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本当の勇気とは

勇気って何だろう、と思って調べると、1.恐れずに立ち向かっていくこと。2.元気がいいこと、と辞書にあった。普通、勇気がある人というと、例えば敵に刀を振りかざして突撃するような1と2を合わせたイメージを思い浮かべてしまう。

でも現代ではそのような勇気より、1.の勇気がより大切なような気がする。例えば登山で、高所で急に悪天候になったとする。頂上はもう近い。2.の勇気だけだったら、何も考えずに頂上を目指すだろう。でも命を第一に考えれば、登頂したいという気持ちを抑え、引き返すのが賢明だろう。いわゆる「勇気ある撤退」である。

第二次世界大戦中に、多くのユダヤ人に仮通行書を発行して命を救った日本人がいた。杉原千畝氏である。ユダヤ人にビザや通行書を出すことにより、仕事が奪われるどころか自分の命さえ危険であることがわかっていて、政府の命令に背いて良心を貫き通した。その勇気は、多くの本や資料から読み取ることができる。誰にでもできることではない。夫人の覚悟も後押ししたと思う。

問題を解決しようと努力したMちゃんに捧げる花です。あなたは人生の勝利者です。

そして、私はもう一つの勇気に注目したい。それは、杉原氏に本省からリトアニアからベルリンへの異動命令が出て車上の人になった時、(最後の最後まで彼は車窓から手渡しされたビザを書き続けたという)そこに集まった人達の中には時間切れで「命のビザ」を書いてもらえなかった人達も大勢いたようだが、「スギハラ、私達はあなたを忘れません。」と叫び、泣きながら列車と並んで走っている人もいた。とにかく同胞に対して力を尽くしてくれたことに心から感謝して、恨みがましいことを言う人はいなかった。潔く杉原氏を次の任地に送り出したのだ。

自分の命が杉原氏が不在になることで非常に危うくなることがわかっていても、このように毅然とした態度がとれるのは、自分の運命に「恐れずに立ち向かっていく」勇気を持った人達だと思う。ある意味、一番持ちにくい勇気だろう。

自分のことを省みず、まず相手のことを考える、道理を優先させる。そのような勇気を野田市の悲惨な虐待事件に関わった関係者が誰か一人持っていたら、事件の様相は変わっていたのではないか?それが他人にとったら勇気だとしても、母親は子供に対して当然の感情だと思うけれど、それさえなかったのは、同じ母親としてとても悲しい。

 

 

 

芸術は心の栄養

前回の写真の答えは、大阪国立文楽劇場の舞台、幕の上方、真ん中あたりの写真でした。大阪、名古屋方面に勉強や用事があり出かけたのですが、いつもせかせかと行って帰ってくるだけなので何か一つ楽しみを、と思い、文楽を見ました。

文楽は大阪が本場です。京都造形大の社会人学生になってから美術、芸術の面白さに目覚め、(ピアノはしてましたが)それまで働いたお金をつぎ込んで沢山の舞台、コンサートに行きました。親の介護が始まってからはそういうわけにも行かず、ご無沙汰していましたが、前府知事、H氏の「文楽なんて要らない」発言に憤慨し、なるべく大阪に行く時は見るように心がけていました。

日程が合わない時が多いのですが、今回は「初春文楽公演」の第2部夕方からの「冥土の飛脚」と「壇ノ浦兜軍記」の阿古屋琴責めの段を見ることができました。特に後者は、人形の阿古屋が琴、三味線、胡弓を弾きますが、浄瑠璃の方が同じ楽器を奏で、その指使いと全く同じに人形の指が動き、本当に人形が弾いているよう。ずっと、どうなっているんだろうという驚きと音楽のやさしい音色にうっとりとしてしまいました。始めて見た場面ですがラッキーでした。(こいつぁー、春から縁起がいいや)

一体の人形に三人の使い手が。中には国宝級の方も。日本の文化はすごい。

途中、20分と30分程の休憩をはさんで、4時から8時半くらいまで、でネットで1等のすぐ後ろの2等を申し込むことができて、(そこしか空いてなかった)十分舞台を楽しみました。(オペラグラスはあった方が、人形の複雑な表情も楽しめます)そして料金は、な、何と二千円。これって私のクラス参加代やヒーリング代と奇妙な一致。あまりにお安過ぎるので、帰りにお土産に羽子板と羽を買って帰りました。

次の日、あきらめていた大阪講座の二部も、帰りかけたその時、お友達のキャンセルが出た方から声をかけられ、運よく参加できました。ついている時はどこまでもっいているんだ、このツキに感謝して自分にできるだけのことをしようと、覚悟を新たにした一月でした。

 

バランス感覚

市原悦子さん、樹木希林さん、個性的な名優が平成という時代を境に逝ってしまわれた。名優というだけではなく、そのたくましく凛とした生き方に憧れをもっていた。たまたま本屋さんでみかけた『一切なりゆき』という樹木希林さんの本を読んだ。樹林さんの本音が良くわかり(樹木さんは本音しか言わないような人だったが)面白い。

詳しい内容は「営業妨害」になるのでいわないが、中に考えさせるところがあった。それは物にたいするバランス感覚というものだ。良く知られているように、樹木さんは「断舎利」をしてかつ物を徹底的に最後まで使い「もったいない」精神を特に晩年貫いた方だ。自分の舞台にも「もったいないから」と花まで皆さんに連絡して断った。するとご主人の裕也さんが「花屋も生活がかかってるんだ。」と怒ったという。

さて、どこでしょう?

断舎利を考えなければいけなくなった今、昔のように好きなものを(高いものは買えなかったが)ぽんぽんと買うこともしなくなった。でもそれが行き過ぎると、確かに誰かが困るのだろう。母は生前、お菓子でも多めに買うので、「そんないらないでしょう?」と言うと「朝から少ししか買わなかったら、お店の人ががっかりするでしょう。」と言ったので、へえ~、そんなものか、と思ったのを覚えている。

必要か、好きかだけが物に対する購入の判断基準になるのかと思っていたが、物を通して作り手、売り手のことまで想像して購入を決める人もいるということを、裕也さんの発言で思い出した。このことに関して、何がいい、悪いとかは勿論いえない。相手のことまで考えられる人は広い視野を持ち、バランス感覚がいいかもしれないけれど、一つのことだけに偏執的につき進んでいく人、つまり視野が狭く、バランス感覚がない人がある分野で傑出したりする。

何かの結論が出たわけではないが、物にたいする考察が深まったとして、今日は良し、としよう。それにしても、何故私は断舎利も物の整理も一向に進まないのかな。料理は好きだったけれど、片付け、整理が大の苦手だった母に本当によく似てしまった。と亡くなった人のせいにして、このブログはおしまい。

(今頃ですが)新年のご挨拶を申し上げます

平成最後の年が始まって、もう10日以上もたってしまいましたが、
新年のご挨拶を申し上げます。
良き一年になりますよう、心からお祈り申し上げます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は母が昨年一月に亡くなり忌中なので、比較的静かなお正月でした。
三男が川崎にいるので、ではと「川崎大師」に参拝に行きましたが、
あまりの人に驚き、遠くから本殿を拝んで帰ってきてしまいました。
「高幡不動」にも行きましたが、肝心の参拝もおみくじも長蛇の列で
諦めました。六日、豊橋で母の一周忌をしたので、もう一度行くつもりです。
けれども列が長いということは、それだけ待つことに辛抱できる人が多いと
いうことなので、やはり自分は短気なんだなー、と自覚して帰ってきました。

久しぶりに画像をいじりました。お正月のお花です。

お正月にお酒を嗜んだ方も多いかと思います。そこで古い『通販生活』から見つけた
面白いなぞなぞを一つプレゼントしておきます。(少し変えてあります)

一杯飲んだ男の人が魚屋さんに来ますが、酔っていたため何を言ってるんだかわからない。
すると、魚屋さんのご主人が魚の名前を並べて追い返します。さて、なんと
言ったのでしょうか?

答え「鮭・鮫・鱈・鯉」
明るい一年でありますように!

人の大きさとは

人が大きい、つまり器が大きいとはどういう人なのか、と時々考えていた。気前良く自分のものを何でも分ける人とか、自分の技術を惜しみなく公開して利用させる人、誰にでもやさしい人、でも人間だから表面的なものでは本当のところはわからない。政治家になりたい人の選挙活動中の愛想よさは、選挙後もずっと継続するものではない。人というのは「下心」というものがあるから。

とすると、器の大きさというのは他人からの評価で決まるものではなく、全てはその人の内にあり、大切なのは「動機」ということになる。実は何をするにも「動機」が大事ということは、今学んでいるスピリチュアリズムでも言われている。

さて、動機を決定するにはどうしても「視点」が必要になる。もし、自分のことしか考えなかったら、動機も自分さえよければ、になる。もう少し大きく「家」のことを大切にしようとすると(昔の日本のように)視点は上下に延びる。先祖を大切にして、未来のことも考えようとするが、横方向はどうでもいいので、「戦国時代」となる。水平方向の視点しか持たないと、「今」の世界は大切にするが、行き過ぎると「今」さえ良ければ後は、知らないよということになって、現代のように環境破壊が進んでしまう。

日本の建物の色もカラフルになったけれど、上品さがある。

結局、視点が上下にも水平方向にも向かうことが必要で、しかも先祖も子孫も周りの人も自分と同じように大事に思う気持ちがあれば、かなり器の大きい人になれるだろう。今は、人ばかりではなく、他の生物も自然にも敬愛する気がないと、もう地球は持たないような気さえする。

この立体的とも言える視点を是非持って頂きたいのは、政治家だけれど、「そして誰もいなくなった」政府のトップを始め、その大統領に何故か頭の上がらない〇〇の首相といい、視点がどこにあるのかわからない政治家が多すぎる。いや、自分の国さえ良ければいい、という視点がはっきりしているとしたら、自分だけが良ければいいという考えと、範囲は違うが視点は一緒だろう。

などということをこの年末に考える時間があったのは、母が一月に亡くなって喪中だから。正月飾りは必要ないけれど、大掃除はしなくてはいけないね。明日は大食いの三男が帰って来るし、結局主婦泣かせの忙しい年末年始が始まる。(友達も異口同音に、正月とお盆は忙しくて嫌、と言っております。)

今年の個人的感想ー時間について

今年ももう、終わってしまう。早いのなんのって。でもこの感じは私の周りの方は皆さんおっしゃっているので、私だけの感覚でもないようだ。何故、時間かかくも早く過ぎていくのか?一つには前倒しの環境があるだろう。今年は7月の末におせちの広告が入った!11月に入ったらクリスマス。「今」を味わう余裕が失われている。

でも、私がもの凄く気力が充実していて、ストレスもさ程感じず体が軽やかに動けば、時間に負けずに何でもぱっぱっとこなして、時間が早く過ぎると感じなかったかもしれない。一日の終わりにああ、これもあれもできなかった、と思うことが増えてきた。このブログを書くことも、夜は疲れてなかなかできなかった。結局年のせいか?とは思いたくないけど、と考えたら、すごく時間が長いと感じた体験を思いだした。

30代の時、卵巣膿腫の手術をして、その後傷口がとても痛かった。二日くらい我慢すれば痛くなくなると言われたけれど、その二日の長かったこと。何度も時計を見て時間が進まないことにがっかりした。その時の経験が今の気功に結びついているので、必要な経験だったかもしれないけれど。

今日の新聞に「がん患者の4割が、亡くなる前の1ヶ月間、身体の苦痛がある状態で過ごしていた」という記事を見た。終末期の方をお願いされて一応診断だけはして、ヒーリングはお断りしたけれど「お陰様でとても安らかに旅立ちました。」という言葉を頂いた。考えてみれば私の両親も、苦痛は父の腰痛以外訴えなかった。それも体位を変えたら治まる程度だった。

両親の一周忌を覚えていて下さる方がいて感謝です。

話が横道にそれたが、時間を長く感じるのが死を目前にした苦痛ある状態というのは避けたい。来年は一日一日を今日が最後と思い過ごし、寝る時には「我ながら精一杯やった」と思えるようにしよう。しかし一つ問題が。昼間突然眠くなる時があり、その誘惑に負けて一眠りする時とても幸せを感じる。60過ぎたらこういう時間が多くなると思って楽しみにしていたのに、「死ぬまで働け。年金もできたら70から。」という時代になり、トホホの今だ。

とにかく来年は、濃い時間を沢山作り、今年は長かったと思えるようにしよう、とこれがNew Year’s Revolution 。

 

 

孫とお散歩

少し前の話だけれど、孫とお散歩に行った。下の男の子はまだ二歳で、お母さんから離れられず、無類の甘えん坊だった。近くの池がある所に連れていこうと思って、上の四歳のおねえちゃんとベビーカーに乗せて外に出た。

出て歩き出した時から、「かん、かん、かん、かん」と言って泣き出した。泣き出すと何をしても泣き止まないので、「多分、戻っておかんの所に連れて行ったら泣きやむだろうけれど、せっかく出てきたんだから少し泣かせておこう。」ともう片方の手で上の子の手を引いて池の近くまで来た。

すると、もっと激しく、「かん、かん、かん、かん」と泣くので、「世話してやろうってんのに、うるさいよ。」とささくれだっていると、おねえちゃんが「ばあば、〇ちゃんはお水が嫌いだよ。だから向こうから行こう。」と言う。「でも、うちで良く、水道のお水で遊んでるじゃない。」と言うと、「大きなお水が嫌いなの。恐いの。」とかばうので、池の近くまで行かないで、迂回したら、叫び方は小さくなったが、まだ「かん、かん、かん、かん」と相変わらず泣いている。

「かん、かん、かん、かんって、余程お母さんが恋しいね。」と同意を求めると、「違うよ、ばあば、『かんかん』って電車の信号のことで、いつも電車を見に行く方と違う方に来たから、さっきから泣いてるの。」と説明してくれた。

あっ、そうだったのと池のある公園を出て、いつもの方に向かうと、成程、ぴたっと泣き止んだ。さすが、兄弟、いや姉弟、よくわかってる、お姉ちゃん、随分成長したね、と親ばかならぬ、ばばばか的に嬉しくなり、「かん、かん」の方に午後の日差しを浴びながら、三人で向かった。

ばあばのおとんとおかんに手向ける花

オペラ「夕鶴」

いやに、時間が早く過ぎて行く。私ばかりでなく周囲の人も早い、早いと言っている。早いだけでなく、あっという間に世界が変わってしまった。とにかく独裁者が多くなった。それにしても、女性に対して暴言を吐いてトランプ大統領の真似をしているブラジル大統領の、熱狂的な女性の支持者の気持ちがわからない。女性の尊厳なんかどうでもいいのかしら。そんなことどうでもよくて、ブラジルfirst、強いブラジルが大事なのか、でもその先には何があるのだろう。

江原さんプロデュースのオペラ「夕鶴」を従姉妹と見た。話は「鶴の恩返し」と知っていたので何となく気軽に見に行った。まだこれから見られる方がいるかもしれないので詳しいことは書かないが、予想以上に良くできたオペラで、「人間の性」について深く考えさせられた。まさに現代のこと、そのまま当てはまり、それぞれの、特につうの鈴木さんと佐藤さんの歌唱力はすごく、それを支えるオーケストラ、他のメンバー、一場面だけれど美しい美術、従姉妹も「日本のオペラ、すごいね。」としきりに感心していた。

しかしオペラの余韻も覚めやらない帰宅後、テレビをつけたら、核保有国の核拡散合戦を報じていた。

立川風景。好きな写真なのでもう一度up。

つうは自分のことより、とにかく夫を愛し尽くそうとした。今世界は、難民より自分の国を守ることに一生懸命で、他の国より自分の国が強く栄えればそれでよい、としているように思う。ではその次は、と考えると、自分の所属している集団、地域さえよければ、になって、家族さえよければ、そして行き着く先は自分さえよければ、ではないだろうか。気になるのは行動していく課程で、話し合い、譲り合いがなく強く主張し権力を乱用してやったもの勝、という風潮があることだ。同じ意見のものには力強い見方だろう。だがひとたび、より強い違う考えのものが出ると、全ては簡単にひっくり返されることになるだろう。

相手をとことん思いやるつう、自分のためなら手段を選ばない独裁者達。スピリチュアリズムでは全ての人は類魂であり、どちらの心もみんな自分の中に持っていて、ただその割合が違うということらしい。せっかく修行のために生まれてきたこの現世、純粋なつうに近づく努力を最後までして、人生を全うしたいと思う。

お片づけ(2)

両親が亡くなってから何度か実家に行ったけれど、どこから手をつけていいかわからず、しばし呆然としていた。暫く考えて二つのことを心がけた。一つは、「目標」をたてること。もう一つは第三者に入ってもらうこと。

練馬区は30cm以上のものは全て粗大ゴミになるので、今回は布団、マットレスなどを全て粗大ゴミで出そう、とか今回は台所のものをとか、次は机、椅子類とかそのように分類することで「目標」をたてた。後は色々な人にアルバイトで、お手伝いに入って頂いた。お願いするには、「今日は二階のタンスや棚、押入れに入って入る物を全て出してください。私がゴミとしたものは45Lの袋に入れて下に落としてください。」という風に自分で計画しなくてはいけない。強制的に自分のヤル気を引き出した感じだ。アルバムや数限りない写真の整理には従姉妹に来てもらい、私ではなかなか切れない結婚式の写真などをバッサリ切ってもらった。

使える寝具、どうしようかと思っていたら、毛布、シーツ、カバー類なら洗ってあればOKという所を生活クラブ関連でみつけ、団子状にして三袋送った。また珍しいことに食器もヒビが入ってなかったら、使っていても大丈夫という所をみつけ、ダンボールに緩衝材を詰め込み、その間に食器をどんどん入れて一箱送った。これはなかなか気持ちのいい作業だった。

去年の同じくらいの時期の写真。こういう木の雰囲気が好きだ。

後は分別しなくてもそのまま持って行ってくれる業者に、トラック一杯持って行ってもらった。古い服がぎっしりはいっているこおり、庭にあった錆びた道具が満載のブリキの箱、訳のわからない台所にあった大きな箱(何故かふたのようなものもなかった)座布団等。清掃局にも臨時ゴミとしてまとめて持って行ってもらったが、分別と45Lの袋にまとめる必要があったので、ごちゃごちゃとはいっている箱などには、とても重宝した。「ちゃんと分別してくれますか?」と聞いたら「勿論です。」という返事だった。

いったん出ているものを片づけて、次押入れにかかったら、また出てくるわ出てくるわ、で参ったけれど、来た方にも気に入ったものは持って行ってもらったり、絵画や食器、帯や布は欲しい親戚に送ることができて、何だか「物」に対する義理は果たしたような気になった。

私はと言えば、数枚のご先祖の珍しい写真と、小さい時気にいっていた本が出てきてそれで大満足だった。押入れの中に詰め込むとそのままになり死蔵品になる、ということと自分が死んだ後の後片付けをするつもりで、今住んでいる所を見直さなければならない、というのが、実家の「お片づけ」の最大の教訓になった。

 

 

お片づけ(1)

皆さんも経験ある方もいるかと思いますが、今両親のなくなった家の片付けをしている。人ってこんなに物がいるのかと思うほど、捨てても捨ててもなんやかやある。大枚はたいて一挙に持っていってもらう方法もあるけれど、両親が大事にしていた物や私自身の学生時代のものもあり、こつこつ片づける方法を選んだ。

家はかなりガタがきていることもあり、リフォームの必要があるので、ほとんどの物をなくさなければならない。外壁がはがれている所があり、「そこは直しておいた方がいい。」と言うので、直してもらうついでに二階の大きな家具、ベッド、和ダンス、洋ダンス、食器棚を転用した二段の本棚を大工さんにお願いして、外壁の修理の後、始末してもらうことにした。全て大変古いこともあり、粗大ゴミにすると言ったら、「こんなにあるとは聞いていない。」と言われた。確かにこれらの物を狭い階段から下ろすのはかなり大変だと思い、一計を案じた。

まず、ベランダからベッドの厚いマットを落とし、そこに物を落としていったらどうかと提案したら、「それでいこう。」ということになった。「でも、ガラスが飛び散ると大変なので、ガラスが入っている所ははずして手で持っていってください。」とお願いして、夏の異常に暑い中、作業をしてもらった。力強い大工さんが三人で次々と落としてくれてあっという間に片付いたが、落とした時の音がドーン、ドーンとして決して気持ちのいいいものではなく、思わず、「ごめんね。今まで有難う。」と心の中で言い続けた。

本当はそのままどこかに引き取って欲しかったのだけれど、二階からそのままとなると、かなりのお金がかかる。桐の和ダンスもあまり古いと、まず削らなければならず、もう60年以上たったタンスなので、涙をのんでお別れした。中の物は、クラスの方やお店の若い方に来て頂いて全て空にしておいた。

後は、下に散らばった部品を(落としたので、ばらばらになった)家具ごとまとめ、粗大ゴミとして区に持って行ってもらった。粗大ゴミは65才以上だと、家の中まで来て持って行ってくれるそうで、私も来年夏まで待てばめでたく(?)65才以上になりこんなことしなくてよかったのだが、「後始末」にいつまでも関わっているのが嫌でこういうことになった。「短気は損気」と昔から言うけれど、本当、申し訳ないことをしたかも、とトラックに乗せられて去っていく家具にもう一度謝り、感謝して見送った。

長い間一緒にいてくれた家具たちに、有難う、の花束を。