コロナ以降

生まれて始めて一人暮らしを始めたので、覚悟していたとはいえ、喪失感、自信のなさ、将来への不安などが去来した。二月は色々と忙しく感じる間もなかったけれど、三月の中旬から四月にかけて落ち込むことも多かった。でも三男に誘われて福島に行ったり(二日目は大雪になったが、東北の雪景色は美くしかった)親戚の法事や忌明けにでかけたりした。その時はいいのだけれど、ふと魔がさした

そうこうしているうちに、コロナの影響が深刻になり、世界も日本も緊急事態になり、はっと気がつくと喪失感、自信のなさ、将来への不安、と世の中の風景が私の心象風景と一緒になり、私は全く目立たなくなった。これはあくまで、自分の中での話しだけれど。

もしこれがオリンピックが開かれることになっていたら、今頃日本はお祭り気分で「私はかやの外」という感じを強く持っただろう。姉はニューヨーク州、次男はペンシルヴァニアで二人ともロックダウンされた町にいる。一部の売り場以外どこも開いてないという。あっ、落ち込んではいられない、と二人に荷物を二つずつなんとか送ったところで、今は荷物も送れなくなってしまった。

今世界は、コロナという共通の強敵に対峙して、スクラム組んで戦わなければいけない。神様から見て、相変わらず、国同士が相手に対する思いやりも尊重もなく覇権争いばかりしているので、温暖化や異常気象という共通の課題を与えてみたけれど、それも意に介さず、「自分の国さえよければいい。」とやっているので、今度は直接命に関わるコロナを世界に撒き散らし、これで目が覚めるか、と問うているようにも思える。

トウミョウを食した後、書いてあった通りに育てたら、見事芽が出た。嬉しい。ごめんね。刈って食べます。

コロナ後の世界がどんな風になるか。一つは国同士の経済格差、国内の経済格差、いずれももっとひどくなるだろう、という見方がある。「あなたの事は私の事、私の事はあなたの事。」という感覚を持てるようになれば、どんな風になろうと人は絶望しなくてすむと思う。灯火ランナーができなくなったから、コロナで売り上げが激減したからと言って自殺する人がこれ以上、でてほしくない。

立ち止まった社会が再び歩き始めた時、寛容で、ふところ深い社会を目指せますように!

 

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