人生の点と線(1)

何度か書いたと思うけれど、スピリチュアル・ヒーリングなるものがあって、(一番初めに行なったのはイエス・キリスト)これと比べると中途半端に遠隔診断・ヒーリングをしている私にとっては目標の一つになる。遠隔を気功の一部と思ってやっていたが、ある方に言わせると私の遠隔は気功でもスピリチュアル・ヒーリングでもなく、念力の一種だろう、ということだった。スピリチュアル・ヒーリングを行なうには、どうも天上の方に、私を「使える」と思われることが必要で、それにはまず、スピリチュアルな世界を知ることが必要と思い勉強している。

と前書きが長くなったが、勉強している中で、「宿命」と「運命」という言葉に出会った。「宿命」は自分で変えられないもの、生まれてきた国、地域、家庭、性別で、「運命」は自分で築いていくもの、それは始めから決められているわけではなく、努力次第で違った道が開ける、とここまでは良くわかった。でももう少し学ぶと、どうやら生まれてくる前に大きな病気や事件、死ぬ時や死に方も決めてくるらしい。なんだ、ではどうあがいても、やっぱり人生の大事なことはほとんど決まってるんじゃん、と思った。思ったがスピリチュアリズム自体は深いので魅力があり、勉強し続けた。

 

京都の現代的作庭。石の配置に美を見出す民族もあまりいないのではないのだろうか?

京都の現代的作庭。石の配置に美を見出す民族もあまりいないのではないのだろうか?

すると最近、次のようなことが閃いた。生まれてくる前に自分が守護霊や、高級霊と話し合って(口があるわけではないので、正確には通信し合って)生き死にと大きな事を決めてくる。何の為?これはひたすら、自分の人格=霊格を磨くためらしい。この世で自分の弱さや欠点をみつめ、改善、克服するため。ここまでは、スピリチュアリズムから得た知識である。ここからは私の考えだが、では「運命」はどこでどうやって働くのだろう。思うに、生まれた所を点として、これは自分の努力では如何ともし難いので固定した点と考える。後の点(大きな病気、事件)は移動可能と考える。その間をつなぐ線が運命だ。縦軸は霊格向上の指標、横軸は時間の経過。自我が芽生えた頃から自分と周囲の葛藤が始まり、でも幼いなりに我慢したり努力して霊格が上がっている。決めた点はどこでくるかわからないが、やってくる。その後、自分が意図した通り、そのことによって何かに目覚めて霊格を上げるか、反対に負けて下げてしまうのかは本人次第。点と点を繋ぐのは直線とは限らない。ほとんどは曲線だろう。最後の点は終着駅=死であるが、この点が縦軸の上にくるか、下にくるかは、その人次第ということになる。生まれた時より最後の点が下になってしまう人もいるだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください