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孫とお散歩

少し前の話だけれど、孫とお散歩に行った。下の男の子はまだ二歳で、お母さんから離れられず、無類の甘えん坊だった。近くの池がある所に連れていこうと思って、上の四歳のおねえちゃんとベビーカーに乗せて外に出た。

出て歩き出した時から、「かん、かん、かん、かん」と言って泣き出した。泣き出すと何をしても泣き止まないので、「多分、戻っておかんの所に連れて行ったら泣きやむだろうけれど、せっかく出てきたんだから少し泣かせておこう。」ともう片方の手で上の子の手を引いて池の近くまで来た。

すると、もっと激しく、「かん、かん、かん、かん」と泣くので、「世話してやろうってんのに、うるさいよ。」とささくれだっていると、おねえちゃんが「ばあば、〇ちゃんはお水が嫌いだよ。だから向こうから行こう。」と言う。「でも、うちで良く、水道のお水で遊んでるじゃない。」と言うと、「大きなお水が嫌いなの。恐いの。」とかばうので、池の近くまで行かないで、迂回したら、叫び方は小さくなったが、まだ「かん、かん、かん、かん」と相変わらず泣いている。

「かん、かん、かん、かんって、余程お母さんが恋しいね。」と同意を求めると、「違うよ、ばあば、『かんかん』って電車の信号のことで、いつも電車を見に行く方と違う方に来たから、さっきから泣いてるの。」と説明してくれた。

あっ、そうだったのと池のある公園を出て、いつもの方に向かうと、成程、ぴたっと泣き止んだ。さすが、兄弟、いや姉弟、よくわかってる、お姉ちゃん、随分成長したね、と親ばかならぬ、ばばばか的に嬉しくなり、「かん、かん」の方に午後の日差しを浴びながら、三人で向かった。

ばあばのおとんとおかんに手向ける花

オペラ「夕鶴」

いやに、時間が早く過ぎて行く。私ばかりでなく周囲の人も早い、早いと言っている。早いだけでなく、あっという間に世界が変わってしまった。とにかく独裁者が多くなった。それにしても、女性に対して暴言を吐いてトランプ大統領の真似をしているブラジル大統領の、熱狂的な女性の支持者の気持ちがわからない。女性の尊厳なんかどうでもいいのかしら。そんなことどうでもよくて、ブラジルfirst、強いブラジルが大事なのか、でもその先には何があるのだろう。

江原さんプロデュースのオペラ「夕鶴」を従姉妹と見た。話は「鶴の恩返し」と知っていたので何となく気軽に見に行った。まだこれから見られる方がいるかもしれないので詳しいことは書かないが、予想以上に良くできたオペラで、「人間の性」について深く考えさせられた。まさに現代のこと、そのまま当てはまり、それぞれの、特につうの鈴木さんと佐藤さんの歌唱力はすごく、それを支えるオーケストラ、他のメンバー、一場面だけれど美しい美術、従姉妹も「日本のオペラ、すごいね。」としきりに感心していた。

しかしオペラの余韻も覚めやらない帰宅後、テレビをつけたら、核保有国の核拡散合戦を報じていた。

立川風景。好きな写真なのでもう一度up。

つうは自分のことより、とにかく夫を愛し尽くそうとした。今世界は、難民より自分の国を守ることに一生懸命で、他の国より自分の国が強く栄えればそれでよい、としているように思う。ではその次は、と考えると、自分の所属している集団、地域さえよければ、になって、家族さえよければ、そして行き着く先は自分さえよければ、ではないだろうか。気になるのは行動していく課程で、話し合い、譲り合いがなく強く主張し権力を乱用してやったもの勝、という風潮があることだ。同じ意見のものには力強い見方だろう。だがひとたび、より強い違う考えのものが出ると、全ては簡単にひっくり返されることになるだろう。

相手をとことん思いやるつう、自分のためなら手段を選ばない独裁者達。スピリチュアリズムでは全ての人は類魂であり、どちらの心もみんな自分の中に持っていて、ただその割合が違うということらしい。せっかく修行のために生まれてきたこの現世、純粋なつうに近づく努力を最後までして、人生を全うしたいと思う。

お片づけ(2)

両親が亡くなってから何度か実家に行ったけれど、どこから手をつけていいかわからず、しばし呆然としていた。暫く考えて二つのことを心がけた。一つは、「目標」をたてること。もう一つは第三者に入ってもらうこと。

練馬区は30cm以上のものは全て粗大ゴミになるので、今回は布団、マットレスなどを全て粗大ゴミで出そう、とか今回は台所のものをとか、次は机、椅子類とかそのように分類することで「目標」をたてた。後は色々な人にアルバイトで、お手伝いに入って頂いた。お願いするには、「今日は二階のタンスや棚、押入れに入って入る物を全て出してください。私がゴミとしたものは45Lの袋に入れて下に落としてください。」という風に自分で計画しなくてはいけない。強制的に自分のヤル気を引き出した感じだ。アルバムや数限りない写真の整理には従姉妹に来てもらい、私ではなかなか切れない結婚式の写真などをバッサリ切ってもらった。

使える寝具、どうしようかと思っていたら、毛布、シーツ、カバー類なら洗ってあればOKという所を生活クラブ関連でみつけ、団子状にして三袋送った。また珍しいことに食器もヒビが入ってなかったら、使っていても大丈夫という所をみつけ、ダンボールに緩衝材を詰め込み、その間に食器をどんどん入れて一箱送った。これはなかなか気持ちのいい作業だった。

去年の同じくらいの時期の写真。こういう木の雰囲気が好きだ。

後は分別しなくてもそのまま持って行ってくれる業者に、トラック一杯持って行ってもらった。古い服がぎっしりはいっているこおり、庭にあった錆びた道具が満載のブリキの箱、訳のわからない台所にあった大きな箱(何故かふたのようなものもなかった)座布団等。清掃局にも臨時ゴミとしてまとめて持って行ってもらったが、分別と45Lの袋にまとめる必要があったので、ごちゃごちゃとはいっている箱などには、とても重宝した。「ちゃんと分別してくれますか?」と聞いたら「勿論です。」という返事だった。

いったん出ているものを片づけて、次押入れにかかったら、また出てくるわ出てくるわ、で参ったけれど、来た方にも気に入ったものは持って行ってもらったり、絵画や食器、帯や布は欲しい親戚に送ることができて、何だか「物」に対する義理は果たしたような気になった。

私はと言えば、数枚のご先祖の珍しい写真と、小さい時気にいっていた本が出てきてそれで大満足だった。押入れの中に詰め込むとそのままになり死蔵品になる、ということと自分が死んだ後の後片付けをするつもりで、今住んでいる所を見直さなければならない、というのが、実家の「お片づけ」の最大の教訓になった。

 

 

お片づけ(1)

皆さんも経験ある方もいるかと思いますが、今両親のなくなった家の片付けをしている。人ってこんなに物がいるのかと思うほど、捨てても捨ててもなんやかやある。大枚はたいて一挙に持っていってもらう方法もあるけれど、両親が大事にしていた物や私自身の学生時代のものもあり、こつこつ片づける方法を選んだ。

家はかなりガタがきていることもあり、リフォームの必要があるので、ほとんどの物をなくさなければならない。外壁がはがれている所があり、「そこは直しておいた方がいい。」と言うので、直してもらうついでに二階の大きな家具、ベッド、和ダンス、洋ダンス、食器棚を転用した二段の本棚を大工さんにお願いして、外壁の修理の後、始末してもらうことにした。全て大変古いこともあり、粗大ゴミにすると言ったら、「こんなにあるとは聞いていない。」と言われた。確かにこれらの物を狭い階段から下ろすのはかなり大変だと思い、一計を案じた。

まず、ベランダからベッドの厚いマットを落とし、そこに物を落としていったらどうかと提案したら、「それでいこう。」ということになった。「でも、ガラスが飛び散ると大変なので、ガラスが入っている所ははずして手で持っていってください。」とお願いして、夏の異常に暑い中、作業をしてもらった。力強い大工さんが三人で次々と落としてくれてあっという間に片付いたが、落とした時の音がドーン、ドーンとして決して気持ちのいいいものではなく、思わず、「ごめんね。今まで有難う。」と心の中で言い続けた。

本当はそのままどこかに引き取って欲しかったのだけれど、二階からそのままとなると、かなりのお金がかかる。桐の和ダンスもあまり古いと、まず削らなければならず、もう60年以上たったタンスなので、涙をのんでお別れした。中の物は、クラスの方やお店の若い方に来て頂いて全て空にしておいた。

後は、下に散らばった部品を(落としたので、ばらばらになった)家具ごとまとめ、粗大ゴミとして区に持って行ってもらった。粗大ゴミは65才以上だと、家の中まで来て持って行ってくれるそうで、私も来年夏まで待てばめでたく(?)65才以上になりこんなことしなくてよかったのだが、「後始末」にいつまでも関わっているのが嫌でこういうことになった。「短気は損気」と昔から言うけれど、本当、申し訳ないことをしたかも、とトラックに乗せられて去っていく家具にもう一度謝り、感謝して見送った。

長い間一緒にいてくれた家具たちに、有難う、の花束を。

九月、ぼろぼろだった前半

8/31日に8月最後の気功クラスをした後、急に喉の調子がおかしくなり、声帯にきたのか3日間声もでなくなり、九月三日からの週は沢山あった三日以外の予定を全部キャンセルして、久しぶりに家でおとなしくして、23日にピアノのコンサート(発表会?)の曲を練習したりしていた。

症状はビー玉くらいの範囲の猛烈な喉の痛み。熱も少しは出たかもしれなかった。1日から4日はひどく、それでも相続税をおさめるために、3日、立川の税務署まで自転車ででかけた。今は想像できないくらい、猛烈に暑い日だった。そんな無理がいけなかったのか、両目の周りに赤い輪のようなものができた。花粉アレルギーとは全く違う症状で、気功があまり効かず、「これは多分風邪というよりウイルスのせいかな。」と思っていたけれど、あっ、何かまずいと思い、6日に色々用事がはいっていたこともあり、やっと5日に国立内科クリニックにでかけた。

電話すると、予約で今日は一杯だと言うので、喉が猛烈に痛い、というと、では長く待つかもしれませんよ、と言ったけれど入れてくれた。10時半頃着いたが、既にかなりの方達がいた。待つ間冷房がいけなかったのか、発作のように咳が出てタオルで口を押さえたけれど、暫く咳をして気がつくと、周りに座っていた方達は皆移動して、いなくなっていた。その後も時々咳をしていると、私の座った所が受付のまん前だったのが影響したのか、思ったよりずっと早く呼ばれた。

お医者さんは私の話を聞いて喉を調べて「もう腫れは随分治まってますよ。」とおっしゃった。でも咳がまだ出ます、というと「それは又別です。」「眼の腫れ、喉の痛み、は溶連菌のせいです。」と診断を下し抗生剤を含むお薬を沢山出された。これは高いだろう、とこわごわ隣接の薬局に行ってみると、「ジェネリックでいいですか?」と言われて「はい。」と言うと、あっという間に用意してくれて、しかも思った額の半分以下だった。

光の不思議。以前のせた写真です。また新しいの撮ります。

溶連金はほうっておくと腎臓にくることがあるので、出された抗生剤をきちっと飲みきることが大事なようで、それはすでに飲みきった。四日間ほど良く寝たが、あんなに良く寝たので一週間は寝ていた気になったけれど、そんなに長くはなかった。久しぶりにまとまって休めて、猛暑の疲れも全てとれた気がした。しかしキャンセルした事が全部もう一度しなければならず、無理しないように進めようと思う。と思いながら11日、12日は豊橋、名古屋、豊橋と駆け回り帰京した。まず、せっかちな性格を直さなければいけないのかも。。。気功の仕事を偶然、9月の前半は全く入れてなくて、仕事に穴をあけなかったのは、せめてもの救いだ。

追伸:気功が効きにくいものはウイルス(気で殺すことはできない)、常に攻撃される大気汚染(対処がおいつかない)ある種のかぶれ、陽転反応が激しすぎて耐えられないもの、等です。今回のことは、無理がたたったのか、猛暑による菌の活発化か、年のせいか(これは一番認めたくない)或いは全てが原因かわかりませんが、気功師でもこの様なことがある、と書きました。

 

遅くなりましたが、北海道の皆様にお見舞い申し上げます。

北海道モエレ沼公園と、札幌市の会館では地方始めての気功クラスを開きました。それから毎年行こうと思っていたのに、両親の介護が段々大変になり、そのままになってしまいました。

9月6日は、たまたま弁護士と会い、「いつどこで地震があるかわからないので、老朽化した建物は危ない。」という話をしてきた所で、夕方帰ってきて地震を知り、驚いて少しは落ち着いたかなと思った夜、気功関係で知り合った三人の方にお電話しました。

幸い家も大丈夫で怪我もなく、二人の方は「今、電気が通った。うちはプロパンガスだったので、何とか夕食もとれた。」とおっしゃってました。もう一人の方とは通じず心配しましたが、次の朝通じて、その方も「さっき電気が来て、ほっとした。まだ水が出ない。」と言ってましたが、「あなたが、一番初めにお電話くれた。」と喜んでくださり、とりあえずお元気そうでした。

被害に遭われた方達には、心よりお見舞い申しあげます。平穏な日常が早く戻られますよう、お祈り申し上げます。亡くなられた方達には、お悔やみ申し上げます。

本当に日本列島は今、噴火、台風や地震による洪水、強風、崖崩れ、とどれがどこに来てもおかしくなく、それに原発の損傷が加わると、安全に住めるところを捜す方が難しくなるのでは、と心配してしまう。自分は関係ない、とか対岸の火事とかいってられない事態で、人の痛みを我が事と捉えなければいけない、良い学びともいえるだろう。

また住むところも人任せにしないで、自分で災害マップ、土地の歴史を調べ、本当に納得したうえで購入しなければいけない、ということをこのところの災害は教えてくれている。勿論人智に限界はあるが、被害に遭った方達が身をもって教えてくださったこととして生かしていきたい。

早く日常が戻りますように。私も日常を噛み締めます。

 

始めての新盆(2)

次の日14日は、早く起きて「父の家」に向かうつもりだった。それが予定の一時間後に起きた。昨日疲れていたからしょうがないか、とあたふたと家に向かった。訪問客がみえる前に庭の雑草取り、仏様の御礼御膳の支度、効かないエアコンの原因がひょっとしてリモコンの電池切れかと持って帰っていたので、その確かめ(念のため、扇風機を東京から送っておいた)来客の準備、と暑い中、ショートしそうなくらいの用事があった。

日本の文化は美しい。ずっと残したい。

家に着くとあっと思った。庭の雑草が綺麗に刈られ、山に積み上げられている。ああ、弥生さんだ、弥生さんがやってくれたんだと思った。この方は私が小さい頃、家事見習いでうちに来ていた方で、私を大変可愛がってくれた。今は蒲郡のお寺の住職の奥様だが「私は何もお手伝いできませんので、草刈くらいしておきます。」と言ってくださったのを、80過ぎた方に、この暑いのにとてもお願いできません、とお断りしておいたのだ。昨日の夕方は迎え火にここに来たが、もう暗くてよくみえなかった。それとも、今日の朝早くしてくださったのか。感謝で一杯になった。

うちに入り、エアコンの不調はリモコンのせいとわかり一安心。エアコンが効かないと、いらした方は暑さで逃げ出すだろう。8時半から来客があり、15日午前中は送り火ということで田原市の菩提寺に行ったが、東京に帰る夕方までお盆の間中、誰かしらいてくださった。寂しい新盆でなくてよかったね、と両親に語りかけた。

仏様の御礼御膳はこの地方では七回朝、昼、夕と品を変え、作らなければならない。それがたった三回しかつくれなかった。それも「お盆時仏様用」レトルト食品を多用。母は特にグルメだった。「『新盆でこれですか!』と怒ってそのうち首になるね。」と親戚の人に言ったら「ここにいて新盆の用意をするのも大変。東京から来てするのはもっと大変。わかってるわよ。」と慰めてくれた。

ここでは、新盆のために特別な大きなお飾りを一対飾る。上に雪洞がついていて、着物の帯のような布が六枚くらい垂れ下がる。大人の背丈より、高い。それに新しい提灯一対。迎え提灯を一つ。菩提寺には亡くなった男性用に長方形の、女性には三角形の布に(今回は買ったが昔は縫った)お米を入れて納める。うちは家族と親戚で七つずつ納めた。そして新盆の家族は菩提寺に8月1日と15日お参りに行くことになっている。うちの菩提寺は田原市にあり、豊橋から1時間半かかる。

新盆のお供養代を持ってきてくださる方達にお配りする品、来客のお菓子、全て東京から送った。しかもこの準備をしている頃の東京、というか日本全部であったが、地獄のような暑さであった。

とにかく終わった。父、母一緒の新盆になったのは、私への両親の気遣いではないだろうか?そしてこういうことは大変な反面、地域の文化や風習を知ったり親戚の方達とお話できる大きなメリットがある。本当に色々な方達に助けられての新盆だった。大変だった半面、楽しんでいる自分もいた。両親は満足してくれただろうか?(食事以外は)

始めての新盆(1)

父母は豊橋出身だったので、両親の新盆は、8月13日、14日、15日だった。今年は10日、11日、12日と神戸で勉強会があり、長い旅行となった。始めての神戸だったが、新盆の用意の品をかったり、新盆で送って下さった方へのお返しもあり、時間がなくて全く観光はできなかった。(涙)ホテルの方に神戸の夜景を見られる近い所がないかと聞いたら、奥のエレベーターは34階のレストランまで行きますが、ガラス張りなので、そこに乗れば。。。ということで、そこから長方形に切り取られた夜景を見たのだった。それなりに綺麗だったが、やはり夜景は広がりの中で見るものだと感じた。外はもの凄く暑く、時間があっても出かける気にはなれなかったかもしれない。

勉強会では非常に貴重な経験をしたので、また少しずつ書いていくつもりだ。今回は新盆のこと。神戸から13日に豊橋に入った。既に迎え火の日である。父が豊橋の銀行に二つも取引をしていたので、そこに寄ってから、お墓に行くことにした。駅からお墓まで1.5キロ位。いつもならお花を買ってタクシーに乗るけれど、銀行に寄らなければいけないので、歩くことにした。丁度二つの銀行はお墓に行く途中にある。始めの銀行まで約10分。次の銀行までは10分以上。最後のお墓の近くのスーパーでお花を買う必要があったので、そこまで13分。しかし、最後に坂があった。汗だくでスーパーですぐ着替える。着替え、お線香、点火棒、迎え火用の松5、6本。二つの銀行の書類。これだけで、かなりの重さになる。

道々、私は勤めている時、登山を趣味にしていてよかったなとつくづく思った。さてと、お花。前にも書いたが、一基に花入れが二つ。何を血迷ったか、「まとめる」と言っていたご先祖様のお墓5基はそのままに、自分達の分として足した両親のお墓、ご丁寧に入り口にも花活けを作り、全部で14箇所の花入れがある。「新盆だから、今回だけ。」と自分に言い聞かせ、14箇所分のお花を買う。お盆故、お花は2倍近くにはね上がり、一万円以上お支払いし、お墓に抱えていく。また汗びっしょり。

遊び心のある公園

着いてあっと声をあげる。当然のことだけれど、雑草だらけ。トホホ。あたりを見回すと、さすがにお盆だけあって綺麗にしてあり、お花も沢山入っている。抜こうとすると、土がからからに乾いていて容易に引き抜けない。水汲みを何度もして土と花入れにじゃぶじゃぶ水をかける。持っていった軍手をはめ、片端から引き抜くが無駄に広いお墓で、60%取ったところでgive up。後は長男家族に任せよう、とさすがに疲労困憊になり、考える。(結局時間がなく、そのままに)やれやれ帰ろうと思ってもう一度周りを見回すと、まずい、お盆には必ず入れるほおずきを忘れた。泣く泣くスーパーまで戻り、もう一度買ってお墓に戻り、挿した。

あっ、そうそう迎え火焚かなくちゃ。お寺から頂いた松を山に組み立てて火を点けると、思いがけなく黒煙を出して勢いよく燃えた。親戚で迎え火からお墓を火事にして、大目玉をくらった人がいたことを思い出し、ひやっとする。周りのお参りに来てた人たちが、もの珍しそうに火を見ていく。えっ、いつの間にお墓で、迎え火をしなくなったの?東京にいるので、豊橋の動向はよくつかめない。それでも仲良くしてくださる、叔母様とか面倒を見てくれる親戚のお姉さまがいて、なんとかなってきたのだった。(続く)

ある女の子の死

残念なことに、子供の虐待死が後を絶たない。不思議なことに、写真で見るその子達は、とても愛くるしく天使のように見える。顔で判断はいけないが、あまりの可愛さに両親が嫉妬し、母親ももはや母ではなく、一人の女として対峙してしまったのか、と思うほどだ。

文書を残して最近亡くなった女の子は、文章を読むと気高くさえあった。人格の高さに、人の気持ちを失った両親はかえって追い詰められたのだろうか?女の子の内なる光がまぶしくて、殺してしまった、となると昔々、そうこの世界が始まった頃を思い出す。

白いお花はどんな花も浄化のイメージがある。

イエス・キリストの処刑。スピリチュアリズムを勉強し始めて、イエスの処刑の意味をずっと考えてきた。「自分達の罪を背負ってくれたから、自分達は無罪放免になった。信ずる者は救われる。」という見方がよくあるが、私にはあまりにも都合のいい見方だと思う。「イエス自身のカルマの解消」、これもイエスを余りにも矮小化している。イエスは生前、天の人達と交信できる程の霊格の持ち主だった。

私が考えたのは、(というかこれまでの学習の集大成として)イエスは人間のカルマを自分の身を犠牲にして表したのではないか、ということ。つまり、他の人にあれだけ尽くして、最後に酷い仕打ちを受ける、人とはこういうことができる生き物ですよ、ということを体現して示してくれたのではないか、ということだった。

女の子のつぶらな瞳と、一生懸命書いた文書を目にすると、この子も一人のイエスだな、と思ってしまう。

集中豪雨と猛暑

西日本豪雨の被害にあわれた皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

遠くから、早い復旧と猛暑で倒れることのないように、お祈りするばかりです。人手が要るということで、体力が許せば駆けつけたいのですが、こちらも連日連夜の猛暑で、自分の身を保つのが精一杯です。

自然と仲良く生きるのは難しい時代になってしまったのか?

岡山県で生まれ、倉敷市にも親しんでまいりました。募金受付する所がはっきりせず、やっと市役所と郵便局から気持ちだけ募金しました。

もう日本中、どこで何があってもおかしくない時代になりました。全てを我が事と捉えて考えるしかないと思っています。

どうぞ、心折れることなく、一日、一日を生き抜いてください。

これからもしっかり胸に刻んで、いつも被害者の方に思いを馳せるようにします。

 

KIRAKU   冨田 貴子