月別アーカイブ: 2017年9月

なんともはや

今、世界情勢、特に政治の世界は現実のものとは思えない。何が本当のことか良くわからない。私の感性からすると、政治家は強がるのは職業上仕方のないことかもしれないが、少なくとも並以上の品性が欲しい。でも品性どころか相手を出し抜いて、たたきのめすのが正義だ、といわんばかりだ。お願いだから小国、日本を巻き添えにしないでよと言いたい。自分から巻き添えになろうとしていると思えなくはないが。。。

山への憧れ、いつもあります。余裕ができたらまた登りたい。

クラスでも、時々世界情勢の話が出る。「ボタン一つで決着のつく時代。気がついたら、みんなであの世に移っていたというのなら、それはそれで楽かもしれない。一人だけとか生き残ると大変ね。」と言っている。可能性はあるかもしれないが、常にそれに怯えるのは時間=人生がもったいないと思う。それにしても随分短期間で世界は変わった。つい20年位前までは、今から考えると本当に大らかな時代だった。そして日本はなんて幸せな国だったのだろう、と今更にして思う。いや、紛争やテロが日常的になってしまった所から比べると、日本が今も幸せなことに変わりはない。しかし、どんどん幸せな基盤がもろくなっている様な気がする。

87歳の母まで終末を宣言され、立川と武蔵小金井の病院をほとんど毎日、振り子のようにいったり来たりしているので、この夏はあまり他のことを考える余裕がなく過ぎてしまったが、ニュースは災害と政争、虐待の話ばかりで、繊細な方は情報のない世界に行ってしまいたい、と思われたことだろう。国立の我が家にいると、虫がうるさい程鳴き、木の実はたわわになり、昔と何ら変わりがなく、自然の声をず~っと享受していたい誘惑にかられる。『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのようにつぶやいてみる。「明日、考えよう」と。

振り子のような日々

あまり仲良くなかったのに(傍目には)父と同様、母も食べ物、飲み物を一切口にしなくなった。どんどん痩せて、今顔がすっきりして、とても美人だ。お見舞いに来てくれる方が「お母様、相変わらずお綺麗ね。」と言うのを複雑な思いで聞いている。

聞いてはいたが、一つの病院に長くいることは難しく、(それでも病院側はかなり譲歩してくれたけれど)この猛烈な暑い夏、両親のことで飛び回り、かなり体力を使った。(と思った)

今、又病院に戻ってしまった母が、施設の夏祭りの時(9/3)は戻っていて参加できた。私も久しぶりにスタッフの方々とお会いできた。「お痩せになりましたね。」と男性のスタッフさんから声をかけられた。「そうなんですよ。あちこちしたので。」「暑いからしょうがないですね。」「そう。自転車に乗っていても、かなりこたえます。」と言ったら一瞬黙って私の顔を見た後、大笑いして「お母様のことですよ。」と言われた。ああ、介護職のスタッフさんは何はともあれ施設に入っている方を気にしてくれるんだ、とあり難く思うと同時に、これだけ動き回ったから、かなり痩せたであろうという思い込み(希望)がばれてしまって、ちょっと恥ずかしくもあった。
「命あっての物種」とは良く言ったな、と思いながら施設を後にした。

百合、再び。両親へのお見舞いです。


今から父の病院へ向かいます。老後の病気について感じたことなど、又書いていこうと思います。