人と自分を比べてはいけない理由

年をとってくると、今までわからずに生きてきたことが、いきなりわかることがある。それが、本当に正しいかどうかはわからないけれど、自分の中では納得できる。最近、ある事が結びついて、ああ、だから他人と自分を比べたり、その挙句やっかんだり妬んだりしてはいけないんだ、とわかった。

一つ目の理由は、人は一人一人自分の「歴史」を持っている。そんな事あたりまえじゃん(豊橋、浜松でよく使われる言葉)と思われるだろうが、話はもっと深い。人は何度も死んで、又生まれてくるとしたら(全く同じ魂ではないけれど、ややこしくなるので、ひとまずそういうことにする)この世だけではない歴史がある。いわゆる過去世を含めた歴史としたら、どう考えても一人一人全くちがうはずで、その間にいいカルマ(自分がしたことは、良きも悪くも返ってくる、という法則)も悪いカルマも沢山作り、その解消として次の人生に挑んでくるらしい。

すごく運がよくて、幸せな人(傍目ではなく、本当に)は、今までにそういうカルマを積み上げてきたと言える。ただ、現世の人は皆落ちこぼれの天使なので、そういう意味で、みな何らかの課題を抱えてきている。つまりカルマの解消だけではなく、今生きていることで、またカルマを作っているのだ。これを知ると、「十人十色」は当たり前と納得できる。

コンクリートの間に一生懸命咲く花。

ただ、誤解してはいけないのは、では、障がい者、紛争地域の人、難民の方は今まで悪いカルマを積んで来たのか、というとそんなことはない。そうであれば「イエス・キリスト」の人生の説明がつかない。上の世界でここに生まれてくる前に「自分は思い切り下の世界で苦労して、亡くなったら、神界に近い世界に行こう。」と思ってくる魂もいる。千差万別なのだ。ここまでで、何故人と自分を比べることが、無駄であり不毛なことか、わかると思う。くらべられるのは氷山の一角で、しかも大抵「隣の芝生は青い」的な色眼鏡をかけているので、謝った理解しか得られない。

出かける時間が近づいたので、今日は、この辺で。一つ皆さんにも考えて頂きたいのは、では、一人一人全く違う歴史をもつなら、一緒にこの世にいる意味は何か、ということになる。(私はそう考えました)そこには「類魂の法則」(スピリチュアリズムの用語)が関係すると、気がついたら見事に疑問を解決してくれた。どう関係してくるか、考えてみてください。私の考えは今週の土曜日か日曜日にのせます。

 

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