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アメリカにいました(2)

次男がいるピッツバーグは思った以上に美しく、二つの河が合流するので、橋が世界で最も多く(100以上と聞いたけれど、ネットでは400以上と書いてあった。ベネチアの次に多いらしい)景観も素晴らしい街だ。雰囲気もアメリカというよりも、ヨーロッパ的で、街中に古めかしい石造りの立派な教会が建っていたりする。(息子曰く、せいぜい100年くらいだよ、ということだけれど)

丘の上、といっても広大な敷地にカーネギー・メロン大学、ピッツバーグ大学(世界で始めて心臓移植した医学部が有名)他もう一つあり、姉のいるバッファローと違い、普通に街を人が歩いている。アメリカでは滅多に見なかった(多分私が知らないだけだと思うが)こじゃれた商店街、美しい住宅街もあり、雰囲気は明るくいい感じだ。アメリカ人が住みたい街ベスト10の上位にいつもはいっているらしい。

ごめんなさい。松島の海です。涼しげだからのせます。

しかし、やはりここはアメリカだ。去年10月、シナゴーグ(ユダヤ人協会)で白人男性が乱射し11人が死亡した事件の協会がピッツバーグのダウンタウンの角にあり、そこは四回も通ることになった。次男がいるところから、車で10分ほど。黄色いテープが張られ、教会としては機能していなかった。「どうするの?」と聞いたら「たいてい、そういう現場は更地にした後、公園にして墓碑が立つ。」と言っていた。そういえば、9.11の現場も墓碑のプレートが並ぶ、噴水のある公園になった。

ダウンタウンで食事の後帰ってテレビをつけたら、喧嘩して銃を使い殺人事件になってしまったニュースをしていて、見たら「えっ、ここ、さっき通ってきたところじゃない!」と驚いても「そうだね。さっきも何かパトカーが来てたよ。」と落ち着いたもので、彼はたくましくなったのか、もうアメリカ人になってしまったのか、それとも鈍感になったのかと色々思うことがあった。まあ、日本でも銃が包丁や傘になっただけだと思うと、そう変わりはないのかもしれない。

 

アメリカにいました。(1)

7月4日に成田に前泊して、5日から18日まで三男とアメリカに行ってました。と言うと、そんなに長く!、どんだけお金かかった、と思われるでしょうけれど、航空運賃は意外とかからない。エコノミーでワシントン経由、ピッツバーグでANA往復15万、三男はアメリカンで10万と言っていた。

次男が今、会社からピッツバーグにある、カーネギー・メロン大学、大学院修士に去年の夏から留学しているので、そろそろ日本食が恋しかろうとトランクに惣菜・魚の缶詰、ごはんパックを詰めて持って行った。重い!!一緒に行くはずだった三男が裏切って半日ずらしたので、(仕事の関係だ、と言っていたけれど怪しい。)一人で運んだ。自分の体力に感謝した。

姉がピッバーグから車で三時間半のバッファローにいるので(アメリカではこれを近い、という)姉の所にいき、ワシントンで観光してまたピッバーグに戻り、またワシントン経由で帰ってきた。基本的に息子と姉の所に泊まったので、ホテル代はワシントンのみ必要だった。よく計画すれば三度もワシントンを通ることもなかったかもしれない。

久しぶりに思ったようにとれた花の写真。夏らしくていい。

話は行くときに戻るが、成田空港は現在オリンピックに向けて改装中で、かってがいつもと違い出国ロビーも閑散としていて、心細くなった私は思わず、「ここ(出国手続きの窓口)を抜けたら、アメリカに行けますか?」とばかな質問をスタッフのおじさんにして、「大丈夫、ここを通ればアメリカに行けますよ。」と大笑いされた。ここから早くも珍道中が始まった。

アメリカからのお客様(1)

アメリカから甥っ子家族が遊びにきた。私の姉の一人っ子で、お嫁さんはアメリカ人、子供は一才半の男の子一人。甥は両親が日本人なので、血は日本人だが、アメリカ生まれのアメリカ育ち。彼のお父さん、つまり私の姉の配偶者も一人っ子だったので、叔母は私しかいない。従兄弟も私の子供達だけなので、姉がアメリカから彼を連れてきたり、私の両親が子供達をアメリカに連れて行ったりして何となく会わせていた。

御殿場の「時のすみか」というリゾート地では、夜の噴水ショーや素晴らしい富士山を楽しんだ。ホテルの窓から大きな富士山全体を見ることができて、とても私も幸せだった。豊橋では残念ながら二日とも雨だったけれど、一日目は「のんほい豊橋自然動植物園」に二日目は「徳川美術館」に連れていった。動物園は正直、全く期待していなかったけれど、行って見ると広くて驚いた。雨でどうかなと思ったが、植物園、展望塔、北極圏の動物達、恐竜の実物大のレプリカが沢山置いてある自然史博物館と雨でも屋根のある所が色々あり、12時半過ぎに入って閉演の4時半までいても見たりない程だった。両親が豊橋出身で、小さい頃から豊橋に行っていたのに、私は初めて行った!生きていたら、何故連れて行ってくれなかったのか、と確実に文句を言ったと思う。

今まで大勢の方がお参りして下さいました。

二日目はアピタというスーパーで、たこ焼きを食べた。(揚げてなくて焼いただけの、中がとろっとした人気のもの)これは一才半のMちゃんがぱくぱくと四個も食べた。内訳は10個のうち、Mが4個、甥が3個プラスMの食べれないタコを四個分、奥さんは恐る恐る一つだけ、私は二個だけ。これは言ってみれば十時のおやつのようなものだけれど、こんなことを覚えている私はひょっとして浅ましい?のかしら。実はここのたこ焼き、好きなのです。

その後スーパーからすぐ近くのお墓へ、お参りに歩いて行った。いつも車で行くので方向ど音痴な私は、入り口から、こんなに歩いたかしら、ここで迷ってお墓がみつからなかったらアメリカ人と幼児を雨の中連れて笑い事ではすまない、とどきどきした。無事みつけました。きっと私よりご先祖様や両親の方が、ちゃんと来れるか心配したと思います。導いて下さって有難うございました。(To be continued)

 

 

 

アメリカ(3)

私は京都造形大で美術の勉強をしたので、絵画や彫刻に興味は尽きないけれどメトロポリタンにしろ、MOMA(Museum Of Modern Art in New York )(ニューヨーク近代美術館)にしろ、お宝が一杯過ぎて、またメトロポリタンも分館が幾つかあり、カタツムリの外観のグッゲンハイム美術館も見たかったし、と消化不良の旅となった。今生は気功と音楽と介護で忙しいので、いつかの来世で美術を堪能したい。とあきらめるのは、まだ早いかしら。せめて一つでも学芸員の説明を聞きたかった。(涙、涙、涙)これまでの芸術は過去の人達が残してくれた最大のプレゼントだと思う。

NYの住宅街は、古いヨーロッパの町並みに似ている気がした

NYの住宅街は、古いヨーロッパの町並みに似ている気がした

ニューヨークに来た目的でもある、9.11跡があるブルックリンの公園を訪れた。ビルの大きさに黒い大理石の穴が掘られ、ぐるりと水がおち、その壁には犠牲者の名前が彫られている。全員に対して黙祷したが、やはり日本人の名前をみつけるとショックで、やり場のない悲しみを感じた。思ったより大きな敷地で二箇所あったはずだが、時間の関係で一つしか周れなかった。もう一度ここにくることが出来たら、今度はもう一つも是非訪れたい。ここで多くの時間を持てば、どうしてこんなことが起きたのか、人って一体なんなのかという答えをだすには難しい問いに、真剣に向き合えると思うから。そしてそれが一番の供養になると信じている。(合掌)

まとめてブログ(3)アメリカ《1の巻きー準備編》

ニューヨークの町並み。もう思い出になりつつある。

ニューヨークの町並み。もう思い出になりつつある。

GWにアメリカの姉のところへ行った。GW中は日本ではどこでも高くなるが、海外では平常通りなので、早くから計画すればリーズナブルに行くことができる。飛行機は三ヶ月前以上から検討する。長旅は必ず通路側をとり、エコノミー症候群にならないようにする。(英会話の仲間が実際、飛行機の中で亡くなっている)姉がいるバッファローに行く前にニューヨークに寄ったが、ホテルも調べ、評判が良く、安くなっているところをネットで予約した。意外だったのは、いわゆる知られた高級ホテルが必ずしも評価は良くない。風呂、トイレのトラブルがたくさん書かれていた。予約したホテルは五番街、カーネギーホール、MOMA、セントラルパークが徒歩圏内で、日本人は他に一組しかいなかったがcozy(居心地の良い)という言葉がぴったりのホテルだった。

費用の捻出を参考までに書いておきます。為替ルートの変動が最近激しい。姉は40年以上アメリカにいるが、その間行ったのは今回で二度目。一度目は甥の結婚式に親戚代表で6年前に行ったがその頃は円が高く、1ドル90円をきっていたので、それからしばらくはこつこつと、次回に備えて円をドルに変えておいた。ただし投資ではないので、円からドル、ドルから円に移して利益を得ることは考えなかった。ドルはあくまでドルとして使う。こうしたら為替の変動で一喜一憂することはない。今回ためておいたドルをホテル代、一日NY観光、食事代、買い物、交通費、そしてかかったお金の15%から20%と言われるチップに使い、円の負担が非常に少なくてすんだ。円をドルに変える私の目安は1ドル105円以下。だから今現在は変えることはしていない。

子供が海外にでかける時も、ドルは今のところ大抵のところで(特に東南アジア)重宝するので、餞別にも便利だった。他気がついたことは、最近アメリカに行くにはESTA(電子渡航認証システム)が必要だが、空港で慌てて申請している人もいた。(アメリカ大使館は三日前までに済ませることを推奨しているし、NGが出てしまった場合はもっとかかるので早めにするにこしたことはない。以前は無料だったが、今は14ドル/一人かかる。)日本でも爆買いにくる人に課せばいいのに。かなりの収入になると思う。

 

 

アメリカからのお客様(3)

とてもとても寒い日に箱根に行くことになった。予定を変更せずに、始めは「関所」。箱根の山桜が満開で、雪の中に桜を見ることができた。箱根マラソンを中から見ることができるという食堂で昼食をとり、「成川美術館」へ。晴れた日は館内から富士山と中禅寺湖が美しく見えるがその日は雲が下まで降りてきて、景色を隠したり出したりを頻繁に繰り返し、それはそれで面白かった。ここは大きな絵を印象的に展示しているので、遠くから見るとまるで風景の様に見える。色々な万華鏡もあり、仕掛けが楽しい。

可愛いつるし雛

可愛いつるし雛

泊まった所で、アメリカ人の奥さんは生まれて始めて温泉に入って大喜びしていた。次の日は大涌谷と箱根の森の美術館へ行った。一転して天気が良くなり外歩きにはうってつけだった。野外展示の彫刻や展示もみがいがあり楽しかったが、館内で最後に見た竹で作った風鈴や音の出るdevices(仕掛け)は、これぞ日本の音という感じでなんともいえずやさしく、風雅でずーっと会場にいたいと思った。アメリカ育ちの二人に日本の音を聞かせることができて、それが私には嬉しかった。

草津へ

草津名物。湯畑。

草津名物。湯畑。

5月31日、6月1日に父と家族で草津へ行った。以前は母と父を誘って旅行していたが、母が倒れてからは父も出たがらなかった。けれども母も倒れてから二年も経ち、施設で安心して暮らしているので、父は行く気になったのだろう。日本三大温泉の内、草津だけ行ってなかったことも背中を押したようだ。

一日目は道を間違えて軽井沢に出たので「鬼押出し」を訪れた。溶岩でできた風景に父はすっかり感心し、三男に車椅子を押されてご機嫌だった。二日目は草津白根山ラインを通り、頂上近くまで行くことができた。車を降りてから30分程登るとお釜があり、そこまでは父は無理だったが、残雪が残る南アルプスが見える所まで何とか歩いてもらえた。

勤めている時、ワンゲル部だったので山はよく登った。(大昔の)山ガールとしては、こんな雄大で美しい景色を車できてeasyに手に入れるのは少し納得できなかったが、それを三男に言ったら「(足で登るのは)時間の無駄」と切り捨てた。体重ゆえ、下山が私のほうが早かった負け惜しみだとは思うが(彼を5分待った)確かに93歳の父も道路ができたからここに来ることができた、と思うと複雑な心境になった。でもこれだけは言える。足で高度をかせいで得た風景と、車でさっと来て手に入れた風景では感動の度合いが全く違う。今でさえも「いつも忙しそうな人」なのに、又登山やスキーがやりたくなって困ってしまった。

お茶屋遊び

金沢では所謂御茶屋という所に二箇所も入ることができた。一つは今も営業している所、もう一つは建物が重要文化財になっているところ。京都では「一見さん、お断り」で馴染みの客でないと入れないことは良くわかっていたので、ラッキーだと思った。

何と特別に二人の美人の舞妓さんと80歳にはとても見えない、かくしゃくとした元お姐さんの三味線で、謡や舞を拝見後、特別な太鼓もたたかせて頂き、本当に御茶屋遊びをした気分になった。舞妓さんには特別なオーラが出ていて、それは女性らしいというよりも意外なことにどちらかというと男性的で、しなやかだけれど折れない強さのようなものを感じた。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

綺麗な芸子さんの優美な踊り。

勿論気功教室を開けるかどうか、の下調べもしてきた。特色ある文化があるところなので、しっかりしたimpactがなければ受け入れられないだろう、と気を引き締めた。不思議だったのは、城主だった前田利家と妻まつこの頭の良さに感心して帰ってきた日に、何気なくつけたテレビで金沢のことをやっていて二人のことを詳しく放送していたことだ。ローカル番組かと思ったがそんなことはなく、本当に偶然目にしたのだった。城主がYou are welcom.と言って下さるのだったら、来て気功教室をやってもいい、と本気に思ったおめでたい松の内であった。

地下に広がる街

すすきの歌

すすきの歌

札幌駅の地下街には正直驚いた。何しろ札幌駅の中だけでも、大丸、エスタ、パセオ、アピタといろいろな商業施設とつながっていて迷子になりそうだし、(方向音痴なので、どこに行っても迷子になるが)札幌駅から伸びた地下鉄の大通り駅までの通路の両側にも喫茶店や出店、展覧会や展示場が続き、このスケールは東京にもないな、と感じた。映画館もあるので、あと劇場やコンサートホールがくれば文化的にも完璧かもしれない。しかしこのせいで、少し前まで栄えていた大通り公園に面していた店舗に、客がとても少なくなってしまったと聞いた。丸亀で見たようなシャッター通りにならなければいいけれど、と心配した。

北海道はどこに行っても広々としていて気持ちがいい。そして札幌は垢抜けたセンスがある。でもこれはあくまで旅行者の視点。東京は色々なものがぎゅっと詰まっていて便利だし、冬の厳しさはない。文化的なものも毎日事欠かない、と北海道から来た人は言うだろう。私の北海道への憧れは、又スキーをしたいという願望と、東京の夏の暑さが根底にあるのは多分間違いない。

 

ハノイで心に残ったこと

ハノイの旅行記を詳しく書くつもりだったが、長男が急に結婚することになり、(急に聞かされた)ばたばたと慌しく、日もたってしまったので今振り返って印象に残ったことだけを記しておこうと思う。

印象に残ったもの。ハノイ教会で日暮れて暗くなる中、明かりがともされて座っていた真横に浮き出たイエスとマリアのステンドグラス。自分でも思わぬ程感動した。キリスト教というわけではないが、その時、その場に精霊がいて下さる、と感じた。

文廟(昔の大学)の庭。どこでも「徳」は大事。

文廟(昔の大学)の庭。どこでも「徳」は大事。

ホーチミン廟で出会ったオレンジ色の中に横たわる The body であるホーチミンの穏やかでやさしい顔。第二次世界大戦、フランスからの独立戦争、ベトナム戦争、と戦争ばかりの歴史の中で、ホーチミンはベトナム民族解放の最高指導者と位置付けられている。主義の難しいことはよくわからないが、「ホーおじさん」の愛称で親しまれたという説明が一番しっくりくる自愛に満ちたお顔だった。

ただただ強権を持って国を治めれば、その時はいいかもしれないけれど亡くなった後も、こんなに慕われる政治家、日本国にいるかしら。いたいた聖徳太子。。。。。。