「苦労」についての考察

誰も「苦労」はできるだけしたくない、と思っている。でも生きている限り「苦労」はつきものだ。苦労は、悩みの先にあるものではないだろうか。悩みに打つ手なし、の場合は多いけれど「苦労」は何かやるべき手を持った状態のような気がする。でも、苦労することは悪いことばかりではない。努力目標ができて、傲慢さが無くなり謙虚になれる。人生の真実に近づけるかもしれない。

「苦労」は生まれる前に自分が成長するために決めてきたこともあるようだ。ただスピリチュアリズムから見ると、苦労は他からもたらされるよりも「身から出た錆び」のことが多い、と警告している。いわゆる「カルマの法則」で、自分がしたことはブーメランのように自分に返ってくるという法則である。悪いことばかりではなく、いいことをすればそれも返ってくる。全て人間的に成長するための仕組みであるという。

実際、私も次から次へと色々なことがあるが、よく考えてみれば、自分で企画しなくても人生の「課題」が(一部は知らない間に自分で作り出しているにしても)与えられるのは、見方を変えれば有難いことなのかもしれない。もっともいつからか神経が太くなり、あまりこたえなくなっているので、もっと本格的な試練を、と思われるのは困る。なにしろ年ですから。。。

以前、秋に訪れた場所。今都民は又、どこにも行きにくいですね。

スーパーコピューターが一人一人に働き、その人に必要な課題が絶妙なタイミングで出されるようだ。困って答えを求めると、的確なアドヴァイスを頂く。それは直接問題解決とか、何か得するというようなものではないが、核心をついている。私がやってきたKIRAKU気功も核心を突いたヒーリングをしてきたと思う。そのスタイルは似ているのではないか、でもこんなことを思うのは恐れ多いことで、また余分な苦労を背負い込むかもしれない。気をつけなければ。

お詫びと訂正:以前のブログで「ひめゆり部隊」を「白百合部隊」と書きました。お詫びして訂正申し上げます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください