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いつまでも大事にしたい和の心、和の礼儀

いつまでも大事にしたい和の心、和の礼儀

(このブログを理解するには、7/21,22,23のブログを先にお読みください)

日曜日、少し諦めかけて放送を聞いていたら、突電のコーナーで彼と私のやり取りが放送されました。始めのドタバタは綺麗にカットされ、(カットをお願いしたのですが約束はきっちり守って下さいました)見事にまとまっていました。凄い技術です。自分の声が思ったより良い声だったので、どなたかが代わりにもう一度話してくれたのかしら、と思った程でした。

家族が聞いて、「何か(相手の方を)崇拝している感じ。最敬礼してる雰囲気」と言ってましたが、私としてはこれからヒーリングの方でハリー・エドワーズに橋渡ししてもらわなければいけないし、(これは希望)あろうことか最初にイタズラ電話、変態と間違えた負い目があるのでこういう反応になった訳です。

このラジオパーソナリティの方は気さくでお茶目で、呼び掛けも~さんで平気なんだけれど、上記の理由で~先生になってしまいました。凄く嬉しくて感謝しているのだけれど、心の準備が出来てなかった分自分のペースで対応できなかった、という3%程の悔しさはあります。ラジオ名を変え、しばらくしてから再challenge するつもりです。楽しみです。

ある天啓

7月25日に中野区新井薬師の御前様のお葬儀が行われた。亡くなった頃から(6月23日)生前のご苦労のお話がたくさん聞こえてきた。私はただ「ああ、御前様でもさばききれないことが、おありだったんだ。」としか思っていなかった。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

御前様、夕方の富士山です。綺麗でした。

お葬儀の日、中野ブロードウェイを歩いていて天啓のようにあることがひらめいた。御前様は常に人からの相談ばかり受けていて、ご自分の問題など話されたことはなかった。でも御前様も人の子なので、誰かに相談したい事もそういう時もあったに違いない。私も含めて御前様を「頼る人、相談する人」に決めてしまっていた。

中学2年の時から40年以上親しくさせて頂いた。若い時や子育てで忙しい時はともかく、少し落ち着いてから今度は私が何らかの力になることはできなかったのか。お藥師堂に着く間、後悔とも悲しみともつかない感情に襲われた。

藥師堂に着いてから、ああ、御前様はこのことを理解して欲しいと思われていたのではないか、と気がついた。御葬儀に間に合った。お焼香の時に思いを込めて、今までの御前様の無私の奉仕に感謝し、自分が頼り切ったことに御礼を述べ何もできなかったことに謝罪もした。いいお別れをさせて頂いた。        合掌

二日前と同題(その3)

もう、先週のこと、午前中に事業主向けの営業の人から電話が何回かかかってきて、少しいらいらしていた。(電話帳にKIRAKUを載せてから、よくかかってくる。)夕方も外出の用意をしていると携帯がなった。見ると「非通知」。アメリカの姉からのこともあるのでとにかく出た。「日本のブリーフさんですか?」と言われ、咄嗟に下着の会社にかけ間違えたのだろう、と思い、「いいえ、違います。」ときっぱりと言った。「え?日本のブリーフさんじゃないんですか?」と又言うので、変態かも!!!と思い、きつい調子で「違います!」と言い電話を切った。又すぐかかってきたので、取らないで切った。

夏の風物詩

夏の風物詩

一分程して、又かかってきた。ところが今度は「非通知」の画面が何だか意味ありげに見えた。よし、対決してやろう、と思って「はい、もしもし」と、取ると「日本のブリーフさんじゃないですか?こちら○○という番組の○○ですが」と言われ、始めて、ラジオネームを「日本のブリーズ(breeze・そよ風)」で投稿していたことを思い出した。「わっ、すみません。日本のブリーフに聞こえたものですから。」と慌てて言い訳をすると、「いたずら電話だと思ったのですね。」「あっ、はい、そうです。」そこで、スタジオの大爆笑が聞こえた。「自分でも間違いやすい名前をつけたのはあなたですよね。」と言われ、「あー、はい、そうです。」と言うと、又大爆笑。その後の会話は(その1)と(その2)に書いた。

前に投稿して、何となく先々週と先週はかかってきそうな気がして気をつけていたのだが、その日は出かける直前で全く意識に無かった。しかも先月から体格のいい三男に「パンツ買っておいて。」を言われ、気になっていたので、ブリーフと聞こえた途端、デカパンをイメージしてしまった。大失敗の後の会話、放送されるのかしら。とりあえずっこの前の放送ではなかった。

でも私にとって大事なことは、お話して頂いたこと、と仕事に対するアドヴァイスを頂き、励まされたこと。これ以上望むのは「控」だろう。余分な時間も含めて、大切な時間を私のために割いて下さったことに感謝して、御礼を申し上げたい。              ,

 なお、ラジオネームは「日本のブリーズ」から「着物美人、かも」に改めることにした。

昨日と同題・その2

「これから仕事をしていく上で多分色々なことがあるでしょうから、気持ちの切り替えが上手でなければならない、と思っていました。advice有難うございました。」と言ったら、「評判とか噂は関係ない。全ては自分の心の中のこと。自分で、誠実に仕事をしている、自分が納得できる仕事ができている、と思えればそれでよろしい。成果を追い求めることをしなければ、あなたは輝きますよ。」とおっしゃってくださった。(書いたわけではないので全くそのままという訳ではない)

浄化されて気分は白い花

浄化されて気分は白い花

勿論、気功の仕事をしていることなど言っていないのに、まるで見透かした様なお答え。いつかface to faceで質問した時も「成果主義に陥らないように」と言われたことがあったので、矛盾なく一致した。感激して「今頂いたお言葉を胸に頑張ります。」と締めくくった。気功は宗教と無関係なことを前提としているが、今日ばかりは大いなるものと話をさせていただいた気分だった。と綺麗に終わればいいのだがそうは問屋がおろさなくて、やってしまった話は又明日。               (to be continued)

 

天にも昇る心地とやってしまった話・その1

二日前のこと。「天にも昇る心地」になるような嬉しいことがあった。若いのに偉いなー、気功の次の段階の師になるかもしれない、と崇敬している方がいる。その方の講座にもできるだけ参加している。ラジオpersonalityもしているので、時々質問を投稿していた。そうしたら、な、なんと本人からお電話を頂いたのです。

青い花は夏に涼しい

青い花は夏に涼しい

私の質問は、「何かあった時それを引きずって、次のことに支障があることがあります。切り替えがお上手なようですが、どの様に思考しているんでしょうか。」というようなものだった。答えは「物事の真(一番大事なこと)、添(次に考えるべきこと)、控(考えてもしょうがないこと)を常に意識して瞬時に真を優先し、それに集中すること」というお返事だった。「わかりました。それが込めるということなんですね。」と申し上げたら、「ああ、そうです。」という会話をして頂いた。仕事についても励まして頂いた話は又明日。(To be continued)

 

二つの意思疎通

最寄りの駅前の着物屋さんに立ち寄った時、子供の浴衣があまりに可愛くて、従姉妹の子供にと、ほとんど衝動買いしてしまった。で、買った後、同年代の親戚の子がいるので、既に持っている可能性がある、とか一人っ子なので祖母に買ってもらったかな、無駄だったかもと少し悩んでしまった。帰って電話すると、「欲しくて捜していたけれど、いいのが見つからなかったので買わなかった。凄く嬉しい」という返事。ほっとしたと同時に良く考えたら、「子供の浴衣が欲しい。」と発した念を私が受けてしまったのかも、と思った。買った浴衣は親子で、とても喜んでくれて、happy the endでした。

今日は哀悼のカンナ

今日は哀悼のカンナ

今日、大きめなスーツを息子さんに着て頂けないか、と友達に電話した。忙しくて5月の息子さんの演奏会以来会ってなかった。なんか様子がおかしい。「あのね、今日うちの主人の49日なの。言うの遅くなってごめんなさいね。内々でお葬式したから。」と彼女は突然言った。驚いた。息子さんの演奏会には必ずヴィデオを撮っていたやさしそうなご主人だった。まだ63才。夕方だったけれど、49日に電話したのも偶然ではない、とすぐ飛んでいった。「私のこと思っていてくれるから、こういう日にちゃんと来てくれるんだ。」と彼女は言ったけれど、私は奥様を心配したご主人が私に電話をかけさせた様な気がしてならない。ご苦労の多い人生だったと伺っている。どうぞ安らかにお眠り下さい。    合掌

色々なご縁

子育てに忙しい時は、転勤族だったので親しくなってもすぐ動くことになり、仕事も落ち着いてできず、人間関係に広がりがなかった。子育てが終わるとしばらくは少数のママ友とお付き合いしていた。

従姉妹が送ってくれたお花

従姉妹が送ってくれたお花

3月11日の震災以来、今出来ることは何でもしよう、と思った途端世界が広がり始め、それと共に色々な方とお知り合いになることができた。ママ友は昔からの友達で皆得難いし、自分の好きな世界に飛び込んで得た友達は年齢も幅があり面白い。仕事を始めて更にネットワークが広がった。これからは、知り合った方同志のご縁をうまく繋げて助け合っていきたい。

 

御前様の昇天

中野新井薬師の午前様が23日(日)にお亡くなりになった。中学校二年生からご縁があり、毎週のように新井薬師の不動堂に顔を出していた時期もあった。いつもにこやかなお顔で「あっちゃん、あっちゃん」と可愛がってくださった。スキーがとてもお上手で、谷川岳のスキー場で教えて頂いたこともあった。

85才でお年に不足はないけれど、いつまでもいて下さると何となく思っていたので、母のことでなかなか会うこともままならず、あまりお話ができなかったことが、もう取り返しがつかないこととそれが悲しい。母を二回も見舞いに来て下さったことを考えると、人の命は本当にわからないと思う。午前中まで元気でいられて、午後静かに生を閉じられた。大往生だった。お世話になりました。有難うございました。向こうで又お会いしたいと存じます。          合掌

ある方のこと

自分で言うのも変だけど、時々人と感性が違うのかなと思うことがある。あるパーティーでホストの方が私の近くに来て下さった。一言私と話をしてからホストは皆さんとのお話を始めた。私の横に座られたので、ばっちり横顔を拝むことができて、(すごい、福耳)とか(う~ん、太ると頬の筋肉が大きくなって首が見えにくくなるんだ、でも総合的に可愛い)とまじまじと観察させて頂いた。(失礼!)

後日、一緒のテーブルに座っていた方に懇願された。「ホストの方がテーブルにいらしてすぐ、私がどんな相談をその方にしたのか、それにどうホストは答えられたのか」、どうしても教えて欲しいと言う。私は始め何も思い出せなかったが、しばらくしてやっと思い出した。中腰でホストが他のテーブル席のお客さんと話していたのを見ていたので、「お腰大丈夫ですか?」と聞き、「あっ、全く心配要りません。」と答えて頂いたのだった。ただそれだけ。privateなことを相談する時間などある訳ない。いつでも「隣の花は青い」のだ。

まだツツジが満開の所もあるようです

まだツツジが満開の所もあるようです

ホストの方は迫力があり時に強持てだけれど、とても性格的に可愛い所がある。先日発見したのだが、容姿も後ろ姿が特に可愛い。何となくいつも身近に感じているからなのだろうか、側にいらしてもあまり緊張しない。でもせっかく話しに来て下さったのに、その内容も覚えてない程、横顔を拝見するのに一生懸命だったのは熱烈なファンの方達に対しても悪かった、と反省している。

吉祥寺でデート

もう先週のことになるが、次男のお友達が結婚したのを祝ってママ友達と吉祥寺で会った。mothersでランチをとり、その後久し振りに井の頭公園に行った。前回の時は、次男が予定日を10日過ぎても生まれず、困って自動車で公園まで乱暴に運転してもらい、公園内を一生懸命歩いた覚えがある。今回も次男つながりなのが面白い。

芦ノ湖遊覧船

芦ノ湖遊覧船

貫禄ある花子にあったり、ネズミの親分のような動物を見たり、Sさんが北村西望の「笑う少女」という彫刻を見ようというので、探して彫刻館で見つけたりしてとても楽しかった。私はこの人を知らなかったのだが、長崎の平和祈念像の作者で、力強く躍動的な作品をここでいくつも目にすることができた。平和記念像の実物大のレプリカもあり、その予想外の大きさに驚いた。マダム達にも十分楽しめる公園なのでした。