月別アーカイブ: 2013年6月

お金を使って欲しいところ

先日、友達と話していたら、福島原発に入るためのロボットを作るために多くの人が一生懸命働いたが、それに対してあまりお金はおりなかったという話を聞いた。試作で作っても採用されるのはわずかで、ほとんどは無駄になるかもしれない。でも色々なことが「想定」できていたなら当然今までに、研究費として出されていなければいけない費用だ。東日本大震災の復興予算はこういう所に沢山使われるべきではないのか?

母に会いに行った帰り百草園でおそば頂きました。とてもおいしかったです。

母に会いに行った帰り百草園でおそば頂きました。とてもおいしかったです。

日本の北から南まで6時間半で結ばなくてもいいからまず、高速道路、トンネルを全部点検して補修し、安全な交通網にして欲しい。技術を追求するのは素晴らしいことだけれど、政治的には国民が本当に「一刻も早く」目的地に着きたいと願っているのだろうか?私にはそうは思えない。反対にのんびりと旅路を楽しみたい人が多い気がする。これからは先に行くことばかり考えないで、もっと足元を固めることに私達の税金を使ってほしい、と切に願うこの頃である。

ある方のこと

自分で言うのも変だけど、時々人と感性が違うのかなと思うことがある。あるパーティーでホストの方が私の近くに来て下さった。一言私と話をしてからホストは皆さんとのお話を始めた。私の横に座られたので、ばっちり横顔を拝むことができて、(すごい、福耳)とか(う~ん、太ると頬の筋肉が大きくなって首が見えにくくなるんだ、でも総合的に可愛い)とまじまじと観察させて頂いた。(失礼!)

後日、一緒のテーブルに座っていた方に懇願された。「ホストの方がテーブルにいらしてすぐ、私がどんな相談をその方にしたのか、それにどうホストは答えられたのか」、どうしても教えて欲しいと言う。私は始め何も思い出せなかったが、しばらくしてやっと思い出した。中腰でホストが他のテーブル席のお客さんと話していたのを見ていたので、「お腰大丈夫ですか?」と聞き、「あっ、全く心配要りません。」と答えて頂いたのだった。ただそれだけ。privateなことを相談する時間などある訳ない。いつでも「隣の花は青い」のだ。

まだツツジが満開の所もあるようです

まだツツジが満開の所もあるようです

ホストの方は迫力があり時に強持てだけれど、とても性格的に可愛い所がある。先日発見したのだが、容姿も後ろ姿が特に可愛い。何となくいつも身近に感じているからなのだろうか、側にいらしてもあまり緊張しない。でもせっかく話しに来て下さったのに、その内容も覚えてない程、横顔を拝見するのに一生懸命だったのは熱烈なファンの方達に対しても悪かった、と反省している。

エミリ・ディキンソンの詩

5月の詩の朗読で、エミリ・ディキンソンの詩を教えて頂いた。彼女は全米最初の女子大を出たが、協会とも家族とも社会とも合わなくて引きこもりの生活をし、独身のまま56才で亡くなった。詩の中で、何かの本質を知るにはそれに対する飢餓感が必要だ、とうたっている。例えば「成功をもっとも甘美だと思うのは 一度も成功したことのない人たち。 美酒の味を知るためには 極限の乾きが必要だ。」というフレーズがある。

彼女に捧げる白い花

彼女に捧げる白い花

これを読んでいるうちに、食べ物が美味しいと思ったことがない王様に「一番おいしいものを食べさせます。」と言った若者が一日中王様を働かせて、その後食事をしてもらい、王様がその美味しさに感激して約束を果たした、という物語を思い出した。彼女が得られなかった外での自由、他人とのぬくもり、日本でのおいしい食事、慣れてしまえば有難さがわからなくなる。社会や政治に対する冷静な眼と批判は大事だけれど、日常の一つ一つのことに感謝の気持ちを忘れてはいけない、と詩が教えてくれた。「彼女は色とりどりの箒で掃く」で始まる、夕焼けの美しさを擬人的に歌った詩もとても素敵だ。

 

あっという間の片付け

英語教室を経営しているYさんから本を借りた。汚したらどうしようと心配している私にYさんは「いいの。捨てるつもりで貸しているから。私は家に読んだ本は置いて置かないから。何でも捨てちゃうの。」と言った。それを聞いていたY氏「へ~、誰かさんとは正反対の性格だね。物があふれてるもんね。机の上も。」と痛いことをおっしゃってくれた。うちに来て実際に見ているので事実である。

雨が恋しい紫陽花

雨が恋しい紫陽花

そこで私は反論した。「私だけの責任じゃないもんね。家族は四人だから私の責任は1/4。机の上が気になるんだったら今度家に来た時、片付けるの手伝ってね。」Y氏、「いいよ。何するの?」私、「まず、テーブルクロスの二隅を持っていただきます。私はもう二隅を持ちます。それを中身がこぼれないように二人で隣の部屋へ運びます。終わり。」Y氏のあきれた顔。いえ、ちゃんと反省して何とかします。

今まで習った英語って何?

もうそんなことはないだろうけれど、私が習った英語の始めは゛This is a pen.” だ った。確か次は”That is a pen.” で疑問形は゛Is this a pen?” と続く。今考えると幼児に単語を教えるならともかく、中学生の日常英会話では決して使わない英語である。何故This is の代わりにThere isを教えなかったのだろう。これならまだ自然だ。もう一つ。゛How are you ?” に対して゛I’m fine. Thank you.” の答え。最近知ったのだがforeigners からすると「私は大丈夫よ。(ほっといて)(でも)ありがとね。」という感じらしい!!!どなたが英語の教科書を作ったのだろうか?

お山大好き。また登りたい。

お山大好き。また登りたい。

多くの日本人はぜいたくな、又は豪華な、を英語で言うとluxuriousまたはgorgeous(ゴージャス)と思っているが、その意味の英語はluxurious(ラグジュアリアス)が正解で、She is gorgeous.と言うとほとんど最高の人格についての褒め言葉になる。今日はgown(ガウン)でびっくりした。dressと言うと外国人はcock-tail dressとかevening dressを普通思い浮かべるようだ。ここまでは日本人の感覚とほぼ似ている。ではガウンはどうか?My teacher はvery very formal (最高に正式な)服、と教えてくれた。日本人が言うパジャマの上に着るイメージのガウンはdressing gown と言わなければならない。This is a pen.よりこういうことを教えて欲しかったな。

ファッション移り変わり

ここ何年か東京だけでなく地方に行っても、日本の女性はスカートをはかなくなってしまったのかと思うくらい、パンツ姿の女性がほとんどだった。また一昨年の3.11の頃から一年程は明るい色を着るのがはばかられる位、女性も黒、灰色の系統の服ばかりで、電車に乗っていても人が来ている色彩の暗さにため息が出たものだ。

緑一杯の箱根美術館

緑一杯の箱根美術館

ところが最近、趣が変わってきた。若い人はスカート、それもミニを良く目にするようになった。そして色彩もすごく派手というのではなく、パステルカラーのような優しい明るい色が増えてきた。何となく嬉しくなって、「私もスカートやワンピースをはこう」と張り切り、それにはと夏用のスリップ(ワンピース型の下着)を買いに行った。ところが。。。思わぬことにどこに行っても「うちには置いていない。」と言う。スカートには裏地がついているので、必要ないということらしい。petticoat(スカート型の下着)なら少しあるという。時代の服装の変化に驚いていたら、「驚く方が多いですね。」なんて言っている。きっと私とおなじ年代なんだろうな、浦島花子さんが私だけではないことに、妙に安心した一幕だった。

気功教室について

今、国立と昭島で気功教室を開いているが、KIRAKU気功教室は内容が進んで行くので、いつでも入いって頂くというわけにはいかない。国立教室の方は5月に連絡して下さった方がお二人いて、二回別にレッスンをして教室に合流していただくことにした。6月から申し込まれた方は、少なくとも6人程度になるまでクラスの開催を待って頂くことになる。

切られた花もその場所で精一杯花開く

切られた花もその場所で精一杯花開く

昭島教室の方は1期がもう少しで一段落するが、二期も6月から始まるかもしれない。昭島1期は少人数なので丁寧に出来た反面、実践となると色々な方にあたってない分弱いところがある。これからどうやって実際のヒーリングをして頂くかが課題となる。気功に関して私がやるべきことは山とあり、ひっくり返って音楽聞きながら、漫画を読んでいる暇などないのである。