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新年になりました。ーダブルワークを目指してー

2021年、令和三年になりました。新年のご挨拶が遅れて申し訳ありません。正直、お目でたいという気がしませんでした。ですが、心新たに出発することは必要かと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。私事ですが、前から(一応)所属している商工会議所から、おたくは「趣味」で仕事をしているんですか?というようなことを言われてきました。「仕事」なら、ちゃんと利益を生み出すべきでしょう、というのが言外にあります。ごもっともな意見です。なのに、どうして、まだ追い出されないかというと、ちゃんと月会費を払っているからです。(笑)

去年の今頃は、よし、再出発だ、気功を「仕事」として頑張ろうと思っていました。その為に、本の出版、近隣のママ達に教えるために幼稚園に出向く、近くの大学の留学生にも宣伝してクラスに参加して頂こう、など色々と考えていました。しかし、時を同じくしてコロナ禍。仕事を直撃しました。まあ、今年で10年目に突入したし十分してきた、もういいかな、という気持ちはありました。が、クラスの開催場所が格安で借りられるようになり、カムバックの方が二人もいらっしゃり、本がなかなか出ないので、もう出版社は倒産したかも、と半分諦めていた矢先、立て直した代表取り締まり役の方からお電話頂いたり、で「続けてよい」ということしら、とクラスを止めないことにしました。あれっ、ひょっとして、出版社、倒産したかも、と思った時期があり、クラスの方にも愚痴をこぼしていたのですが、本当にその頃危なかったようで、う~ん、頭は冴えなくても、まだ勘は冴えてるかも、と思った次第です。(初自慢)

けれども、色々な事情から「趣味」だけで暮らしていける訳ではなく、〇この年で働けるところ〇キャリアとして積めるところ〇定年がないところ、と考えていたら、いつものことですが向こうから情報がやってきました。(二番目自慢)つまり市報に「介護福祉士・研修」の応募を見つけたのです。これもいつものことですが、あまり深く考えずに担当者から「本当は初任者研修」からなんですけれど今、コロナで無くなってしまったので、これを受ければどうですか?と言われ、両親を六年介護したので、大丈夫だろうとすぐ決めてしまいました。時間あったし。

スマホから引っ張ってきました第二弾。慣れると便利かも。

送られてきた教科書は気が遠くなる様な分量で、すぐ後悔しましたが、何よりも暇が嫌いな性分なので何とか取り組み、(時間があったし)dead line の前日にテストを提出、滑り込みました。それから実地研修(午前はワークショップ、午後は体で覚える訓練)が11月から12月にかけて7回。朝9時から5時半まで。私以外は皆経験者か現場の方、女性では私がダントツ年上の中で、かなりハードでしたが、なかなか得難い楽しい、有意義な経験でした。コロナ禍の中で堂々と外出、活動できるのは良かったです。

しかしながら、やはり体力に不安があり、同級生も「続かなければ意味がない。体力のことをよくよく考えて。」とアドバイスを頂き、訪問介護なら一日一時間でも一日とカウントされるし、(介護福祉士受験のためには日数が問題)買い物、掃除、お料理なら気楽かと思って履歴書に「始めは週二回ほどの訪問介護で」と希望を書きました。

さて面接の日、担当の方が男性だったので、そのつもりで行ってみると、何と伝説の女性理事長が座ってらして(施設の創業者、700人の従業員のtop)「あなた、せっかく介護福祉士の研修、終了したんだから施設ではたらきなさい。週三日でどうですか?」と言われ、あ、も、う、もなく承諾して決定。しかし2月にもう一つ大事な試験があるので、2月20日からと決めてきました。これは最後の研修終了前なので12/19の何日か前のこと。研修の仲間から「また、随分後なんだね。」と言われたけれど、コロナが猛威をふるっている今、日にちとしてはいい選択だったと思います。

しかし、健康診断で引っ掛かり(10年以上受けてない)この話は無くなる可能性もあります。そうしたらまた、次のことを考えるつもり。今度は事前のリサーチをしっかりしなければ。

コロナのせいで職を失った方、介護関係は人数足りてないし、研修費も施設で出してくれる場合も多いので、「とにかく今」をしのぐにはとてもいい職業だと思います。他にも第一次産業は人手が足りないようなので就職のチャンスはありますが、家庭や地域から離れたくない女性の方には壁があるかなと思います。その点、例えば、訪問介護であれば近くが職場になります。自殺や心中を考えるくらいなら、もっと視野を広くもち、「あなたを必要としている方」の所に行ってほしいと切に思います。

 

 

介護の後で

父がが亡くなってから、七ヶ月が過ぎ、母が亡くなってからは、まだ半年過ぎたところだけれど、なんかもう、月日が随分流れたような気がしている。親戚の人が、がっくり来るよ、寝込むかもしれないね、と心配してくださったけれど、ミーディアムを通じて両親が出てきてくれたせいか、喪失感がほとんどない。ただ、最近、母が使っていた櫛に母の白髪が何本かついているのを見た時、なつかしさがこみ上げて来て、暫く撫でていた。

そんなことなら、母の髪を一房、切っておけばよかったのだけれど、何となく嫌がるかなと思い、また死者に対して冒涜のような気がしてしなかった。なかなか素直に二人に感謝できなかったけれど、今になっては、やはり世の中で一番私のことを思い、気にしてくれた人達だと感謝できる。

父の下の世話は随分したが、母は嫌だろうと思い全くしなかった。でも考えてみると、始めに入った施設で、オムツの取替えをする時は必ず「外に出ていてください。」と言われたので、そういうものかと思い最後までそのようになってしまった。特別そのことに関しては母は何も言ってなかったので、ほっとした。

土、日は必ず、一人ずつどちらかに行っていたので、(一日しか行けない時は一日に二人を見舞った)土、日にどこも行かなくていいということが、こんなに楽で、その分時間があるというのは、私にとってとても新鮮だ。毎日鏡の中で見る自分の顔も心なしか、最近疲れが取れてきた。今になって、やっぱり大変な六年間だったんだと思う。でも色々な方と知り合い、親身になって下さった方とも沢山出会えて、そういう意味では充実した日々だった。

 

美しい顔がぼけてしまって残念!滝を見て下さい。

両親に密に接することができて、アメリカの姉には悪いなと思ったことさえあった。相続に関する宿題が沢山あり、また当分それで駆け回らなくてはいけないが、両親や先祖の方々が向こうで、残した財産に誇りが持てるような受け継ぎ方をしていきたい。スピリチュアリズムを教えて頂いているE氏がよく「自分が汗水たらして得た財産でないものに、執着するのはおかしい。」と言っていたが、その通りだと思う。だから世の中になるべく還元できたら、と思っている。(とは書いたものの、相続の結果プラスになるかマイナスになるかは今のところ見通したたず)

もし余裕があったら、今、一番気になる、虐待防止に何か役にたてることができればいいなと考えている。

 

 

介護に関して思ったこと

多分私は、自分の両親だったので当然のことと思い、世話をした。周りや親戚の方が「本当に大変ね。」と言って下さったことが多かったけれど、いつも「いえいえ、とても大変なのは直接お世話してくださる方達。私は両親がどこにいるべきか、の場所の管理が主ですから。」と答えていた。

少し認知の入った、娘の言うことを全く聞かない父と要介護5で六年になろうとしている母をうちで見なくてはいけなかったら、どうなっていただろう。どんなにヘルパーさんやケアマネさんが助けてくれても、夜はほとんど眠れないだろう。自分が真っ先に天国に(行けたら)いっていたかもしれない。

また、お嫁さんの立場で同じ状況だったら、余程労働として評価され、感謝されなければ割に合わない、と感じただろう。これだけ「家」的な感覚は崩壊し、立場上の「嫁」だけが生きているのは不思議といえば不思議なことだ。相続も嫁はかやの外。実家を兄弟が継いでいれば、実家にも平等な相続を主張するのははばかられるだろう。母はそうだった。(誤解されないように書いておくが、私はそれでよかったと思っている)

介護にも色々なケースがあるが、私は当然、両親のどちらかが介護が必要になれば、一方が主になり、私が手伝い、残された一人を私が看ればいいと思っていた。うちの両親は、年齢差が8歳~9歳なので、当然父を母と介護するものだと思っていた。そしてそれを何となく楽しみにも感じていた。

それなのに母が六年前に倒れ、その時90だった父に何ができるというのか。ようするに一度に二人の介護がスタートしてしまった。何度も父に、母と一緒の施設に入所することを勧めたが、頑として拒否され、泣く泣く遠い練馬まで行ったり、母に会わせるため国立まで送迎することになった。色々足りないことはあったけれど、最後まで好きにさせてあげようと努力したことは認めてほしいな。

うちの中に今お花が沢山ある。花の癒してくれる力が有難い。

お母様も、もうすぐそちらに逝こうとしています。現世で優しくしなかった分、今度はお父様がしっかり、お母様をお世話してください。そして二人で浄化して、天国で暮らして下さい、というのが私の希望です。こちらのことは心配無用。私は太りすぎに気をつけて元気にやります。子供達も意外としっかりやっています。みんなで可愛がった甲斐がありました。有難うございました。