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ストレスをあまり受けない方法

はっきり言ってめちゃくちゃ忙しい。何となく還暦過ぎたら、縁側で(うちにはないが)猫とひなたぼっこしているイメージをもっていた。それが母が倒れ、残された90を過ぎた父も一緒に介護することになった。約六年。
去年母が亡くなり、その前後で母関係の親戚が怒涛のように亡くなり、(涙の乾く暇もなく、というのはこのことだ。)お通夜、お葬式、四十九日の法要を繰り返した。三か月の間で両親が亡くなったので、その後、山の様な書類に奮闘した。

私が倒れるか寝込む、と思った親戚もいたようだ。ところが、20人も相続人がいる古い建物とか、築70年以上経った建物が愛知県にあることがわかり(父の亡くなる一年前に知った)そこにはお店が入っていたので、調べてみると保険に入ってない。損害保険と生命保険の仕事をしていたので、無保険の恐さは身に染みて知っている。もし地震で倒壊して店にいた方に死者が出たら、賠償金を支払う義務がある。しかも場所は愛知県である。下手したら、三代先まで迷惑がかかる。ひぇ~、と思い対処するのに、寝込む暇も倒れる暇もなく今日まできた。

そんなこんなで、気功の仕事以外に関わる方がいっぺんに増え、裁判に関わることもあったので、本来は内向的な性格だし(???)ストレスがたまりまくるはずだった。でもあまりに他のことでも忙しすぎたためか、ひどく落ち込むこともなかった。(たまには落ち込みました)

何を撮りたかったのか良くわからない写真。緑と木を楽しんでください。

人は内側から霊体(魂の部分)幽体(感情)肉体と三部構成らしいが、無意識的に外から受ける刺激に対する反応を霊体の部分では受け止めないで、幽体でとどめていたような気がする。怒ったり、喜んだり、悲しんだり、嘆いたり、ほっとしたり時には憎んだり、感謝したりと感情的に本当に忙しい二年間だったけれど、魂の部分はスピリチュアリズムでコーティングして、負の感情は、はね返していたように思う。

スピリチュアリズムで、向こうには財産、権力、地位は持っていけませんよ。持っていけるのは、経験と感動だけです、と習った。プラスの感情、特に感謝の気持ちは魂にしっかり刻んで、後は魂の肥やしにするくらいの気持ちで、これからも樹木希林さんが言う「平気で楽しんで生きよう」と思う。

ある女の子の死

残念なことに、子供の虐待死が後を絶たない。不思議なことに、写真で見るその子達は、とても愛くるしく天使のように見える。顔で判断はいけないが、あまりの可愛さに両親が嫉妬し、母親ももはや母ではなく、一人の女として対峙してしまったのか、と思うほどだ。

文書を残して最近亡くなった女の子は、文章を読むと気高くさえあった。人格の高さに、人の気持ちを失った両親はかえって追い詰められたのだろうか?女の子の内なる光がまぶしくて、殺してしまった、となると昔々、そうこの世界が始まった頃を思い出す。

白いお花はどんな花も浄化のイメージがある。

イエス・キリストの処刑。スピリチュアリズムを勉強し始めて、イエスの処刑の意味をずっと考えてきた。「自分達の罪を背負ってくれたから、自分達は無罪放免になった。信ずる者は救われる。」という見方がよくあるが、私にはあまりにも都合のいい見方だと思う。「イエス自身のカルマの解消」、これもイエスを余りにも矮小化している。イエスは生前、天の人達と交信できる程の霊格の持ち主だった。

私が考えたのは、(というかこれまでの学習の集大成として)イエスは人間のカルマを自分の身を犠牲にして表したのではないか、ということ。つまり、他の人にあれだけ尽くして、最後に酷い仕打ちを受ける、人とはこういうことができる生き物ですよ、ということを体現して示してくれたのではないか、ということだった。

女の子のつぶらな瞳と、一生懸命書いた文書を目にすると、この子も一人のイエスだな、と思ってしまう。

あるミィーディアムとの出会い(1)

以前、クラスにいたWさんは、今、日本科学心霊協会という所にいる。ある日、電話を下さってイギリスから、霊媒師を目指す人を育てていた程の女性の先生が講演にみえるけど、来ない?とお誘いくださった。(霊媒師とは、亡くなってあちらの世界に逝った方と通信して私達にその言葉を伝えることを仕事にしている方達を言います。)良く誘ってくださるのだけれど、忙しくてなかなかいけなかったし、最近両親もあちらの世界に逝ったので、ひょっとして何か言ってくれるかしら、という期待もあった。

その霊媒師はイギリス人でGail Moffat さんという方だ。とても優しい感じで、わかりやすい英語で話してくださった。後でやり方を変えたが、始めはこんな人が来ていて、こんな風に言っているけれど、心当たりの方いませんか?と聞いて手を上げた人に、本当にその人の関係の人かどうか、詳しく聞いて、その人に間違いがなければメッセージなどを伝えていく。

後半、「その人は亡くなる前何年か口をきけませんでした。」と言ったので、はっとして母ではないかと思った。6年前脳溢血で倒れた時、脳の中の言語野という所にダメッジを受け、話せなくなっていたから。しかし「その人は『乳がんで亡くなった。』と言ってます。」と言ったので、あっ、違うと思った。他に当てはまる方がいて、ゲイルさんと話していたが、なくなった原因以外全て私に当てはまったので、聞いてみた。

すると「少し二人がシンクロしてしまいましたが、確かにあなたにも来ているので言っていることをお伝えします。」とおっしゃって下さり、以下のことを伝えてくれた。○喉が悪く、それを医師に上手く伝えられなくて、それが悩みだった。(母は倒れる前から喉、気管が弱かった)○良い写真を選んでくれた(死に顔がとても綺麗だったので、若い時の綺麗に写っている遺影を違和感がないと思い、皆で選んだ)○皆で思い出話をしてくれて、その内の一人がした話で私が『お母様はこんな人まで世話してたんだ、と驚いた。(全くこの通りで、親戚のY君の下宿のお世話をしたことは、その時まで知らなかった)○母にと言って持ってきてくれた物を他の人に渡した(お見舞いに来て下さった方は大抵お菓子を下さったが、母が食べられないものが多く、勿論ご家族の方にでも、という気持ちで持って来て下さったのだけれど、施設の方がとても良くしてくれたので、施設に置いてくることもあった)○何度も何度も会いにきてくれた(最後の三年間はうちの近くだったので、せっせと通うことができた)○自分は料理が得意だった(これも周知のこと)○オシャレな人で、私に「あなたも少しは身なりに構いなさい。」と言っています、とゲイルさん(これを聞いて母だという確信をもった。若い時から全く同じ言葉を何度も言われた。倒れてからも目でいつも服装をチェックされた)○私が良く皆のお世話をして、向こうの世界で母はこのことを誇りに思っている(これを最後に言ってくれた。イギリスで別の方にシッティングした時も同じことを(故)叔父から言われた)

青空に桜が良く映えて、今年は桜がとても綺麗だった

霊魂は向こうの世界で生きてますよ、ということを証明することが、こういう会の目的でこちらから質問することはないが、これだけ、私しか知らないことを次々と言われて母であること、母は向こうの世界で健在だということがしっかりわかり、色々な疲れは吹き飛ぶ思いだった。「天は見てござる」というのは、ただの諺ではなく、事実、と確信もした。

今、この文章を書いていたら、いきなりお線香のいい匂いを強く感じ、ああ、これが所謂「芳香現象」か、書いていいかなと少し迷っていたけれど、いいのよ、と言ってくれたと安心しました。

貴重な経験、霊界とゲイルさんとYさんに心からお礼申し上げます。お母様、有難う。これからも、そちらに行くまで頑張りますね。

正念場

父ばかりではなく、8月8日に母も緊急入院になってしまった。どう考えても相性のいい夫婦ではなかったけれど、何故か二人とも、同じように、あまり食べないし飲まない。今後、父は喉の詳しい検査を、母は頭部の検査をしてもらうので、夫々の原因がわかるかもしれない。父は武蔵小金井に、母は立川にいるので私は二つの病院を行ったり来たりしている。しかも現在のシステムでは、長く病院にいることが療養病棟以外では許されず、二人とも転院を考えなければならない。

交通費だけでも結構かかるが、とられる時間は半端ではなく、理想的にはベッドの脇で長い時間過ごしたいのだけれど、寝ていることが多く、起きていても母は話せないし、父もすぐ疲れるので長い話はできない。ほとんど、顔を見て、検査結果を聞いて今後のことを話し合って返ってくることになる。決して楽しいことではないので、ストレスが溜まる。段々弱っていく姿を見るのも辛い。96にもうすぐなる父と、5年前に重い脳溢血をした母が今まだ存命していることだけでも感謝しなければいけないのだけれど。。。

水のある風景・春(時間がなくて最近写真撮ってません)

気功のクラスでは色々なことをあからさまに言ってしまっているので、クラスをすることは、私にとって息抜きになっている。それを柔らかく受け止めてくれる皆様で本当に良かった。二日前不思議な夢を見た。座っていると背の高い黒人の方が来て、(私はその方は神様だと知っている)座ったままの私をしっかり抱きしめてくれた。とてもふんわりしていて温かく気持ちよく、私は嬉しそうに笑いながら遠くの方にいた長男夫婦を見る。それだけの夢だけれど、どこかでもう一人の私がそれを見ていて、「そんなに嬉しそうにするのは、はしたない。」と思っている、少し混乱した夢だ。

起きてから「はっ、何かのメッセージ?余程疲れているのか、癒しを求めているのか」と思ったが、心身共に温かさは残っていた。そして二日たった今日、メッセージがのっているスピリチュアリズムのカレンダーをめくってみた。別に答えを求めていたわけではなくて、裏をメモ用紙にするのに丁度いいから。(ゴメンナサイ)すると「人はときに、それぞれを守護する類魂たちにより、おもちゃを与えられた赤子のように、あやされることばかり」と書かれてあり、ああ、これだ、あやされたのだ、と納得した。見てますよ、というメッセージでもあり、かなりの励ましになりました。しかしながら、多分手のかかる赤子だとは思う。

(今日わかった)霊格を上げる方法

父が一人で暮らせなくなって、こちらへ来て間もなくの五月十四日に病院に入ってから今に至るまで、まだ退院できずにいる。病院は三つ目になった。一人でぎりぎりまで頑張っていたせいか「坂を転げ落ちるように」状態は悪くなり、一人で普通食を食べていたのに今はコーンスープくらいのとろみのご飯、おかず、味噌汁を少ない時はスプーン三杯ずつくらいで「もういい。」と言う。杖を使いながら歩いていたが、今は半身を起こすのがやっとだ。しかし、思いがけず認知は良くなり、話していても矛盾はない。夫々の病院はしっかり対処して頂いて、とても感謝している。段々弱っていく父を見て、ちゃんと住民票を移しておくこととか、空き家をどうするのかとか問題が山積みで、一緒に少しでも長くいたいと思っているのだが、それも思うようにできない。それに、転院もかなりの時間と労力を使う。

暑い中、または雨の中、区役所や実家を走り回っていて、とうとう昨日は朝早く起きたものの、どうにも眠くてちょっと、と思って寝たら延々と寝てしまった。起きた途端に、何故か前に見た不思議な夢を思い出した。もう数年も前だけれど前からE氏が歩いてきて、すれ違いざま「お父さん、食べられなくなったら、気をつけてあげなさいよ。」と私に声をかけた。ただそれだけ。でも今まさにその状況。気をつける、というのはやはりしょっ中行って様子を見ることかなと考えた。

ストレスがたまってくると、ちょっとのことで落ち込んだり、自暴自棄気味になったり、不機嫌になったりする(ことが最近わかった。)しかしスピリチュアリズム的に見ると、どれもいけないことで、守護霊との間に厚い雲を作ってしまうと言う。そうすると増す増す状況は悪くなってしまうようだ。妬み、嫉みはオーラが赤黒く汚れてしまうそうで、これも怖いが私は能天気なせいかこの感情はなく、どちらかというと怒り、もしくはいじけの方かと思う。

30年位前に従弟からのプレゼント。傷ができたのでふくろうのシールを張りまくり、暫く使ったけれど横に穴があきお別れを決めた。


寝てストレスが軽減されたせいか、「霊格向上を願うならば、修行や大きな善行が今できる状況ではないので、せめてこういう負の感情を意識して早いうちに摘み取るようにしよう」、と目覚めて思った。調子がいい時に得意になったり傲慢になったりしないのも難しいけれど、人生の難局の場面で拗ねたり、いじけたりしないこともなかなか難しい。問題解決には「何かを断つ」が有効と聞いたが何度やっても失敗し(コーヒー、お菓子、夜更かし等々)あきれられて、放り出されるかもと心配していたけれど、心構えの努力ならできそうだ。

人は寝ている間に、霊界に行ってアドヴァイスを受けたり、一緒に策を練ったりすると読んだ。今年の初めから予期せぬことの連続で、のた打ち回っている私を哀れに思って、霊界がメッセージをくれたのかもしれない。

(私が学んだ)霊格を上げる方法(3)

この前は霊格を上げる積極的な方法を書きましたが、今回は消極的な方法だけれど、誰でもできることを書いておこうと思います。それは、悪い「思い」を持たないこと。スピリチュアリズムによると、「思い」「言葉」「行動」は同じ意味を持つくらい「思い」は大事だということです。悪い「思い」と言っても今の世の中、誰しも不安があるし悔しさをばねにして飛躍する人もいます。ここで言う悪い「思い」とは、マザー・テレサの「もっとも素晴らしいものは」という言葉に入っている「妬み」と「恨み」をさしています。

誤解があるといけないので、少し引用しておきます。「最も危険な人は妬む人です。」「最も卑劣な行為は、恨むことです。」最後の行は「世界の中で最も強い力は信仰です。」「すべての中で最も素晴らしいものは、愛です。」で終わります。興味がある方はネットでも検索できます。余談ですが、「思い」と「想い」の違いを調べたら、ほとんど同じですが、おもう対象がある方が「想い」ということなので、「妬み」や「恨み」については「想い」でしょうね。

初登場。私の母。写真を撮る時はいつも目を閉じてしまいます。

初登場。私の母。写真を撮る時はいつも目を閉じてしまいます。

本当は自分に原因があるのに、人は、(勿論私も)不都合なことがあると、つい他人を恨んだり、その人の今までの努力や状況も見ないで、妬んだりしがちです。そういう時は心に好きな音楽を浮かべます。音楽が苦手な人は好きな風景や人の顔でもいいでしょう。私はピアノをしているので、大抵音楽です。昔から不思議に思っていたのは、本当の音楽家に犯罪者はいない、ということです。「妙なる調べ」という言葉は音楽のことで、音楽は霊界の上の方と繫がっているのでは、と勝手に思っています。

ですから今、義務教育で所謂主要五教科以外の音楽や絵画の時間が少なくなり、知識ばかりで情緒教育が疎かにされているのが、すぐきれる子供や大人が増えた原因の一つではないかと思っています。やはり人の幸福は「満たされた思い」にあり、何もしていない時でも良き思いに満たされていれば、霊格も上がるし、ネガティブな思いからくる不幸も寄せ付けないし、一挙両得というものです。と成果主義に陥るのは霊格を下げるようで、なかなか難しいことですが、皆さんと一緒に思う時間を大切に、生きていきたいと思っています。

(私が学んだ)霊格を上げる方法(1)

気功師をしながら、スピリチュアリズムを勉強していて、わかったこと、今の時点で私なりに理解したことを書いておこうと思う。まず、なんで自分がこうして生きて、ここにいるんだろうと人なら必ず考えると思うのだが、(私も幼稚園の時から不思議だった)私は以下のことを学んだ。現在は、生前から死後までずーっと続く魂の履歴のほんの一時であること。全てが魂の向上を目指す壮大な計画の、自分も一部であること。そして、この世はそのために魂を磨く磨き砂が(あり難いことに)あふれていること。磨き砂は合わない他人であったり、劣悪な環境だったり、病気、事故と普通には不幸と考えられるものだったりする。それを磨き砂にするか、挫折の原因にしてしまうかで、その後の人生の明暗を分ける。

ピアノの発表会でいただきました。いつまでも美しく咲いています。

ピアノの発表会でいただきました。いつまでも美しく咲いています。

理不尽だらけの世の中だけれど、「天網かいかい、疎にして漏らさず」という言葉がある。老子の言葉で、「悪いことをした者を、天は決して見逃さない」という意味だ。日本にも「お天道様は見ている」という言葉がある。意味はほとんど同じである。英語でもこんな言葉を見つけた。「Heaven’s vengeance is slow, but sure. (天罰はすぐにはこないが、必ず来るものだ)」 こうしてみると、悪事する者には天罰があるというのは、古今東西、普遍的な事実として受け止められていたのだろう。

しかし、私は悪いことばかりではなく善行も天は見逃さないだろうと思う。スピリチュアリズムは「天罰」というよりも、良いことも悪いこともしたことは全て自分にかえってくるという考え方をする。(カルマの法則)でも時代によって「良いこと」「悪いこと」の基準は違ってくる。部族間の闘争とか戦争中は人を沢山殺した人が英雄だったりするように。では人は何に善行の基準を見出せばよいか?(2に続く)

 

 

人生の点と線(2)

ここからは又、スピリチュアリズムの知識だが、最後の点=死の時点の霊格で、波長の法則であの世に平行移動する。私的表現では縦軸の同じ座標に平行移動する。そこでは、同じ波長を持った者が集まっているので、あの世で住みやすいか住みにくいかは、それこそあなた次第、ということになる。

遂に掲載する写真が尽きた。母の大きな目が好きで四角い輪郭は嫌いだったが、目は似なくて、輪郭だけ似てしまった。

遂に掲載する写真が尽きた。母の大きな目が好きで四角い輪郭は嫌いだったが、目は似なくて、輪郭だけ似てしまった。

それでは散々悪いことをしておいて、最後だけ悟りを開いて霊格を上げればいいかというと、どうも、そうは問屋がおろさないわけで(古い表現だけれど、他に言い換えできない)あの世でじっくりしなければいけないことは、この世で生きた自分の軌跡をしっかり検証することらしい。つまり、それを行なった動機と共に自分で描いた線を見つめ、反省しなければいけないようだ。その時には「しまった。せっかく霊格を高めるために生まれたのに、やってしまった。勿体無い事をした」という忸怩たる思いもするという。

そういうことがない様に、今からでもできたら一直線に、縦軸の上を目指したい。もう人生の2/3は過ぎてしまったので、少々あせる思いがあるが、なんだか闇が段々濃くなってきた世の中。この中でしっかりと、ともし火となり、霊格向上を願う人達と周りを照らしながら上を目指そうと考えている。

追記:人生の点と線(1)(2)は、あくまで自分が今まで学んできたものを基に「私はこう考    える」ということを書いたもので、絶対的なものではありません。もし、間違ってい     た、という所がわかれば、今後訂正いたします。あしからずご了承ください。

人生の点と線(1)

何度か書いたと思うけれど、スピリチュアル・ヒーリングなるものがあって、(一番初めに行なったのはイエス・キリスト)これと比べると中途半端に遠隔診断・ヒーリングをしている私にとっては目標の一つになる。遠隔を気功の一部と思ってやっていたが、ある方に言わせると私の遠隔は気功でもスピリチュアル・ヒーリングでもなく、念力の一種だろう、ということだった。スピリチュアル・ヒーリングを行なうには、どうも天上の方に、私を「使える」と思われることが必要で、それにはまず、スピリチュアルな世界を知ることが必要と思い勉強している。

と前書きが長くなったが、勉強している中で、「宿命」と「運命」という言葉に出会った。「宿命」は自分で変えられないもの、生まれてきた国、地域、家庭、性別で、「運命」は自分で築いていくもの、それは始めから決められているわけではなく、努力次第で違った道が開ける、とここまでは良くわかった。でももう少し学ぶと、どうやら生まれてくる前に大きな病気や事件、死ぬ時や死に方も決めてくるらしい。なんだ、ではどうあがいても、やっぱり人生の大事なことはほとんど決まってるんじゃん、と思った。思ったがスピリチュアリズム自体は深いので魅力があり、勉強し続けた。

 

京都の現代的作庭。石の配置に美を見出す民族もあまりいないのではないのだろうか?

京都の現代的作庭。石の配置に美を見出す民族もあまりいないのではないのだろうか?

すると最近、次のようなことが閃いた。生まれてくる前に自分が守護霊や、高級霊と話し合って(口があるわけではないので、正確には通信し合って)生き死にと大きな事を決めてくる。何の為?これはひたすら、自分の人格=霊格を磨くためらしい。この世で自分の弱さや欠点をみつめ、改善、克服するため。ここまでは、スピリチュアリズムから得た知識である。ここからは私の考えだが、では「運命」はどこでどうやって働くのだろう。思うに、生まれた所を点として、これは自分の努力では如何ともし難いので固定した点と考える。後の点(大きな病気、事件)は移動可能と考える。その間をつなぐ線が運命だ。縦軸は霊格向上の指標、横軸は時間の経過。自我が芽生えた頃から自分と周囲の葛藤が始まり、でも幼いなりに我慢したり努力して霊格が上がっている。決めた点はどこでくるかわからないが、やってくる。その後、自分が意図した通り、そのことによって何かに目覚めて霊格を上げるか、反対に負けて下げてしまうのかは本人次第。点と点を繋ぐのは直線とは限らない。ほとんどは曲線だろう。最後の点は終着駅=死であるが、この点が縦軸の上にくるか、下にくるかは、その人次第ということになる。生まれた時より最後の点が下になってしまう人もいるだろう。