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人間の中の天使と悪魔(2)

題から、私が父の中の悪魔と天使について書きたかったのだろう、と普通は思われるだろう。でも違う。実は自分の中の悪魔と天使についてである。社会福祉の職についている方が「男の人で、おりあらば女性の体に触る方は年配の方で沢山とは言わないけれど、結構いらっしゃいますよ。」と言っているのを聞いて驚いたことがある。「どうするんですか?」と聞いたら「あら~、駄目ですよ~。」と言ってやんわり止めさせる、とおっしゃっていた。ふ~ん、私は若かったんだなとその時思った。とにかく、育ててくれて成人した、ある程度の教育も身につけさせてもらった、おいしいものを沢山食べた等々、考えると感謝こそすれ、憎む理由はあまりない。

家族というのは意外にやっかいで、「親」だから「子供」だからという理由で他人とは全く違う関係になってしまう。精神世界の勉強で学んだように、「一人の人間」と捉えれば「会社でかなりのストレスを感じていた少しスケベな親父」で終わってしまう。でも戦争も乗り越え、とにかく真面目に家族を養ったことは忘れてはいけない。子供から見ればそれが当然と思ってしまうが、父親、夫、世帯主という責任を背負って生きてきたことに間違いはない。では私の憎しみはなんだったのか?

母から父の愚痴を聞かされ続けたのは大きいと思う。でも父を憎んだ心は、自分の欠点を父の中に見たからではないのだろか?もしくは自分のストレスや暗い部分が父の中にある同じような部分に過剰に反応したのかもしれない。反応したのは私の悪魔の部分だった。人間なら誰でも心の中に悪魔と天使がいて、ただ、その割合が人によって違い、生きるということは天使の部分を広げる作業だという説に今の私は納得している。

さくら、さくら、今咲き誇る、でした。

さくら、さくら、今咲き誇る、でした。

昨日、父の手術で病院にいた。そばにいると安心するようで無事手術も終わった。今は何かしても「有難う。あんた時間使わせて悪いな。」と穏やかに言ってくれる。ここまで来るのに随分な時間、かかったね。母が倒れた5年前、父のせいだとその時も憎んだが、それも自分が母に十分なことをしてあげられなかった、という思いから出ているのだろうと思う。勿論これから父も、自分について反省する時間はたっぷりあるだろう。でもそれは私には関係ないこと。人は自分の中の悪魔と戦えるのは自分でしかない、ということを私はやっとわかった。

人間の中の天使と悪魔(1)

前回、父のことを露骨に書き過ぎてしまったと反省している。「覆水盆に帰らず」なので、今回は今まで父に憤ったことと感謝したことも書いておこうと思う。母は80近くなって驚くほど腰が曲がり、歩行困難になった。そんな母を父は疎んじた。どこかに行く時も、自分の奥さんだと思われるのが嫌だったようで一緒に歩かず、なるべく離れて歩き、電車も違う車両に乗った。なので、母は段々外出をあきらめるようになった。二人しかいない家の中で、口が達者な母にいらだつと時々手をあげた。そんな話を母から聞くと、私は(今から考えると)こともあろうか、「やられたら、何でもいいから近くにある物を使って反撃しなさい。お父様も痛いということがどういうことか、わかった方がいい。」と言った。あやうく母か父を人殺しにするところだった。

そんな父にきれて、何を言ったか忘れたが、多分もの凄くきついことを言ったのだろう。何か言って父は黙り込んだ。そうしたら、後から母から電話がかかってきて、私に話しがあると言う。何かと思って会ったら、私が言ったことを父が母に言って悲しんで涙ぐんだという。何と「お父様が可哀相だから」父に謝れ、という。確かアメリカから来た姉と甥夫婦のために大奮闘して、父母も一緒に旅行をした最後の日にお礼の一言もなく、これ以上理不尽なことはないことを言われ、それに対して反発した言葉だったと思う。金銭的にもほとんどうちで負担したのが、父の沽券にかかわったのだろうか?親孝行もかねてしたつもりが「謝れ」という結果になり、また逆上しそうになったが、それよりもその時ほど「夫婦関係は子供でもわからん」と思ったことはない。

お寺の桜

お寺の桜

そんなあまり感心できない親子関係だったが、父は私に子供ができると、正確には長男が三ヶ月ぐらいしてから急に可愛くなったのか、それこそ「目に入れても痛くない」という言葉がぴったり当てはまるくらい可愛がった。残念ながら転勤族で、長男が一才過ぎたら遠く離れてしまったけれど、男の子三人、皆可愛がってくれた。この愛を妻と子供に少し向けることができなかったのかと思ったこともある程、私は別人を見るような思いだった。私達は勉強でわからないことがあって聞いても「なんで、こんなことがわからんのか」と先ず怒られ、しょっ中「ばか」と言われて育った。ところが、長男が二浪が決まった時、わざわざ電話してきて「男はいずれ社会に出る。人生の中で二年余計に勉強するのは、有意義だ。」と言ってかばった。私は心の中で「そんなこと言うなら塾代出してよ。」と思ったけれど、気が弱かったので(?)言えなかった。

再び、父とのこと

父は頭のいい人だったが、(あくまで学問的な意味で)母から言わせると「とても利己主義」な人で、小さい頃からそう何度も聞いてきたので、母が好きだった私は父が好きではなかった。特に思春期の中学生、高校生は多分憎んでさえいた。大学生になると胸やお尻に触りたがり、憎しみを通り越して嫌悪になった。外から見ると優秀な平和な裕福な家族で、非の一点打ち所がなかっただろうと思う。母は一生懸命それを演出していた。私はある程度協力したが、姉はあほらしくなったのかアメリカに留学に行き、それきり帰ってこなかった。私も結婚して家を出た。

 

さくら、さくら、今咲き誇る♪

さくら、さくら、今咲き誇る♪

私が生まれた家族の物語は、これで終わるはずだった。しかし気功師を名乗るようになって、必要に迫られて精神世界を勉強するようになってから、終わった、と思っていた家族関係の大きな見直しを迫られた。「家族は学校であり、親はOB、OGである。」「家族は自分の映し出しであり、自身の向上のためにそこから学ぶためにある。」「憎いというのは、何かを期待して、依存している証拠である。自立していたら、親を一人の人間として見ることができ、理解できる。」これらの言葉は親と言えば「親孝行」か「親不孝」しか思い浮かばなかった私にとって、斬新で、まさに目から鱗が落ちる思いであった。

結論から言ってしまえば、つい最近家から車で5分、自転車でも10分足らずの距離の施設に入ってもらった95歳の父と、いつも使う駅から見えるくらいの距離の施設にいる、87歳の母の世話をしていると、(本当に世話をしているのは施設の方達だけれど)ああ、これは神様が私に家族関係の修復のために用意してくれた時間なんだとしみじみ思う。特に疎ましいとさえ思っていた父を車椅子に乗せて、病院の中をあちこちして、余分な検査は受けないように奮闘していると、時々保護すべきベビーカーに乗せた子供を押している様な、不思議な気持ちになる。

昨日帰りにママ友に会い、そんな話をすると、「お世話になった恩返しができて良かったわね。」とさらりと言われた。そうなんだ、これは家族関係の修復というより、自分が後悔しないための私のための時間なんだ、と気づかされた。昨日は曇り空だったけれど、桜は満開で美しかった。病院でついでにお見舞いに行った方の部屋から見た桜は、息を呑むほど美しく、壮麗という言葉がぴったりで、吉野の桜もかくやと思われた。(肝心なところで写真を撮りそこなった。ゴメンナサイ)振り返って、ぎっしりとドラマの詰まった一日だった。