってるってという声も聞こえてきそうですが、猛暑にまけず頑張った夏なのでした。

正しい(?)相続の仕方

ゆ~きはふ~る、あなたは来ない、私も行けない(?)

ゆ~きはふ~る、あなたは来ない、私も行けない(?)

私の周りでも相続の話が出るようになってきた。親が生前きちんと考えて、かつ親子、兄弟の信頼関係があれば問題ないだろう。でもこの三つが揃っているとは限らない。一番簡単な相続は、「死後の始末に要る費用以外何も残さない」こと。子供達はふがいない親を持ったことをお互いに憐れみ、仲良く助け合うかもしれない。

親がしっかり考えたつもりでも、子供の中には不満を持つ子がいるかもしれない。一つの提案は話し合って一応分け、それをくじで引くようにする。どれをとっても文句なしの公平な内容になっているか?お墓を守る、法事をする費用を別立てにしておけば問題ないだろう。

他の方法としては徹底的に話し合う。話し合いがつかない場合は第三者のプロに頼む。とここまでしなくても、ささいな相続財産のために使う時間と労力がもったいなくなって、放棄を選ぶ子供達であってほしい。そうしたら、「よくやった」と褒めてあげよう。天国から。(天国に行けたらね)

大波小波

早い!もう今年は終わってしまう。時間は本当に容赦ない。「いつも駆け回っている。」というようなことを言われることがあるが、今年しようと思ったことも道半ば。要領が悪いのだろうか。満足しようと思ったら、簡単。やろうと思うことを少なくすればいいのだ、けれど。。。

もうすぐこの風景ともお別れ

もうすぐ、この風景ともお別れ

特に8月下旬に、長男に結婚することを告げられてからは忙しくてあっという間だった。あれよあれよという間に時間が過ぎ去っていった。(お金も飛び去っていった)夢中で過ごすというのはいいことなのか、悪いことなのか。気功クラスで瞑想すると5分ってこんなに長いのかと思うけれど。忙しいと充実はしているのだが、時間は短い。

毎日毎日やることが多いと、のんびりと本を読んだり、着物をリフォームしたり、ピアノを心ゆくまで弾いたり、と自分の中だけで閉じる世界に憧れる。でもきっとすぐに物足りなくなるだろう。我儘を自覚して時間と競争していくしかなさそうだ。

嬉しいinformation

散歩の途中で。雲一つない日本晴れ。

散歩の途中で。雲一つない日本晴れ。

「乱雑な部屋はあなたの頭と心を表している」とよく言われ、そうだろうなと部屋を見回して溜息をついていた。けれど私にとって都合いい記事をみつけた。題は「What a messy Desk says About You」 (散らかった机があなたについて言えること)ニューヨーク・タイムズの記事で結論は「散らかり放題の職場は独創性をはぐくみ、何か新しいことを見つけようという探究心に火をつける」そして「ごちゃごちゃした環境の方が、人々に伝統を打ち破る力を与える」といいうものだ。

ただし、創造性を解き放つことよりもむしろ、自分の生活に規律という目標を優先させたい、という人であれば、やはり整理整頓から始めたほうがいい、ともいっている。これは行動科学の専門家で、研究チームを率いるミネソタ大のK氏が発表しているので信憑性はありそうだ。

う~ん、自分でもこれ以上自由奔放になったら困るし、毎日の探し物が更に増えても無駄な時間がもったいない。やはり頑張って片付けるしかない、とあきらめた秋の夜長であった。

写真を撮りに

一つ大きな問題が起きてしまった。というか起きていたのに気がつかなかった。自分の尺度でものを考えたり、世間を見たりすることの危うさを今回のことはいやという程教えてくれた。自分が結婚するまではある意味ぬくぬくしていたのだろう。結婚してから人並みに苦労して、段々世間というものが分かってきた。(つもりになっていた)子育てはほぼ完了して、趣味の世界に生きれば決していきあたらなかったが、仕事をするという選択をした。世界は広がったがそうそうとんとん拍子にいくものではない。今回の問題で何のために活動しているのか?という根本的なことを深くかんがえるざるをえなかった。

手前の白いのもお花です

手前の白いのもお花です

と悶々と悩んで一日過ごすには今日は天気がよすぎた。でカメラを持って外に出た。隠れ家のような場所があり、カメラをとりながら、ただただ美しい花や実を結び人を楽しませてくれる植物や木に感謝しながら歩いた。何がなくても(今月は突然の結婚式のため、資金が底をついた)美しいものは美しく、やさしいものはやさしく、気高いものは気高い。諸行無常は世の中の常だけど、いつもいつも人に感動を与えてくれる自然の懐の深さを感じた。最近は自然の脅威の方が恐ろしいが、悪魔と天使の同居は自然も人間も一緒だ。今日は自然の善をみつめることができた。