再び、父とのこと

父は頭のいい人だったが、(あくまで学問的な意味で)母から言わせると「とても利己主義」な人で、小さい頃からそう何度も聞いてきたので、母が好きだった私は父が好きではなかった。特に思春期の中学生、高校生は多分憎んでさえいた。大学生になると胸やお尻に触りたがり、憎しみを通り越して嫌悪になった。外から見ると優秀な平和な裕福な家族で、非の一点打ち所がなかっただろうと思う。母は一生懸命それを演出していた。私はある程度協力したが、姉はあほらしくなったのかアメリカに留学に行き、それきり帰ってこなかった。私も結婚して家を出た。

 

さくら、さくら、今咲き誇る♪

さくら、さくら、今咲き誇る♪

私が生まれた家族の物語は、これで終わるはずだった。しかし気功師を名乗るようになって、必要に迫られて精神世界を勉強するようになってから、終わった、と思っていた家族関係の大きな見直しを迫られた。「家族は学校であり、親はOB、OGである。」「家族は自分の映し出しであり、自身の向上のためにそこから学ぶためにある。」「憎いというのは、何かを期待して、依存している証拠である。自立していたら、親を一人の人間として見ることができ、理解できる。」これらの言葉は親と言えば「親孝行」か「親不孝」しか思い浮かばなかった私にとって、斬新で、まさに目から鱗が落ちる思いであった。

結論から言ってしまえば、つい最近家から車で5分、自転車でも10分足らずの距離の施設に入ってもらった95歳の父と、いつも使う駅から見えるくらいの距離の施設にいる、87歳の母の世話をしていると、(本当に世話をしているのは施設の方達だけれど)ああ、これは神様が私に家族関係の修復のために用意してくれた時間なんだとしみじみ思う。特に疎ましいとさえ思っていた父を車椅子に乗せて、病院の中をあちこちして、余分な検査は受けないように奮闘していると、時々保護すべきベビーカーに乗せた子供を押している様な、不思議な気持ちになる。

昨日帰りにママ友に会い、そんな話をすると、「お世話になった恩返しができて良かったわね。」とさらりと言われた。そうなんだ、これは家族関係の修復というより、自分が後悔しないための私のための時間なんだ、と気づかされた。昨日は曇り空だったけれど、桜は満開で美しかった。病院でついでにお見舞いに行った方の部屋から見た桜は、息を呑むほど美しく、壮麗という言葉がぴったりで、吉野の桜もかくやと思われた。(肝心なところで写真を撮りそこなった。ゴメンナサイ)振り返って、ぎっしりとドラマの詰まった一日だった。

 

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