Monthly Archives: March 2013

震災から二年

震災から二年。この年月は短いのか、長いのか。まだ避難者が30万人を超え行方不明者が2668人、ガレキの中に転がっている車、手つかずの様なテレビに映る風景を見ると二年は短いと思えるし、テレビやメディアの取り上げ方や寄付をする所が少なくなったのを見ると、二年という年月はもう風化をもたらすのかと感じてしまう。

小金井公園。梅が真っ盛り。

小金井公園。梅が真っ盛り。

でもこれも傍観者の見方なのだろう。被災地は今も震災の真っただ中。地震、津波、原発、風評被害の四重苦で生きる希望を失ってしまう方もいる。故郷を諦めてしまう方も多い。これからは被災地の方とアベノミクスで日本の経済が良くなったと勘違いする人達の、色々なことに対する認識の格差が大きくなるだろう。3.11を原点に日本を見直すことを忘れてしまったら、日本は方向を大きく間違ってしまうだろう、とそのことが怖い。

私が作る笑い話

私が作る笑い話は、私が創作する笑い話ではない。私が生きていく中で生まれてしまった笑い話だ。例えば昨日、今まで撮った写真が全てmemory cardから消えてしまった。驚いてカメラを買った所に行って見てもらった。店員さん「確かに全て消えてますね」私「えっ、やっぱりそうですか?戻りますか?」悲しそうな顔をしてくれて「無理ですね」私「どうして消えちゃったのですか?」「それはおたく様が消したからです」どうやら「全て消す」を誤って押してしまったようだ。。。ひたすら悲しい。

街の夕暮れ

街の夕暮れ

勤めていた時はよくスキーに行った。たまたまリフトで高校生位にみえるお兄さんと乗り合わせ、スキー談義に花が咲き、良く行くスキー場だったので「あそこはこぶがたくさんある」とか「あちらのスロープは中級者には滑りやすい」と教えて差し上げた。にこにこして聞いていて降りる時「僕ここでスキーインストラクターしてるんですよ。お気をつけて滑ってください」と言われ赤面and唖然とした。さて、さんざん滑って帰ろうとしていた時、そのお兄さん、どこからともなく寄ってきて「もっとしっかり前傾姿勢をとらないと勾配がきつくなると滑れませんよ」と親切にご指摘くださった。またまた赤面の一幕だった。

 

花粉症

気功は勿論万能ではない。まずウイルスとか風の菌を殺すことはできない。ただ症状が軽くなり、良く眠ることができるようになった例はある。あと子供のアトピーは改善できたが、漆によるかぶれには効果がなかった。また私自身も長年悩んできた花粉症も気功で一時良くなったけれど、黄砂が混じるようになったら又後戻りしたような感がある。気功で軽減できるが何しろ相手は大気の中に潜み、四六時中攻撃なので漢方薬や抗ヒスタミン剤の入った薬を飲んだ方が早い。まだしたことはないが、あまりひどくなったら自分で自分を遠隔で気功するしかないと思っている。(笑)

娘の様に可愛がっているチェコちゃんとタペさん

娘の様に可愛がっているチェコちゃんとタペさん

気功教室の皆さんには、まず気功の基本をきちんと習得して頂きたい。その上で自分の得意分野を作って欲しい。上記には「気功の不得意な分野」を書いたがそれはmy気功であって「皆さんの気功」ではない。人格が各々違うように気の質も違うと思う。何故私が気功師になったかと言うと、人のために自分を活かせる場所があると確信できたから。西洋医学から落ちこぼれたような方も沢山みてきた。言ってしまえば私の「不得分野」は皆さんのチャンスでもある。でも基本はしっかりとマスターしてください。20年積み上げてきたものを伝授しますので、しっかり受け取ってくださいね。基本をしっかりすることがどんな分野でも一番の早道です。

 

映画と気功の話

着物仲間の一人が「レ・ミゼラブル」は面白い、と教えてくれたので、忙しい中思い切って行ってきた。すると館内でカード会社の方に呼び止められ、カードを契約すると映画の券を一枚くれるという。一度使えば年会費は無料と言うので、悪い話ではないと思い契約。無料で見てしまった。何というラッキー。ついでにその方に気功の宣伝も出来て二重にラッキーだった。水曜日は女性デーと思っていたが、今はもうないそうな。(土、日の夫婦か夫婦らしき人達、どちらかが50才以上の割引はまだある。)

映画はセリフが皆歌になっているけれど、ほとんど英語なのでリスニングの練習したい人にもお薦め。肝心の内容はただもう感激。単純な完全懲悪でもなく、「人を許す」ということはどういうことか、この世で正しく生きるとはどういうことかを考えさせてくれる。子役の才能も光っていた。

駅の生花。素敵なセンスだと思う。

駅の生花。素敵なセンスだと思う。

今日は気功的にも(?)嬉しいことがあった。母の所に行く途中のお店で働いている女性に、気功教室の話をして「来ませんか?」と声をかけていたのだけれど今日、OKの返事を頂いた。これでめでたく七人になった。責任重大。まだ返事を貰ってない男性が一人、来ると言って大怪我をしてしまった女性が一人。どんなに少人数でもやるしかない、と覚悟していたのでもう十分だがチラシがまだあるので、後五人程は募集の予定。

 

正義とは何か

これだけ価値観が多様化すると、「正義」が怪しくなる。(多くの冤罪が問題になっているのに)どんどん死刑を実行して、一方武器開発はよしとする。福島の放射能汚染水のタンクが満杯になってどうしようもなくなり海に又流すことも考えている状況で、原発再稼働、どころか原発新設も前向きに(?)考える。訳がわからなくなるが一つのkey word(キーワード)を発見するとなーるほど、とよくわかる。

それは経済優先、もっとずばっと言うと「お金」。お金はたしかに便利なものだけれど、政治家は物事を判断する基準を正義とか友愛、助け合いや思いやりといった人間らしい価値観より、「お金」を得られるかどうかに置いているのではないだろうか。だからいつの間にか経済的に豊かになることが正義になっている。そういう政治家を選んだ社会、私達にも責任がある。

夕暮れ時の街の風景

夕暮れ時の街の風景

気功に関して「安いですね」とよく言われ、或いはそれが軽んぜられることに繋がるかもしれないが、お金の価値でははかれないものを伝えているので、あえて安く設定している。でもいいの。天に宝を積んでいるのだから。(本当は邪気を払う手のひと振りは一万円也!というプライドは持っている)

 

恐るべし、適性検査

確か小学生だった時、職業の適性検査をした。立体、空間が得意な人は、何故か一番難しいと設定されていたパイロットにもなれる可能性がある。私は立体、空間が不得意だったので難しいとされる職業は軒並み不向きで、その時わかったのだが「手」の動きがとても良くて(頭の動きではない)最適なのは「手を使う工場の作業員」というようなものが出た。、子供心に複雑な気持ちになったのを覚えている。

芸小ホールの公園にて

芸小ホールの公園にて

でも確かに就職したのは外資系企業だったので、毎日英文タイプを凄い勢いで打っていたし、今は「手」を道具にして気功師になっている。また一番の趣味はピアノなので、やはり体の中で何を一番使い、仕事や趣味に役に立っているかというと、残念ながら頭や顔や容姿ではなく、足でもなく「手」ということになる。う~ん、恐るべし、適性検査。

浅草演芸ホール

昨日、講演会の帰りお友達を誘って浅草演芸ホールに着物で行ってきた。着物は枝花柄。薄いピンクに灰色の斜の模様が入った地に、蕾がついた枝の模様が白く抜いてある。梅にも桃にも桜にも見えるが抽象的なのでいつでも着ることができる。帯は赤系統の更紗。本当は紬に合わせるものだが、今はうるさいこと言わないわよ、と仲良くしている呉服屋の奥様が教えてくれたので合わせてみた。

道端

道端

さて浅草演芸ホールには2500円で入場し3時半から6時までいた。物凄く好きな人は11時40分から夜9時までいることができる。(途中外出はできないが、売店や自販があるので何でも買える)落語、曲ごま、漫才、端唄、紙切りと飽きない。特に、昼の部最後の歌之介の落語は時事もおりこんで秀逸だった。また園歌のように80才過ぎても元気に活躍している方もいて、今の時代に羨ましいと思ったことだ。すごく満足して、もんじゃ焼きを食べて帰った。友達は20才近く年が離れているけれど何の異和感もなく話しができるのは、私の精神年齢が低いのか、相手が大人の女性なのか。。。後者だと信じたい。

母の誕生日

今日は母の83才の誕生日。昨年の3月31日に倒れたので約一年たった。母にとって最も過酷な一年だったに違いない。「車椅子に座っていられることが最終目標」と言われたくらいひどかったのに、自分で食事をとれるようになった。言葉に関しては発っすることも無理、と言われたのに、買ったセーターと上着を見て「これ、可愛い」と言ってくれた。お母様が母と友達の鮫島有美子さんの日本の歌を一生懸命聞き写真を見せると「うん、うん」と頷く。

よくここまできた、と思う。本人はしんどいだろうけれど、やはり子供としては生きてくれているだけで心強い。余程うちに連れてきてしまおうかと思ったことも何度かあったけれど、車椅子がはいらない、バリアフリーではない、トイレ、風呂が寒いなどいくつも直さなければならないことがあり叶わなかった。老後のことも頭に入れてうちを考えなければいけない、と始めて気がついた。

公園の風景

公園の風景

一つ不思議なことは、私も本当に大変な一年だったのに気功に関する仕事は意外な程進展を見せ、形になり始めたことだ。今までもそれなりの努力はしてきたはずなのに、どうしてかよくわからない。忙しい、忙しいで密度が濃くなったのか、母を見て自分もあまり呑気にしてはいられない、と思ったのか。まだまだ目標には程遠いが、与えられたチャンスをものにすべく邁進していこうと思う。