(私が学んだ)霊格を上げる方法(1)

気功師をしながら、スピリチュアリズムを勉強していて、わかったこと、今の時点で私なりに理解したことを書いておこうと思う。まず、なんで自分がこうして生きて、ここにいるんだろうと人なら必ず考えると思うのだが、(私も幼稚園の時から不思議だった)私は以下のことを学んだ。現在は、生前から死後までずーっと続く魂の履歴のほんの一時であること。全てが魂の向上を目指す壮大な計画の、自分も一部であること。そして、この世はそのために魂を磨く磨き砂が(あり難いことに)あふれていること。磨き砂は合わない他人であったり、劣悪な環境だったり、病気、事故と普通には不幸と考えられるものだったりする。それを磨き砂にするか、挫折の原因にしてしまうかで、その後の人生の明暗を分ける。

ピアノの発表会でいただきました。いつまでも美しく咲いています。

ピアノの発表会でいただきました。いつまでも美しく咲いています。

理不尽だらけの世の中だけれど、「天網かいかい、疎にして漏らさず」という言葉がある。老子の言葉で、「悪いことをした者を、天は決して見逃さない」という意味だ。日本にも「お天道様は見ている」という言葉がある。意味はほとんど同じである。英語でもこんな言葉を見つけた。「Heaven’s vengeance is slow, but sure. (天罰はすぐにはこないが、必ず来るものだ)」 こうしてみると、悪事する者には天罰があるというのは、古今東西、普遍的な事実として受け止められていたのだろう。

しかし、私は悪いことばかりではなく善行も天は見逃さないだろうと思う。スピリチュアリズムは「天罰」というよりも、良いことも悪いこともしたことは全て自分にかえってくるという考え方をする。(カルマの法則)でも時代によって「良いこと」「悪いこと」の基準は違ってくる。部族間の闘争とか戦争中は人を沢山殺した人が英雄だったりするように。では人は何に善行の基準を見出せばよいか?(2に続く)

 

 

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