月別アーカイブ: 2018年12月

人の大きさとは

人が大きい、つまり器が大きいとはどういう人なのか、と時々考えていた。気前良く自分のものを何でも分ける人とか、自分の技術を惜しみなく公開して利用させる人、誰にでもやさしい人、でも人間だから表面的なものでは本当のところはわからない。政治家になりたい人の選挙活動中の愛想よさは、選挙後もずっと継続するものではない。人というのは「下心」というものがあるから。

とすると、器の大きさというのは他人からの評価で決まるものではなく、全てはその人の内にあり、大切なのは「動機」ということになる。実は何をするにも「動機」が大事ということは、今学んでいるスピリチュアリズムでも言われている。

さて、動機を決定するにはどうしても「視点」が必要になる。もし、自分のことしか考えなかったら、動機も自分さえよければ、になる。もう少し大きく「家」のことを大切にしようとすると(昔の日本のように)視点は上下に延びる。先祖を大切にして、未来のことも考えようとするが、横方向はどうでもいいので、「戦国時代」となる。水平方向の視点しか持たないと、「今」の世界は大切にするが、行き過ぎると「今」さえ良ければ後は、知らないよということになって、現代のように環境破壊が進んでしまう。

日本の建物の色もカラフルになったけれど、上品さがある。

結局、視点が上下にも水平方向にも向かうことが必要で、しかも先祖も子孫も周りの人も自分と同じように大事に思う気持ちがあれば、かなり器の大きい人になれるだろう。今は、人ばかりではなく、他の生物も自然にも敬愛する気がないと、もう地球は持たないような気さえする。

この立体的とも言える視点を是非持って頂きたいのは、政治家だけれど、「そして誰もいなくなった」政府のトップを始め、その大統領に何故か頭の上がらない〇〇の首相といい、視点がどこにあるのかわからない政治家が多すぎる。いや、自分の国さえ良ければいい、という視点がはっきりしているとしたら、自分だけが良ければいいという考えと、範囲は違うが視点は一緒だろう。

などということをこの年末に考える時間があったのは、母が一月に亡くなって喪中だから。正月飾りは必要ないけれど、大掃除はしなくてはいけないね。明日は大食いの三男が帰って来るし、結局主婦泣かせの忙しい年末年始が始まる。(友達も異口同音に、正月とお盆は忙しくて嫌、と言っております。)

今年の個人的感想ー時間について

今年ももう、終わってしまう。早いのなんのって。でもこの感じは私の周りの方は皆さんおっしゃっているので、私だけの感覚でもないようだ。何故、時間かかくも早く過ぎていくのか?一つには前倒しの環境があるだろう。今年は7月の末におせちの広告が入った!11月に入ったらクリスマス。「今」を味わう余裕が失われている。

でも、私がもの凄く気力が充実していて、ストレスもさ程感じず体が軽やかに動けば、時間に負けずに何でもぱっぱっとこなして、時間が早く過ぎると感じなかったかもしれない。一日の終わりにああ、これもあれもできなかった、と思うことが増えてきた。このブログを書くことも、夜は疲れてなかなかできなかった。結局年のせいか?とは思いたくないけど、と考えたら、すごく時間が長いと感じた体験を思いだした。

30代の時、卵巣膿腫の手術をして、その後傷口がとても痛かった。二日くらい我慢すれば痛くなくなると言われたけれど、その二日の長かったこと。何度も時計を見て時間が進まないことにがっかりした。その時の経験が今の気功に結びついているので、必要な経験だったかもしれないけれど。

今日の新聞に「がん患者の4割が、亡くなる前の1ヶ月間、身体の苦痛がある状態で過ごしていた」という記事を見た。終末期の方をお願いされて一応診断だけはして、ヒーリングはお断りしたけれど「お陰様でとても安らかに旅立ちました。」という言葉を頂いた。考えてみれば私の両親も、苦痛は父の腰痛以外訴えなかった。それも体位を変えたら治まる程度だった。

両親の一周忌を覚えていて下さる方がいて感謝です。

話が横道にそれたが、時間を長く感じるのが死を目前にした苦痛ある状態というのは避けたい。来年は一日一日を今日が最後と思い過ごし、寝る時には「我ながら精一杯やった」と思えるようにしよう。しかし一つ問題が。昼間突然眠くなる時があり、その誘惑に負けて一眠りする時とても幸せを感じる。60過ぎたらこういう時間が多くなると思って楽しみにしていたのに、「死ぬまで働け。年金もできたら70から。」という時代になり、トホホの今だ。

とにかく来年は、濃い時間を沢山作り、今年は長かったと思えるようにしよう、とこれがNew Year’s Revolution 。