月別アーカイブ: 2014年1月

名古屋での勉強

夜の街

夜の街

或る方の講義を聞きたくて名古屋に行ってきた。聞くたびに身につまされる思いがする。今回は「依存と怠惰」に関するお話が深く心に残った。何かあると自分を反省することなしに、すぐ人のせいにする。これも依存の一種。自分は努力しないで又義務を果たさないで、権利ばかり主張する。これは怠惰。そして依存の結果思うとおりにならないと「恨み」を持つようになり、怠惰の結果は「禍根」となってかえってくる。色々なことに当てはめてみても、成程その通りと思った。勿論私自身、注意しなければいけないこととして聞いた。

そこで「おみくじ」のようなものがあり、一緒に行った叔母がひいた。私は以前それで「可」が出て、友達も「可」だったので「可能の可ね。」と言って喜んでいたら、「それって、優、良、可、不可の可よ。」って指摘されてがっくりきたことがあったけれど、叔母はなんと「優」であった。始めて聞いた「優」だった。「優でも説明はそんなにいいことは書いてないのよ。」と言うので読んでもらったら明らかに勤勉を褒められていて、「もっと楽しく過ごす時間を持つように。」とさえ書かれていた。

70を超えたのに本当に病院や倒れたご主人(私の叔父)、孫のためによく働く叔母で、まさに「勤勉」という言葉がぴったり。娘達がいる東京にもせっせと日帰りで来る。さすが神様は良く見てらっしゃる。「依存」と「怠惰」の中に生きた、と思われないよう、今からでも気持ちを引き締めようと反省した名古屋行きだった。

 

何事も力を抜いて努力

公園の木立

公園の木立

今年は、気功の仕事が続けられるかどうかの境目になるだろう。まだ始めたばかりで完成形ではない。私の強みは利益追求でやってないこと。でも全くボランティアでするつもりもない。赤字をだしてまですると、長続きしないだろうと思うから。ボランティアはしない代わりに何かと団体に寄付する様には心がけている。それにしても私の技術を教えるのに、一回二千円は安いと思う。言っていることを真剣に聞いて、毎日practiceして下されば、いつか本当の気功の価値に気がついてくれるだろうと願っている。気づきが大事なのであまり押し付けがましいことは言わない。

歩み始めたからには前進あるのみ。でもまたやりたいことが一つ増えてしまった。今度は少し、いえすごくお金がいる。初めて大金がほしいと思った。誠心誠意仕事をして、でも気功の仕事ではとても貯まらないから後は神に祈るだけ。今生でできるかどうかもわからないから、希望だけは持って、やりたいことを暖めていこうと思う。

慣性の法則

学生の時、慣性の法則というのを習った。「物体が外力を加えられない限り、そのままの状態を続ける」というものだ。物理学は大変不得意だったので詳しいことはわからないが、転がっているボールは転がり続けようという力が働く。もし空気抵抗がなければ、多分転がり続けるのだろう。時々社会でもこれは「慣性の法則」が働いているのかな、と思うことがある。

特にマスコミで感じる。3.11以降、日本は根本的に変わらなければいけないのではなかったのか?何事もなかった様な日常は有難いけれど、汚染水はどうなっているのか、毎日報道があってもいいと思う。福島の今後も、もっとみんなで考えていかなくてはいけないのに。。。以前と大きく何か変わっただろうか?

ある日の街の表情

ある日の街の表情

昨日、横浜に美輪さんのコンサートに友達親子と行ってきた。美輪さんは、今の日本の状態を憂えて、はっきりとご自分の経験も交えて戦争反対を主張された。ぶれない態度に頼もしさと尊敬の念を持った。これからさらに勉強しようとしているスピリチュアリズムの先生もそうだけれど、苦しい体験を乗り越えてつかんだ信念は強い、と感じた。私も慣性の法則に流されず、生きていく中で強い信念を持てるようにしようと思った。

そろそろ始動

巨大白菜断面図。

巨大白菜断面図。

年末年始は例年になく忙しかった。20日過ぎて熱海と大阪に一泊し、、年があけてから金沢に行った事もこたえた。この三連休は比較的ゆっくり過ごし、(それでも母のところ、高幡不動、どんど焼きと毎日でかけた)やっと心身ともに充実してきた。そろそろ気功の今年の方針を考えなければいけない。(少し遅い気もするが)気功のことは決まり次第ここでも書いていきます。

14日の今日、どんど焼きが終わってやっとお正月が終わったような気がした。ゴミ出しも今日の

白菜の4/5はお鍋のとお雑煮で消費された。

白菜の4/5はお鍋のとお雑煮で消費された。

可燃物を出して平常に戻った。疲れていたせいか、明るい思考ができなかったのだけれど、ゴミ出しの時に不意に感謝の気持ちが湧いてきた。ゴミを捨てられる幸せ。回収してくれて処理してくれる人やシステムがある。そういったものの上にたった快適な生活ということは忘れてはいけない、としみじみ思った。

スラム街では大抵ゴミが道路に散らかっている。生活の中にゴミが入り込んでいる。被災の地域ではいまだにゴミの処理におわれている。ゴミを出せる幸せは小さくないと気づいた一日だった。

 

 

 

 

小さな、でも大事な幸せ

右は普通の大きさの湯のみ。元はこの4倍から5倍の長さ。

右は普通の大きさの湯のみ。元はこの4倍から5倍の長さ。

もう昨年のことだが、地場野菜でとても大きな大根を見つけた。一つだけゴロンと置かれていて、皮に赤で200と書かれていた。ビタミンが豊富な大根葉もどっさり。大きくて大味かな、という心配もあったけれど、欲しかった時なので、しかも200円でこの大きさは安い!と担ぐようにして持ち帰った。

まずは板こんにゃくと味噌田楽。柔らかくて素直な味。見た目で判断してはいけないのは人も野菜も同じね。次に鶏肉と炒め煮。大根サラダ(海苔と小女子入り)。烏賊と大根の含め煮。今日は味噌汁の具(他、人参、えのき、野沢菜、熱海で購入した青さ海苔)と大活躍。それなのにまだこれだけあって(始めの1/5)おでんに役に立ちそう。

色々とお金がかかり増税もあるし、思うことがやっていけるかな、と少し憂鬱な年明けだったが、こんなおいしい野菜を安く手に入れることができるなら安心だし、小さな幸せなら確保できると嬉しくなった。(単純かも)そう言えばご近所から巨大白菜も頂いた。これも普通においしかった。

メモ:今日の料理(夕食)ーさば味醂漬、オムレツ(中身はネギたっぷりとバラスライス)、ほうれん草のお浸し、上記の味噌汁、奈良漬

 

 

お茶屋遊び

金沢では所謂御茶屋という所に二箇所も入ることができた。一つは今も営業している所、もう一つは建物が重要文化財になっているところ。京都では「一見さん、お断り」で馴染みの客でないと入れないことは良くわかっていたので、ラッキーだと思った。

何と特別に二人の美人の舞妓さんと80歳にはとても見えない、かくしゃくとした元お姐さんの三味線で、謡や舞を拝見後、特別な太鼓もたたかせて頂き、本当に御茶屋遊びをした気分になった。舞妓さんには特別なオーラが出ていて、それは女性らしいというよりも意外なことにどちらかというと男性的で、しなやかだけれど折れない強さのようなものを感じた。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

勿論気功教室を開けるかどうか、の下調べもしてきた。特色ある文化があるところなので、しっかりしたimpactがなければ受け入れられないだろう、と気を引き締めた。不思議だったのは、城主だった前田利家と妻まつこの頭の良さに感心して帰ってきた日に、何気なくつけたテレビで金沢のことをやっていて二人のことを詳しく放送していたことだ。ローカル番組かと思ったがそんなことはなく、本当に偶然目にしたのだった。城主がYou are welcom.と言って下さるのだったら、来て気功教室をやってもいい、と本気に思ったおめでたい松の内であった。

金沢へ

車窓から。山の好きな私にはたまらない光景。

車窓から。山の好きな私にはたまらない光景。

今年はお正月休みが長かったので、二泊三日で金沢に行ってきた。本当はそろそろスキーを始めたいのだけれど、良い雪も降っていないようなのであきらめた。金沢でまず見たかったのは「金沢21世紀美術館」。SANAAが設計し2004年に開館した。SANAAは2010年にプリツカー賞(建築部門のノーベル賞と言われている)を受賞している。

とても個性的な建物だったけれど、展示スペースが広大で、このスペースに負けない芸術家が必要だと感じた。その芸術家の一人は柿沼康二さんで全身で書いた大きな書を展示していた。一見すると絵に見える「喰」やぼかしを上手く利用した「おまえはだれだ」が面白いと思った。

あまりインスタレーション(空間全体を作品として体験する)は好きではないのだがイスラム社会の一方に男性の視点、相対して女性の世界を写したヴィデオ・インスタレーションは社会構造とそれを外から見る私達の立場がその空間と一致して、不思議な高揚感があった。

能登の文化をそのまま持ってきたような島袋さん中心の企画も、この美術館ならではのもので、幅広く「美術」を扱っているのには好感が持てた。金沢を訪れた方は是非足を運んでください。

明けましておめでとうございます

あっという間に2014年になりました。今年もよろしくお願いします。一日にはおみくじを引いたり、サポーターズサイトに入っている人からのメッセージを受け取ったりします。そのどちらも今年はかなり厳しい年であることを示唆していて、正直正月からめげました。昨年は忙しくしつつも、何とか思い通りの仕事をすることができました。

それが今年は「何事も時の到るまで天にまかせて 静かに身を慎んでいれば。。。」とか「生きていくことの大変さを痛切に感じるかもしれません。」「一つや二つ嫌なことがあったとしても、音をあげないこと。」と少し大人しくしとらんかい、と言わんばかりです。

ガラス越しのお正月

ガラス越しのお正月

今の私の状況で音をあげた、というのはどうすることだろう。何か嫌なことがあって、(1)老いた父母や家族を捨てて山に逃げ込む。(2)今やっている教室を全てやめ、気功師の看板も降ろして遊興三昧に走る。(3)人間関係も嫌になって引きこもり、一日中音楽の世界や本や美術の世界に閉じこもる。外から見たら敗北かもしれないが、これらはなかなか楽しそう。遊興三昧以外はお金もかかりそうではない。これまでの人生で音をあげた覚えはないので、(不平不満やクレームは言ってきたが)今年は音をあげてみようかな。

明るく正しい新年の誓いではなくて失礼しました。皆様におかれましては、どうぞ良いお年をお過ごしください。