芸術の必要性

段々色々なことが大変になると、生きるのに芸術や趣味は二の次、三の次に置かれることはあるけれど、では必要ないかというと絶対そんなことはない。こんな話を思い出す。極寒にシベリアに戦争の捕虜として、一組の音楽家の夫婦が送られた。あまりの厳しい環境だったため、妻の方は精神に変調をきたす。その頃から、自分が演奏していたバイオリンを弾く仕草をはじめ、それは亡くなるまで続いたという。

紫陽花の季節!!

その方にとって音楽は人生そのものであり、自己表現というよりも音楽の中にこそ自分が存在したのだろう。音楽に限らず芸術で表現したり、芸術を意図的に生み出すのは人にしかできないことで、それは何故かというと、人は「共感」ができる動物だからだと思う。例えば音楽を奏でる人は、音楽そのものと作者に共感する。しかし共感の仕方が違うから、千差万別な音楽ができる。それを受け取る方も勿論、色々な感じ方をするのだけれど、私はそこに何か言葉では表せられない共通の認識、というか底に流れる共有できる感動みたいなものがあると思う。

音楽は一瞬にして消えてしまうが、作った作者、演奏者、聴衆がある世界に一瞬にして入る。これはよく考えてみれば奇跡に近い。私はピアノや歌が好きなので音楽を例にしたが、他の芸術でも根本的には一緒だろう。芸術に対する理解や思いやりがない国は、文明の度合いが低いとさえ感じる。コロナのせいで日本に根付く芸術、古いも新しいも問わず絶やしたり、衰退させてはいけない、と思う今日この頃である。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください