Monthly Archives: April 2013

明日から

明日からいよいよ国立教室が始まる。世の中は円安株高、汚染水問題で騒がしいが、ある意味俗世間を離れて清浄な空気を吸ってほしい。みんなでいい気を出してその中で「何か癒された」という感じを持って頂ければまずは目的達成である。

子供達が出た小学校は今日入学式

子供達が出た小学校は今日入学式

しばらくご無沙汰していた谷保神社に行って、ここまでこられた御礼をしてきた。子どもが受験の時、不思議に「コケコッコー」と谷保神社名物の鶏が鳴くと受かり、カラスが「カーカー」となくと落ちた。今日はさかんに「コケコッコー」と鳴いてくれた。(笑い)帰りにふと見上げると全体が真っ白になった富士山が真っ青な空にくっきりと浮かび、息をのむ程美しかった。何か励まされている感じがして、富士山に関係の深いコノハナサクヤ姫にも御挨拶した。

 

母のことと音楽

母の所には定期的に行っているが、施設に移ってから五箇月たち、大分慣れたようだ。今日行ったらはっきり「ありがとう」と言ってくれて驚き、とても嬉しかった。もう私のことを「お父様」とも言わない。でも「遠くの親戚より近くの他人」の諺通り、よく側にいてくれる若いケアマネさんをお気に入りで、今日は「そんなにこなくていい」とこれも結構はっきりと言われた。

母の気遣いだと思うが、やはり少し複雑な心境。「お母様、ここで幸せそうだね。」と言ったらうんうん、とうなづく。「そうだよね。なんにもしなくても誰も何も言わないし、楽ちんだよね。」と少し、意地悪に言っても一生懸命うんうん、とうなづいている。それを見て思わず笑ってしまったら、もう一度「来なくてもいいよ」と言われたので早々に退散した。

公演風景・桜の残照

公演風景・桜の残照

今11時。日曜日はラジオで10時から好きな番組がありご機嫌な時間だけれど、今日はテレビであるピアニストの演奏を聴き、いっぺんにファンになってしまった。ピアニストで好きな人は中村紘子、藤子ヘミングと女性の方がピンとくるのだけれど、今日の方も可愛らしいフランス人。名前はエレーヌ・グリモー。N饗とプラームス、ピアノ協奏曲第二番変ロ長調作品83を弾いた。力強く優雅でなんと言っても、オケとの調和が素晴らしい。技巧的な男性ピアニストはソロではないでしょう、と言いたくなる人もいるけれど彼女はぴたっとオケと一緒に音楽を作りあげていた。いいな、いいな、神様、あなたは彼女に二物を与えられましたね。そういう方の出会いに感謝。絶対生でききに行きたい。ラジオも勿論楽しみました。生きている喜びを感じる時間。

国立教室のこと

いよいよ9日から国立教室が始まる。基本的な姿勢は「来る物は拒まず、去る者は追わず」だけれど、宗教の目的で来る方と「道場破り」をしてやろうという方はご遠慮願うことにしている。(幸いなことに、まだそういう方の申し込みはない)大体三ヶ月ごとに「ここまででいいかな」という方は出ることができて、サーヴィスDayを除いて新しい方が入る可能性はないので、人数は三ヶ月ごとに減っていくことになるがそれはそれで一人一人の指導がしっかりできるのでいいと思っている。一年が単位。

駅の楚々とした生花

駅の楚々とした生花

何とか、いい気を得るのに適当な山も探したい。私は大峰山でいい気を頂いたけれど奈良県はいかにも遠い。女人禁制で私が山に登れないのも問題だし。高尾山は近くていいけれどほとんど観光地になっているので、やはり修験者のための山がいいし。。。また情報を集めながら考えることにします。

 

行き詰まった時

能天気な私だけど、勿論「行き詰まったな」と思った時は何度かあった。でも後から考えると、本当に行き詰まっている時は「行き詰まった」と思うゆとりさえない。無我夢中で毎日を生きた。そうしたからこそ乗り越えられたと思う。

公園の桜。五日前に撮影。もう散ってしまったかな。

公園の桜。五日前に撮影。もう散ってしまったかな。

八方塞がりと感じた時は今は「雌伏」(しふく・今のいままで「めふく」だと思っていた)の時と思って努力したり、全てを忘れて眠りこけたりした。大学受験に失敗した時、失恋した時、妊娠の際の検査で「成人T細胞白血病」かもしれない、と言われた時。子どもがいじめにあっている、と気づいた時。気功をどうやって世に伝えようと悶々とした頃。母が倒れた時。今振り返るともっと慌てるべき時に呑気だったり、「そんなに大きな問題ではない」のに世も終わりだと思ったり。

命を捨ててしまおう、と思い詰めている人に言ってあげたい。全ては「命あっての物種」「塞翁が馬」と思ってもう一日、そしてもう一日、生きていこうよ。明るい方を見ていれば、潮目が変わる日が来ると信じて。

これから大事なこと

母は倒れてしまったけれど、82才までは何とか元気でいてくれた。父は92才だけれどまだ自分で生活もできるし歩いてどこへでも行ける。同世代の女性がどちらかの、あるいは配偶者の介護に追われる中、優雅に(といっても同居家族の世話だけしていればいいという意味で)暮らせたのも、親が元気でいてくれたからだと思う。現代は「お金」が大変重要な「幸せ要素」になってしまったが、「時間」も大きな人生の要素だ。子どものためにも健康を維持したい。

木瓜(ぼけ)も負けずに綺麗です

木瓜(ぼけ)も負けずに綺麗です

母が何もできなくなってしまったのを、ただ心配して見に行くのは「辛い時間」だった。今は言葉もほんのわずかずつだけれど前進して、食事も自分で食べることができる。まだ「会話」は成り立たないので、オペラのアリアのテープを持っていって一緒に聞いたり、歌ったりしている。鮫島有美子さんのお母様と母は友達だった。鮫島さんの歌も「日本の歌」に入っているので説明しながらテープをかけたら、はっきりとわかった顔をしてくれた。「芸術時間」を通して母とつながる。「歌」が与えてくれた時間に感謝している。

KIRAKU国立気功教室に向けて

食あたりで寝ていたり、豊橋に行ったりして延ばし延ばしにしていた国立教室に向けて、やっと動き出すことができた。申し込み書、カレンダー、ご挨拶とお願いの手紙をセットにして今日三人の方には手渡しできた。明日五人の方に発送して一段落。(ほっ!)

桜、桜、ただ咲き誇る♫

桜、桜、ただ咲き誇る♫

決してprofit(利益)をあてにできる仕事ではないけれど、自分の納得できる the public benefit(公共の利益)のためにする仕事をもててよかった、とつくづく思う。人に直接喜んでいただけるのも、この仕事の醍醐味だ。集まってくる皆さんは始めは生徒ですが、そのうち仲間、同志として一緒に活躍できる日を心待ちにしています。頑張ってください。勿論、目に見えない世界を覗いて見たいだけの人もそれなりに楽しんでいただきます。