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居心地がよい、ということ

残念ながらというか、相変わらず、政治の中枢にいるのは男性ばかりで女性はほとんどいない。また、世代交代もしそうにない。ある方に「どうして中央の政治家は、あんなに権力の中枢にいたがるのかしら?だから若い有能な人や女性がなかなか入っていけないのに。」と言ったら、一言、「居心地がいいんじゃない?」と言ったので虚をつかれた。なんとなく公務員は、組織の上に行けば行くほど滅私奉公だと思っていた。少なくとも戦前の政治家は命をかけて、日本のために働いた人が多いと思う。それが「居心地がいいから?」この言葉にとても違和感を覚えるけれど、確かに居心地がいいからいつまでも居座っている、と見えなくもない。

水道民営化のニュースで売り渡された先が日本の会社ではなく、某大臣の娘婿のフランス資本の会社という話を聞いた。それが本当に日本のためになる、と思ってしたことか、それともまさか、と思うけれど自分の身内の利益のためだとしたら、権力濫用以外何物でもない。それをふくめての居心地の良さだとしたら、そういう状態を許している日本国民にも、多大な責任がある。

今、世界が日本が環境が大きな転換点にある。誰しもこのままいくとまずいことになる、と感じていると思う。そう、このまま行けば地球は「居心地の悪い場所」になる。日本は今まで島国であったせいもあり、穏やかで平和な環境を与えられた世界でも有数な「居心地の良い」国だった。私達はそれを保つ努力をしてきただろうか?また紛争、難民で苦しんでいる国にどれだけ関心を寄せ、我が身のこととしてきただろうか?

表参道、カフェサンタに飾られていたオーナメント。スタッフがやさしく居心地のいい空間でした。

私が学んでいるスピリチュアリズムは、自分だけの幸せを望んで生きた人は、この世で物質的に幸せに生きて亡くなっても死に逃げはできない、と教える。魂は永遠で、カルマの法則により、必ずいつか報いを受けるから。また類婚の法則で魂は本当は繋がっているから。マザ=テレサも「利己主義」は一番いけないこと、と言っていた。

せっかくのクリスマス・イヴなのに暗い話になった。少し明るい話をしよう。学生の成績簿ではないが、神様から見てポイントが高いのは、人知れずの善行。(例えば誰も見てなくてもするゴミ拾い、掃除のようなちいさな行いも。)結構誰にでもできるけれど、他者への愛がなければできないことで何をするにしても動機が大事。動機が欲得まみれでは、それで大金を得たら大きな大きなマイナスポイントになります。

何らかの良いカルマ、それがご先祖様からのプレゼントや前世の良い行いの結果であったりするのでしょうが、そのために今、ある程度世の中を思うように動かせる方達は、次に自分の生まれ変わった時、或いは子孫に良いカルマを残せるよう、心して、みなさんのために頑張って頂きたい。

言いたい放題ーオリンピックについて

なかなかブログが書けないので、今日は二連発。今日の夕食はざるそばをメインにした。大好きな子ネギがなかったのは残念無念。後は、ほうれん草の甘辛のゴマあえ。ポテトサラダ。「聖護院かぶらのスープ」、イチゴのつぶして砂糖とミルクを加えたデザート。たんぱく質が足りないが、朝ししゃもを食べたので、よしとする。おいしかったです。

五月上旬の写真。菖蒲かあやめか私にはわからない。

さて、日本でオリンピックができるんだか、できないんだか。不思議なのはバッハ会長がどれだけお偉い方だか知らないけれど、なぜ日本との綿密な打ち合わせも無しに(という風に見える)勝手に色々なことを決めるのだろう。もし、開催国がアメリカやロシア、中国、ドイツ、イギリスでも同じようにするのだろうか。日本は何兆も出しても、そんなに発言権がないのだろうか。はじめに日本に決まるのに、賄賂の話もあったが、オリンピックの女神の逆鱗に触れたのではないだろうか。

始めにロゴ問題で躓いた時、いや~な感じがした。「始めよければ終わり良し」「終わり良ければ全て良し」ということは、東京オリンピックを象徴するロゴで始めに躓いたということは???と、前のことを言っていてもしょうがない。

もし、「もう今回のオリンピックはやめ~」ということになったら?私は大規模な国体をすればいいと思う。昔の日本で霊的な書物で驚くべきことが書いてあった。(以前にも書いたかもしれないけれど)日本は世界の縮図だというのだ。北海道は北アメリカ、本州はアジア大陸と南アメリカ、九州はアフリカ、四国はオーストラリア大陸を表しているという。(正確ではないかもしれませんが、そのような事が書かれていた)で、世界から来ていると思って、各地を世界の大陸に見立てて開催すればいい。(笑)

冗談はともかくとして、コロナでオリンピックができないならば、参加できる選手の体調管理を一年前からして勿論、日本に入国する前に検査をしっかりする。観客も海外から来る人は全て体調に関して管理して、来られる方を厳選する。これしかない、と思う。会長の言に右往左往しないで、日本はこれだけのことをしてきたので世界の方もお願いします、という態度が大事だと思う。もう少し、本当の日本の誇りを見せてほしい。それこそがオリンピックを日本で行なう意義だと思うのだけれど、皆さんはどう思われますか?

 

きめ細かい対策を

コロナに対する戦いが、日本の経済に(世界もだけれど)打撃を与えるのは間違いないだろう。このウイルスの怖いところは、どの国でも未経験のウイルスで、アメリカで開発されたワクチンが本当に効くか、それとも変異してまたぞろ出てくるのか誰もわからないことだ。

アメリカに会社から留学して、ニュウヨーク州の隣のペンシルヴァニア州にいる次男によると、日本はどうしてこんなに死者数が少ないのか、アメリカで話題になっているということだった。これは日本人がBCGをしているからだという説もあるらしいが、落ち着いたらきちんとした検証が必要だ。

花が華やかな季節。一人散歩の途中で。

アメリカではコロナが収束したと思われるところから色々な制限をとき、経済活動を再開させるようだ。バランス感覚が必要だけれど、例えば東京都、と一括りにしないで区部と市部を分けて対策を考えるとか、感染者が極端に少ない県や岩手県には別の対策をとるとか、これからは経済のことも考えると、柔軟な対策が必要だと思う。

G.W.後も、コロナから目を離さず、また第二波が来るような兆候があれば「手続き」にこだわらず、すぐフットワーク軽く対策に動く。柔軟にということは、他国で上手く対策をとっていることはすぐ取り入れる、ということも意味する。韓国では軽症者だとされ、急に悪化して自宅で亡くなるということがないように、政府が主導して軽症者に病院以外の場所を確保して入ってもらい、手当てしているようだ。この前通りかかった郵政研修所の寮が随分空いている感じがした。利用したらどうだろう。韓国は検査も日本と違い、徹底してできている。

残念ながら気象異常や大国の覇権争いで、コロナのようなウイルスがこれからも出てくる要因は沢山ある。今回のことを次の災いの礎にできるかどうか、「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」ようでは次回はもっと大変なことになるだろう。

テレビや他の情報から、勉強したこと、感じたことをまとめて見ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

全てに迅速な対応を

去年から江原氏が「破綻と崩壊」と言っていたが、こういう形で起こるとは本当に予想していなかった。2011年の東北大震災の時もそうだったけれど、「自分達が何をしているのか、見つめ直しなさい。」ということに他ならないと思うのだが、天から(今回は中国からだけれど)災いが降ってきた、としか感じないだろう。私も「お天道様が見ている。」「良くも悪くも自分がしたことは自分に返る。」を実感として捉えられるようになって始めて、全てのことは結局は世界の、日本の、私達の、私の責任だと思う。

現実問題として、コロナが広がり始めても、習首相を日本に招待しようとした国である。日本国民よりも、そんなに中国の方が、経済的繋がりの方が大事だろうか。ついでに言ってしまえば、名古屋でもコロナが広がっているのに、なぜ愛知が緊急事態宣言からはずれるのか。豊田市の某会社に忖度したのかしら。

理解できないのは、マスクの全世帯配布。庶民から見たら信じられないお金をかけて、マスク二枚もらって安堵する人がいるのだろうか。マスクは自分でも作れると盛んに言っているし、効果あるのはコロナ保菌者がコロナを拡散しないようにするだけで、マスクで身を守ることは難しい、と言われているのに。

そんなお金があったらコロナワクチン開発や、今まさに倒産しようとしている会社や困窮している家庭にまわして欲しい。二か月、三か月先ではなく、今すぐに。生活する気力、生きる気力を失くしたら余計コロナは襲いかかるだろう。

三月に撮った写真。自然に接するとほっとする。

初期に「混んだところは避けるように。」と庶民とは遠い発言をしていたが、今でもやはり庶民とは遠いところにいるのだな、というのが「マスクの配布」だ。原爆に竹やりで対抗しようとした戦中の日本とそんなに変わっていない、と私は思う。

日本は存在できるのか(しら)?

新年早々、暗い話をするな、と怒られそうだけれど、この先日本はどうなってしまうのかと心配になる。土地だけでなく水道法、種苗法と根本的なところで日本が売られていくような気がする。

ヘリコプターから外国人が降りてきて、店の主人に「ここの店の物、全部買います。カード使えますか?」と聞く。使えないと聞いて、ではやめます、と言って去っていく。私には「日本、買います。カード使えますか?」と言っているように聞こえる。買えないで、去っていく外国人にどこかほっとしている。

令和二年が魂の前進の年でありますように

文化的なことでも、日本の文化を大事にしているようには思えない。体育にダンスを取り入れるなら、日本舞踊や能、狂言、歌舞伎の所作を学ぶ選択があってもいいと思う。音楽はもうずっと前から唱歌が少ないか、なくなってしまった。日本の情緒をどう伝えていくのだろうか?そして国語まで、日本の名文を止めて、実務的なものにしていくようだ。

いじめなどの問題は、相手の気持ち、立場が理解できないことから起きていると考えるけれど、今までは自国の文化を通して情緒や、人間らしい感情を育てたのではないのだろうか?

最近、どうしてこういう政策をとるんだろう、と思うことが多く、私なりにそのズレについて考えた。一番大きな原因は「これは問題」と思うところが違うということだ。不思議なのは経済、経済といいながらその経済で苦しんでいる人がどんどん増えていることだ。これからどうやっても人間がAIにおされる時代なんだから、人は人らしい感情や情緒の部分で幸せをつかむ方向に向かった方が得策だと思う、とこれは理性で考えた。

温暖化ー臨界点

このブログを書いている時に、丁度テレビで温暖化に関するニュースをしていた。温暖化も臨界点というのがあり、そこを超すと、もう人間が何をしても前には戻らず、グリーンランドの氷は全て溶け、熱帯雨林の木々は次々に枯れていくそうだ。そして、飲める水も食料も足りず。。。ということになる。やっぱり人間のしたことはブーメランのように、人間に返ってくるのだろう。

しかし人はどうして「真実」を見ようとしないのだろう。結局、現状維持が楽だから。これだけ全世界に温暖化の被害が広がっているのだから、「どうしたらいいか。」「何ができるか。」ともっと熱くなって、メディアも真剣に毎日取り上げてほしい。

こういう観点から見ると、不動産処理などどうでもよくなるが、放っておけば生活できなくなるし。。。現世に生きるとはこういうことなのだろう。

花を置くところによって表情が違うのが面白い。

ところで私は何があっても食欲と睡眠欲(?)は落ちない。(だから痩せられない。)でも考えてみたら、食べることと寝ることは、どうもあの世ではできないようで、(亡くなってすぐは目覚めないと言うが)色々考えて不安になって寝れなくなっても、どうせ世の中は変わりはしない。それならば、ぐーぐーと寝ることが現世に生まれてきた醍醐味であり、この世に送り出してくれた方々への感謝の印であろう、と思い私は今日も健やかに眠る(であろう。)

これから。。。

これからの世界はどうなってしまうのだろう?緊急に何とかしなければいけないのは、福島原発の汚染水。それを海に垂れ流したら、もう魚、貝は食べられなくなってしまう。しかし、もう既に汚染水を流している国もあるようで、奇形の魚も見つかっているという。なぜニュースにならないのか不思議である。

科学の力、AIも駆使して汚染水の無毒化とかできないのかしら。どうにも理解できないのは、この地震の国に原発が動いていることだ。原発が全て停まっても電気は困らなかった。日本の将来がかかっている時に、地元の利権もアメリカのご意向もない、と思うのだけれど。

もうすぐ秋の景色になる(はず)小径

そして気候温暖化。少女に「許さない。」と言われて大人はどうするべきだろうか?もっと温暖化の原因究明のため、時間を使いお金をかけなければいけないのではないか。アマゾンに60人の村民が放火したニュースを聞いた時は、地球も終わったな、と思った。

日本のマスコミは、もっと深刻な世界の状況も語るべきだと思う。マレーシアは森林火災の影響で、(ボルネオか?)現在、昔の北京の様に大気汚染が深刻だという。森林の喪失と温暖化の相関関係はどうなっているのだろう。私も嘆いてばかりいないで勉強しなければと思う。頭のいい、科学者さん達、この二つの緊急問題に一人でも多く、取り組んでください。

身内の関係で東大に何度か寄付しているが(少額です)、今回はこのお願いを一応書いておきます。(一人の思いのなんと弱くて小さいことか、ため息!)

何かおかしい、空き家対策

両親の残した古屋付きの土地で、四苦八苦している。不動産のことは、よくわからないけれど、素人の私でも「おかしいな」と思うことがある。例えば、空き家を減らす、という目標がありながら空き家を壊して更地にすると、固定資産税が3倍にも上がってしまう。

一方、亡くなった親が住んでいた家を3年以内に売れば、3000万もの税控除を受けられる一方(他にも色々条件があるが)、住んでなくて所有していた家であれば、亡くなって5年以内に売却すれば、2割~3割の税金を持っていかれる。これは、住んでいなかった空き家を5年以上持っていなさい、ということと同じだ。うちの場合、名義がまだ祖父のままの店舗がこれにあたる。

また、税金もおかしい、と感じる。相続税を家に対して沢山払い、売却した時にまた5年以内であるから、と普通の何倍もとるのは、「税の二重取り」にならないのか?それをある方に言ったら「以前、それは問題になって、一時売却の時の増税はなくなったんだけど国庫が苦しいから、と、また復活してしまって。」とおっしゃっていた。どうしてだろう?その一時なくなった時に、売り抜けた政治家や「有力者」はいなかったのか、と「忖度の時代」に疑ってしまう。

毎年同じ時期に花をつけるということも、良く考えたらすごいことだと思う。

相続であわよくば余裕ができたら、社会貢献したいと思っていたのだが、親戚によると、壊す方が、家を建てるよりお金がかかるよ、ということで、実際取り壊さなければいけない建物がよっつもあり、なんとかうちが破産しないように、と心配している。

これからは全て子孫のことまで考えて、行動しなければいけない時代になった。両親は戦争は経験したけれど、その後は好き放題できた、いい時代に生きた人達だと思う。

何がいけないのか?

最近、子どもが犠牲になる事件が多い。川崎登戸は、私がどこに行くにも良く使う南線沿線で、通る度に思いだすことになるだろう。

小学校六年生の女の子とお若い外務省職員のご冥福を心からお祈り申しあげます。

犯人は自殺してしまったので、余計やりきれない事件になってしまった。「死にたいなら、子どもや他の人を巻き添えにしないで、一人で死んでくれればいい。」というコメントに対し、「それでは解決にならない。」というコメントもあったようだ。

いわゆる「拡大自殺」というもので、自殺したいのだけれど、それでは自分の気がすまない、或いは他人を巻き込むことで自殺の寂しさをまぎらわすという心理のようだ。勿論許されることではない。しかし現実的には、なぜこういう人になってしまったか、という分析なしには次から次へと同じ様な事件が起きることは間違いない。

一番には、自分の未来に希望が見出せないことだろう。そして、この事件を考えていた時に、私が勉強しているスピリチュアリズムのH氏が作った2017年5/31日の日めくりカレンダーを見たら、「問題を起こす子を怖いと思うかもしれないけれど、その子たちは『空き家』なんです。住人は誰?『愛』という住人がいないから、空き家なんです。」という文章が目について、唸ってしまった。どうして唸ったか?

やはり例外なく、犯人もそうだったのだろう(だから許されるとは言ってません)という気持ちと、いつもそうなのだけれど、どうして考えていることのヒントになる言葉をタイミングよく投げてくれるんだろう、という驚きの唸りだ。

ということは、日本人を取り巻く環境が「愛」を与えられないのではないだろうか?一緒に暮らしていた親戚、という狭い範囲ではなく(大変彼を心配なさっていたようです)モノ、金、権力で人を判断することになってしまってないか?それは息苦しさと自己を認められない寂しさ、だけを若者に感じさせないだろうか?

子どもを巻き込んだ多発する事件は、ヨセフやマリアと子どもであるイエスの犠牲に見える。イエスは人の、自分だけを愛する心ではだめだ、という教訓を残してくれた。心を大事にする社会でなければ、人として恥ずかしいと思う。経済的に行き詰まりが見えてきた現代こそ、教育も生き方も考え直すチャンスかもしれない。

誤解なきよう書いておきますが、スピリチュアリズムを勉強し始めて不思議なことは幾つもありましたが、いわゆる「ご利益」を金銭的に頂いたことは一度もありません。ただ、「気づき」という「ご利益」は沢山いただきました。(宗教とは思っていません。)

時間がないので、写真は後日入れます。

 

どうしても、わからないこと

今日は三月11日、八年前のこの日、今でいう東日本大震災が起きた。心から被害に遭われた方のご冥福をお祈りいたします。菊田心さんの詩『ありがとう』を読んで、惨事を糧に成長する人のたくましさ、やさしさを思った。

今、福島原発で施設に残った燃料デブリ(下段参照)がロボットでもなかなか取り出せず、このため廃炉作業がなかなか進まない。これは高い放射線量でとても危険なので、人は近づけない。何とこれが何百トンというから気が遠くなる。そして、原子炉を常に冷却していないといけないので、毎日膨大な汚染水が出て、その水を「海に流すこと」を検討していて、それを知った漁師さん達が大反対しているという。

東日本大震災で犠牲になられた方へ。

放射性物質は1500年は出続けるようで、これだけでも暗澹たる気持ちになるけれど、不思議なのは日本はどうして、他の原発の再稼動に舵をきったかということである。地震の可能性がどの地域でもこれだけ言われていて、外国は福島を見て「再生可能エネルギー」に重点をおきだした。日本は率先して原発を離れても、なんの不思議もないだろう。

それを何故か「原発」の電力を最優先し、「再生可能エネルギー」(下段参照)と止めたり、あろうことか「原発」の輸出に熱心である。原発が事故を起こすといかに恐いか、身をもって体験しているのに。

そして戻ってこようという人が非常に少ない土地に何十億もつぎこんで、何が生まれるのだろう。そのお金をいまだ避難している5万人以上の人の生活再建にあててほしい。

「原発」に頼らないと、日本の経済はもう支えられないのか、それとも有効性のない「復興工事」や「原発再稼動」させることで、大きな利益を得るところがあるのか。有利、不利、や損得を超えて日本人が未来に安全に住めるかどうかという究極のところまで来ているのに、どうも感覚的にわからないことが多すぎて、少しでも真実を知らなければと思う日々である。

「燃料デブリ」  原発事故で溶けてしまった核燃料が、原子炉のコンクリートの壁や他の金属と混ざって固まったもの。

「再生可能エネルギー」  石油や石炭、天然ガスといった有限な資源である化石エネルギーとは違い、太陽光や風力、地熱といった地球資源の自然界に常に存在するエネルギーのこと。その特徴は「枯渇しない」「どこにでも存在する」「二酸化炭素を排出しない」の三点である。