月別アーカイブ: 2016年7月

楽しい会話

母のいる施設に行くと、たまに楽しいことがある。他の入居者の方と会話できた時である。先日行くと新しく入ってきた方で、クレーマーっぽい女性がいらした。例えばおやつの時間、母は要介護5なので、どうしても全てゼリー状になる。その方は結構お元気なので普通のカステラだった。母のゼリーを見つけると「私もゼリーが良かった。選択できるなら、どうして前もって教えてくれないの?不親切じゃない。」と怒り始めた。私や職員の方が説明しても、聞き入れない。私はほうほうの体で逃げ帰ってきた。

しばらくして行った時、かの人はなんと母の隣に座っていた。一瞬怖気づいたが、「理解されるより理解することを」と思い、お話することにした。しかし今度は母の前に座っている方が私をじっと見て「毎日来てる」と大声をあげた。これも事実と違うので、少したじろいだが、すぐお近くにいた職員の方が「どなたが毎日いらしてるんですか?」と話しかけてくれたので、とりあえず母の隣の方とお話することにした。話してみるとその方は、母より一つだけ年下だった。とてもしっかりなさった方で、この人(母のこと)はいつも車椅子なのか、とか話はしないのか、とか母に何があったのかという様なことを聞いてくる。いい機会だと、わかってもわからなくても少し専門的な以下の会話をした。

クラスの方から頂いたお花。美しいお花と芳香が幸せな空気を作ってくれた。

クラスの方から頂いたお花。美しいお花と芳香が幸せな空気を作ってくれた。

「母は自分の家で、左側の脳に出血して倒れたんです。父が暫く気がつかなかったので、多量に出血をして当時は生きるか死ぬかでした。」「あんたは気がつかなかったの?」「毎日来てる。」「私の家は実家から一時間半以上、車で行っても電車で行ってもかかるし、でも前から『台所は温度差があるから危ない。』と言ってたんですけどね。」「毎日来てる。」「何もできないの?車椅子には座ってるわね。」「ええ。不幸なことに左脳だったので、右手が使えなくなって。。。」「ああ、脳と体は左右反対に出るんだわよね。」「よくご存知ですね。それから言語野という言語を司る所も母は左にあったので、言葉も出なくなり、こちらの言葉も理解が困難になりました。」「毎日来てる、毎日来てる。」「でもここに来てたべてるじゃない。」「ええ、お陰様でリハビリで左手で何とか食べれるようになりました。」「毎日来てる。」と合いの手が頻繁になってきたが、負けずに話す。「うちの母は四年前に倒れたのですよ。お宅様はお元気でお話できるし、羨ましいです。」と言ったら、その方は少し悪そうなお顔をなさった。本当はやさしい方なのだろう。

「毎日来てる。」と前の方の声が大きくなってきたので、もはや無視もできず、「私はここは近いので毎日来たいのですが、今週になって今日が始めてですよ。」それでも私を睨みつけるように「毎日来てる。」  と、母が顔をしかめて私に「帰れ。」と手を振った。ここが潮時かな、と思い「私は毎日は来てはいませんが、いつも母のことを心配しているので私の生霊は毎日来ているかもしれません。」と大声で返してその場を後にした。職員さん達の笑い声を背に聞きながら。

ショックなこと

今日、とんでもないニュースを知った。「フランスでトラック突入80人死亡」 何故フランスを狙うのだろう。子供も多数いたようで、そして犯人はたいてい射殺され、「テロ」の一言で不条理な殺人は片づけられてしまう。いつしか深く考えなければいけない問題も、次から次へと起きる殺戮と自然災害で上塗りされ、忘れられてしまう。テロ、虐待、自殺の共通する部分を一度徹底的に検証する必要があるのではないか?経済格差、満足と不満足、幸せと不幸せ、自己と他人、アイテムはいくらでもありそうだ。混沌としてきた世の中で自分の立ち位置をどう決めるか?どの様に自分を貫くか?これからこの様なことをしっかり考えていかないと、すぐ足元をすくわれそうな気がする。フランスの犠牲になった方達の死が無駄になりませんように。        合掌

ここから書くことはとても個人的で、他人様にはどうでもいいことなので先にお断りしておく。深刻なことを書いた後でずっこける様なことだけれど、どちらも私が感じたことだからしょうがない。京都の伏見稲荷に行った、と前のブログで書いた。そこの入り口付近で占い師の方がいた。いるな~と思いながら前を通っただけなのに目が合ってしまい、一緒に行った友達が思いがけず「いいわよ。どうぞ、どうぞ」と言うので気の弱い私はつい手相を見てもらうはめになった。今覚えているのは、「人のために仕事をしている」「今年は仕事運はいいだろう」そして一番気になったのは「珍しい!女性にしては色々な線がすごくはっきりしている。感情線以外は全て男だね。」と言われたことである。感情線が情が深いことを表していて、人間関係でも冷たく割り切ることができないそうだ。でも感情だけ女性で他は男らしいってどんな人生になるのだろう?と、とても不思議に思った。

窓ガラスの向こうの風景

窓ガラスの向こうの風景

さて、最近「色えんぴつセラピー」という本を手にいれ、色から何がわかるんだろうと好奇心の赴くままに付属のシートの九つ書いてある丸に色を塗った。その総合判定的な色の組み合わせの解説を見てびっくり。「こういう色を選ぶ人は男性に多い。この場所に男性は赤か黄色を塗る。」が~ん。ぴったり当てはまる。始めの所で色の塗り方から私は「束縛を嫌い、自由になんでもしたい。」と出て、その後も何か色々と当てはまって、これは信憑性が高いと感じた最後のところだったので、「はっ、私は感情面でも男になってしまったのか」とショックを覚えた。母親が姉の次に男の子を強烈に望んだせいか?(ちゃんと私を可愛がって育ててくれた)子供が男の子ばかりだったせいか?(そういえば家族の中で一番男らしい、と言われたことがある)それとも仕事を始めて社会に触れる機会が多くなったせいか?なんとなくあせる気持ちで最近少し手を抜いているお料理をしっかり作ったり、着物を着る機会をもう少し増やそう、などと考えたりした。果たして効果があるかな?

走り続けた六月

もう、7月に入ってしまった。6月中は予定がぎっしりだったのに予定外のことも入り、母が倒れて以来一番忙しい月となった。前半は勉強のために大阪、その後友達と京都伏見稲荷、長楽館(明治42年、煙草王と言われた村井吉兵衛により迎賓館として建てられた)と表千家北山会館を訪れるため京都に回った。中旬は気功クラスの方を高尾山にお連れしようと思っていたけれど、天候のせいで武蔵小杉から神社、仏閣を訪ねる小ツアーに変更して、暑いところを連れ回すことになった。(特に帰り道が長すぎたようだ。反省)

京都長岡の地で。

京都長岡の地で。

6月最後の日曜日は母のいる施設へ、小学校5、6年以来の声楽をしている友達に来てもらい、私のピアノの伴奏で歌ってもらった。歌の伴奏は主役ではないと甘くみて、日が近づいて結構難しいことがわかり、例によって大いにあせり(切羽詰らないとなかなか稼動しない)最後は夜遅くまで練習する羽目になった。今回初めての経験だったのだけれど、自分だけで弾いているぶんには間違っても自業自得だけれど、歌をたてて弾くとなると、声も聴いてなくてはいけなくて、なかなか神経を使う。余程ピアノに余裕がないと無理な話で、しかも10曲近く。。。頑張りました。でもその後、歌のコンサートを聞きに言ってもピアノ伴奏の大変さが良く分かり、歌と伴奏を同じくらいしっかり聴くようになったので良い経験になったと思う。「やり残した二曲、またいつかやろうね。」とメール打ったがはっきりした返事は彼女から受け取っていない。私の伴奏は自己採点で75点。合格点ではなかったかも。。。

中野新井薬師の御前様の祥月命日でお墓参りにもでかけたし、その後わらび座の「平賀源内」も見に行った。(なかなか上手くまとめてあって、美術も見ごたえがあった。昔の話を現代劇に作り替えることに成功していた)その他にもS.O.Sが出ていた父のところに行ったり、出版社の人と会ったり。。。毎日動き回っていた六月でした。