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子供達のこと

私は三人の息子がいるが、小さい時よく「どの子が一番合うか、もしくは可愛いか」という奇妙な質問(と私には思えた)をされた。子供は皆そうだと思うのだけれど、十人十色で個性が際立つ。というのもまだ、社会規範、とか同調圧力、忖度など知らないわけで、暫くはどの子も個性そのままに生きていくことが許される。三人の子供達のどの子が、と聞かれてもピアノと本と山、の中でどれが一番好きか、と聞かれているくらいの違和感があった。

『あなたも気功師』の本の中で「次男が一番わかりやすくて合う」という様なことを書いてある、いいの?と言われた。本当に申し訳ないのだけれど、全く覚えてない。多分長男と三男にむかっ腹のたつことがあったのだろう。長男を一番愛している。次男は一番愛しい。三男は一番可愛い。ただしこれは今の心境で、時間が経つと「一番」以下の感情が入れ替わるかもしれないが他の言葉に変わることはない。そう、私はピアノも本も山も大好きで、人生にかけがえのないものと思っているように。

何の実だろう。果物のおいしい季節です。

それぞれ独立したけれど、まだまだ心配なことは尽きない。両親やご先祖の位牌にむかって、色々思っていた時に、大変なことに気が付いた。私は子供達が独立するまで、いつも同じことを長い期間お祈りしていた。「どうか、子供達が社会に貢献できる大人になりますように」と。それを今日突然思い出した。子供の独立と両親の介護が重なって、いつの間にか忘れていた。恩知らず、その上どんどん他のことも言ってきて、という声が聞こえてきそうだ。あ~あ、恥ずかしい。叶えてもらったのに、お礼も言わんと。自分でもあきれる。今日改めてお願いした。「私も含めて縁ある者が霊的に成長できますように」と。これも自分の志次第でしょ、という声が聞こえてきそうだけれど、少しはスピリチュアリストらしいかしら。

三男との会話

三日前のこと。朝、華々しく私と喧嘩した三男が帰ってきた夜の会話。帰ってくるなり「今日は本当に、暑かったな。」と言うのが聞こえた。私は「いやー、本当に暑かったわね。おや、久し振りに意見が合ったじゃない。」と友好の手を差し伸べた。なのに「意見なんか合っちゃいねーよ。俺は『今日は蒸し暑かったな。』と言ったんだ。」と無粋にも返してきた。

六月は紫系の花が目立つ

六月は紫系の花が目立つ

いやはや、いつになったら「おこちゃま」から昇格するのやら。でも彼は外に出ると豹変し、いつか人前でしたスピーチは堂に入ったものだった。喧嘩もこんな会話も彼が家にいるうちだけのことだろう、と思うと、ま、いいかと言い返さない母だった。

良い教育とは?

今日の新聞に「所得の多い家庭の子どものほうが、よりよい教育を受けられる傾向」を「やむをえない」と答えた人が半数を上回った(52.8%)とあり、考えこんでしまった。お金をかければ得られる良い教育とは高い塾、有名私立、お稽古事かな。確かに得られるものは多いだろう。もし芸術系に才能があれば、お金をつぎ込んで才能を開花させるのも悪くない。

春、間近

春、間近

でも教育の目的が、子どもが精神的に自立して、社会に適応し、個性に応じた活躍ができるようにすることだということを思い出せば、まず人格形成、それにコミュニケーション能力が大切な要素ということがわかる。これはお金をかければ得られるものではないし、お金がなければ出来ないということでもない。案外ここら辺に教育の「希望」があるのかもしれない。

昨日の続き

昨日、昭和記念公園でよく子供を遊ばせたことを書いた。当時、ぎりぎりの生活の中でいかに不自由な思いをさせないで楽しく過ごさせるか、ということに心を砕いていたように思う。だから公園は貴重だった。転勤族で公園が少ない所に行ってしまった時は途方にくれた程だ。

冬の木陰(?)

冬の木陰(?)

楽しく公園で大遊びして帰る時、いつも思った。子供は近くの公園で遊んでもハワイに行って遊んでも楽しければ同じね、と。決して僻んだり妬んでそう思ったわけではない。身の丈に合った楽しみ方があり、でもどこでもenjoyできるし幸せはどこにでも転がっている、といつも帰り道に実感していた。また子供は楽しんでいる時が一番集中するので、結果集中力を公園で養ったのだな、と後から思った。