なんともはや

スピリチュアリストの江原氏は、毎年暮れになると、翌年がどんな年になるか上からのメッセージを受けて伝えてくれる。震災の前の年は「汚水が溢れ、どこが陸だか海だかわからない。嫌な臭いがたちこめる」だった。去年は端的に「破綻と崩壊」だった。あらら、オリンピックの年に、と思った。

悲しいかな、現実はその通りになった。まだ四半期も終わってないのに、今年はまだ何があるのだろう。今回のことをスピリチュアリズム的に考えると、「カルマ=因果応報」という言葉が浮かぶ。コロナはどう発生したかまだよくわかっていないようだが、生物兵器のできそこないにしても(完成されたものだと致死率がもっと高かったはずだ)こうもりから出てきたにしろ、自然をないがしろにして、自然の法則に逆らった人類の生き方に対する答えであることには間違いない。

どんな環境でも草木はたくましい。これに学びたい。

オリンピックを「コロナに打ち勝った証」と位置付ける、とおっしゃるが、自分達で種をまいておいて、それに「勝った」というのもおかしな話で、先に反省すべきことは山とあるのではないかしら。もっと根本的なところで見つめ直さないと、これから先も形を変えて、人類に反省をせまることが起きるような気がする。「仏の顔も三度まで」という諺があるが、神の中の仏の顔も三度まで、と私は思う。

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