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私と自然

よく言われることだが、多くの国が自然を「征服すべきもの」とらえる中、日本人は自然の中に神を感じ、敬い共生していく方法をとってきた。幼い頃は中国山脈のなだらかな山で遊び、瀬戸内海の海の幸を堪能し海水浴を楽しんだ。春夏秋冬を当たり前のように体験し感じてきた。季節は体全体で感じるもので、特に空気が運んでくる匂いや植物や動物の気配も印象的だった。

いつからだろう、季節を温度でしか捉えられなくなってしまったのは。確かに梅、桜、朝顔、ひまわり、公園の広大なポピー、コスモス、虫の声が季節を伝えてくれるが、春になってもあの大地の喜びの様なふくよかな春風は感じない。秋になってもあの厳しくて透徹した大気はない。ただの感傷だろうか。平和を絵にしたような、あの頃の日本の自然にもう一度抱かれてみたい。

街の夕暮れ。賑やかだけれど、どこか寂しい。

街の夕暮れ。賑やかだけれど、どこか寂しい。

 

「死」に対する考え方

昔から「面白い人」と言われてきたが、自分ではどういう風に面白いのだかよくわからない。ただ自分でも変わっているかな、と思ったのは幼稚園くらいの時に「死ぬということは自分が全てなくなってしまうことなんだな、なんて怖いことなんだろう。こう考えている自分もなくなってしまうんだ」と寝る前に必ず思ったことだ。

梅一輪一輪ほどの暖かさ

梅一輪一輪ほどの暖かさ

ところがここ五年くらいのこどだけれど「魂は不滅」という考えが思考に定着してから「死」に対する考えはがらりと変わった。いつか訪れるもの、でも「私」が全てなくなるわけではないと冷静に思えるようになってきた。でもまだ自分自身に対しての話。震災で身内を亡くした遺族の方の記事を読むと、どんなに辛かっただろうと涙してしまう。やはり現世にいる者にとってあの世は遠い。でも信じている。犠牲になった方たちの遺された者への魂の応援を。

色について

まだまだバリの夢冷めやらないけれど、(日本に帰ってきた次の日から仕事は始めています)今日は突然「色」の話。ロンドンでミーディアム養成クラスに参加したとき、「あなたの色はあなたが思っている橙ではなく、薄いピンクです」と言われた。思ってもいなかった色で「ふ~ん、どおりで私は女らしいのだ。(???)ショッキングピンクと言われなくてよかった」と思ったものだ。

バリ、デンバサール空港で

バリ、デンバサール空港で

考えてみると日本人の姓名には色がついている人が結構多い。黒川、黒田、白川、緑川、茶原、赤川,灰谷、桃谷、青山などなど。そして気がついたのだが姓の二文字目は自然に存在しているものが多くくる。これは一字目が色でなくても同じ。私は山が好きだから桃山さんだったらイメージにぴったりかな、等ととりとめもないことを考えていて、昨日はなかなか寝つけなかった。