前回、「自己犠牲」と書いたけれど、日本はアメリカの盾となることを選ぼうとしているとしか思えない。政治のことは良くわからない私だって、もし安保に関して阿部首相が提案したことに、少しでもアメリカの不利益になり日本の利益になることが含まれていたら、アメリカの政治家の誰かが異議を唱えるだろう。何故反対意見が出てこないで称えられたのだろうか?
敗戦国という汚名返上したくて、戦争という同じ土俵に乗ろうとしているとしたら、とても危険なことだろう。戦争に関してはするかしないかで、起こってしまったら細かい約束などあっという間に反故になって状況勝負になってしまう。今更、先の戦争でソ連が約束を破って攻めてきた、と言ったところで何も始まらない。戦争は全てを狂気に陥れる。それとも余りに私達が戦場となった沖縄の悲劇に反省も悲しみも持たないので、今度は日本全体を沖縄のようにする、「カルマの法則」が働くのだろうか?
私は日本が「参戦できる国」であるより「かえがえのない文化を持った尊敬される国」であってほしい。そうしたことによって何か起きるなら、受け入れるしかないと思っている。日本で起こっていることの重大さに比べ、自分の小ささと無力さに溜息をつくこの頃である。