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祭りについて

結婚してから50代で京都造形芸術大学に社会人入学して多くのことを学び、また芸術の面白さに目覚めた。芸術学をとったので、色々な分野を勉強することになり、日本の文化を考えることになった。その中で「日本の祭り」について課題が出た。「祭り」の意義について考察しなさい、というものだった。

はっきり言ってよくわからなかった。まだスピリチュアリズムの勉強もしていなかったし、でも神様を讃える行事には間違いない、とぼんやり思った。でも、と再び考えた。神を讃えるのにあんなに大騒ぎする必要があるのかしら、やはり娯楽の要素が強いな、それとも権力者が不満を溜めた民衆エネルギーの発散装置か、と考えがまとまらず結局、祭りとは、人間のあるがままの姿の表現で昔からあった原始的なもの、という自分でも良くわからないことを書いたが、評価はAを頂いた。(少し自慢)

外国風の景色ですが、日本です。しかも近所。

もう10年ほど昔の話だけれど、どこか消化しきれないで引っ掛かっていたのだろう。今、コロナ禍の時代でしかも頼りになる人の訃報が多く、また知り合いで病気になる方も結構いる。人が集うことが難しくなったこの時代に、ふと祭りのことを思った。祭りとは、やはり生命の火花の表現で今、こうして仲間と神を寿ぐことができる幸せ、ひょっとしたらあらゆる意味で奇跡的なこの時間、を強く印象に残す装置ではないか、と。そういう意味では、不明のまま書いた提出課題もそう的外れではなかった、と今更ながら胸をなでおろすのであった。

アメリカで感じたこと

アメリカでは油断なく歩いていたので、写真はなし。仙台駅で。

アメリカにはただ一人の姉妹である姉が、グリーンカードを取って、つまりアメリカ人として、もう日本にいる時より長く住んでいるため何度かいく機会があった。

一番始めはもう30年ほど前だが、まだ人種差別が強く、トイレもカラードとホワイトと分けられて、バスも別々、レストラン、カジノも担当は日本人には黒人がついた。うわーっ、まだこんな世界なんだ、と思った。

次に行った時は、アメリカ人が人に肌がふれあうことに、日本人より神経質だということがわかった。少し触れ合っただけでも、びっくりしたように「Excuse me!」と言う。触りそうになっただけでも、大げさに避ける。思うに広い国だから、個人個人のmy space が広いのだろう。狭い日本、そんな感覚はない。でなければラッシュ・アワーの電車にはのれない。日本に遊びに来た甥のwifeであるアメリカ人が、満員電車で笑い転げている訳がわかった。

さて、今回、今までは気がつかなかったが、レストランで待ち時間がとても長い、ということ。普通のレストランだったが、注文してからなかなか料理が出てこない。30分以上、何回も待たされた。息子が「日本とは違うよ、待つよ。」と言ったけれど本当に長く待った。勿論一流と言われているレストランは違うのだろうけれど、今回は、というか今回も行かなかったし。うっかり追加注文しようものなら、またそこから待つ。「お客様は神様、ではアメリカではないから。」と息子も言っていた。

でもそこで、気がついた。アメリカ人のお客さんは、グループで来ている人が多く、とにかく良くしゃべる。食事にはあまり関心がないのかなと思うくらい、食事そっちのけで沢山しゃべり、よく笑う。日本のようにカップルや家族で来ても、スマホに夫々夢中、なんて人はみかけなかった。思うにもうスマホは生活に溶け込んで、夢中になる対象ではないのかもしれない。

二分でお米が炊けるジャー、とか所謂日本でいう柔軟剤はもうアメリカでは薄いシートになっていて、洗濯機から乾燥機に洗濯物を移す時に一枚入れれば事足りたりする。ある時から何故、アメリカから来た柔軟剤が急に増えたのか、と不思議に思っていたのだが、このせいではないだろうか?

でも、もしアメリカの後を日本が追いかけているとすれば、スマホもすっかり生活に溶け込み、スマホに振り回されることなくスマホを使いこなす、という日が来るかもしれない。今回はそういうところで、光を見た気がした。

 

 

 

ここたのナイト

前の記事で「あ・お・い・お・に」で「お」は怒るなという意味と書いたけれど、実は現代は相手のことを思って怒ることは、とても難しい時代になった。どうしてか?一つは、エネルギーが要る。もう一つは言ったことにより、人間関係が悪くなる可能性がある。人は「いい人仮面」をしている方が楽なのだ。

「Love & Anger」という言葉を、国際キリスト教大学公開心理学教室にて学んだ。子供の躾にも重要な言葉で「愛ある怒り」とでも言おうか、要するに愛を持って理性的に怒ることが大事ということ。今は大分直ってきたけれど、ラテン系気質がある私には心に留め置かなければいけない話だ。

図書館前の風景。花と手入れして下さる方のお気持ちも素敵

さて、第三土曜日の7時から国立市谷保の団地内にある「ここたの」という喫茶店で、一芸を披露したり、鑑賞できたりする催しがある。席料はデザートと飲み物の700円から簡単な食事までのオーダー料だけ。一芸は詩の朗読や政治に対する意見、歌、楽器、紙芝居、随筆的なものの発表、マジック、と何でもいい。時々顔を出していて、18日には久しぶりに行ってきた。

嬉しかったのは常連さんが、ちゃんと来ていてしっかり頑張っていたこと。本当に久しぶりだったので、すっかり入れ替わってしまったかなと思ったけれど、続けて発表していることはすごい。星野道夫に関する本とその人なりの紹介、「美味しんぼ」の作者、雁屋哲の現代に対する鋭い批判の紹介、「もう一人の自分」を意識した詩と「友人」の定義について、篠笛、ちょっとブラックな紙芝居、私の「夢路より」(アハハ、いい度胸)。

星野さんからのメッセージを聞いて思ったのは、人の、自然に対する傲慢さに対する警告。雁屋さんの現代人批判ももっともだった。人間の不幸は執着、自己防衛本能を優先し、自分の良心を無視した迎合、利己主義を源としている、と私も思う。やはり現代の諸々の危うさは、人のこういう心が生み出しているのではないだろうか?

今日はとても暑かった。本当に「地球」という船が沈みそうなのに、中で関税とかの覇権争いしている場合ではないよね。謙虚になって、科学の粋を集めて、まずこの気象異常を何とかしなければ。5月が、風薫る時期だったのは昔の話。今日の太陽に、地球に対する敵意さえ感じました。

 

芸術は心の栄養

前回の写真の答えは、大阪国立文楽劇場の舞台、幕の上方、真ん中あたりの写真でした。大阪、名古屋方面に勉強や用事があり出かけたのですが、いつもせかせかと行って帰ってくるだけなので何か一つ楽しみを、と思い、文楽を見ました。

文楽は大阪が本場です。京都造形大の社会人学生になってから美術、芸術の面白さに目覚め、(ピアノはしてましたが)それまで働いたお金をつぎ込んで沢山の舞台、コンサートに行きました。親の介護が始まってからはそういうわけにも行かず、ご無沙汰していましたが、前府知事、H氏の「文楽なんて要らない」発言に憤慨し、なるべく大阪に行く時は見るように心がけていました。

日程が合わない時が多いのですが、今回は「初春文楽公演」の第2部夕方からの「冥土の飛脚」と「壇ノ浦兜軍記」の阿古屋琴責めの段を見ることができました。特に後者は、人形の阿古屋が琴、三味線、胡弓を弾きますが、浄瑠璃の方が同じ楽器を奏で、その指使いと全く同じに人形の指が動き、本当に人形が弾いているよう。ずっと、どうなっているんだろうという驚きと音楽のやさしい音色にうっとりとしてしまいました。始めて見た場面ですがラッキーでした。(こいつぁー、春から縁起がいいや)

一体の人形に三人の使い手が。中には国宝級の方も。日本の文化はすごい。

途中、20分と30分程の休憩をはさんで、4時から8時半くらいまで、でネットで1等のすぐ後ろの2等を申し込むことができて、(そこしか空いてなかった)十分舞台を楽しみました。(オペラグラスはあった方が、人形の複雑な表情も楽しめます)そして料金は、な、何と二千円。これって私のクラス参加代やヒーリング代と奇妙な一致。あまりにお安過ぎるので、帰りにお土産に羽子板と羽を買って帰りました。

次の日、あきらめていた大阪講座の二部も、帰りかけたその時、お友達のキャンセルが出た方から声をかけられ、運よく参加できました。ついている時はどこまでもっいているんだ、このツキに感謝して自分にできるだけのことをしようと、覚悟を新たにした一月でした。

 

始めての新盆(2)

次の日14日は、早く起きて「父の家」に向かうつもりだった。それが予定の一時間後に起きた。昨日疲れていたからしょうがないか、とあたふたと家に向かった。訪問客がみえる前に庭の雑草取り、仏様の御礼御膳の支度、効かないエアコンの原因がひょっとしてリモコンの電池切れかと持って帰っていたので、その確かめ(念のため、扇風機を東京から送っておいた)来客の準備、と暑い中、ショートしそうなくらいの用事があった。

日本の文化は美しい。ずっと残したい。

家に着くとあっと思った。庭の雑草が綺麗に刈られ、山に積み上げられている。ああ、弥生さんだ、弥生さんがやってくれたんだと思った。この方は私が小さい頃、家事見習いでうちに来ていた方で、私を大変可愛がってくれた。今は蒲郡のお寺の住職の奥様だが「私は何もお手伝いできませんので、草刈くらいしておきます。」と言ってくださったのを、80過ぎた方に、この暑いのにとてもお願いできません、とお断りしておいたのだ。昨日の夕方は迎え火にここに来たが、もう暗くてよくみえなかった。それとも、今日の朝早くしてくださったのか。感謝で一杯になった。

うちに入り、エアコンの不調はリモコンのせいとわかり一安心。エアコンが効かないと、いらした方は暑さで逃げ出すだろう。8時半から来客があり、15日午前中は送り火ということで田原市の菩提寺に行ったが、東京に帰る夕方までお盆の間中、誰かしらいてくださった。寂しい新盆でなくてよかったね、と両親に語りかけた。

仏様の御礼御膳はこの地方では七回朝、昼、夕と品を変え、作らなければならない。それがたった三回しかつくれなかった。それも「お盆時仏様用」レトルト食品を多用。母は特にグルメだった。「『新盆でこれですか!』と怒ってそのうち首になるね。」と親戚の人に言ったら「ここにいて新盆の用意をするのも大変。東京から来てするのはもっと大変。わかってるわよ。」と慰めてくれた。

ここでは、新盆のために特別な大きなお飾りを一対飾る。上に雪洞がついていて、着物の帯のような布が六枚くらい垂れ下がる。大人の背丈より、高い。それに新しい提灯一対。迎え提灯を一つ。菩提寺には亡くなった男性用に長方形の、女性には三角形の布に(今回は買ったが昔は縫った)お米を入れて納める。うちは家族と親戚で七つずつ納めた。そして新盆の家族は菩提寺に8月1日と15日お参りに行くことになっている。うちの菩提寺は田原市にあり、豊橋から1時間半かかる。

新盆のお供養代を持ってきてくださる方達にお配りする品、来客のお菓子、全て東京から送った。しかもこの準備をしている頃の東京、というか日本全部であったが、地獄のような暑さであった。

とにかく終わった。父、母一緒の新盆になったのは、私への両親の気遣いではないだろうか?そしてこういうことは大変な反面、地域の文化や風習を知ったり親戚の方達とお話できる大きなメリットがある。本当に色々な方達に助けられての新盆だった。大変だった半面、楽しんでいる自分もいた。両親は満足してくれただろうか?(食事以外は)