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ショックなこと

今日、とんでもないニュースを知った。「フランスでトラック突入80人死亡」 何故フランスを狙うのだろう。子供も多数いたようで、そして犯人はたいてい射殺され、「テロ」の一言で不条理な殺人は片づけられてしまう。いつしか深く考えなければいけない問題も、次から次へと起きる殺戮と自然災害で上塗りされ、忘れられてしまう。テロ、虐待、自殺の共通する部分を一度徹底的に検証する必要があるのではないか?経済格差、満足と不満足、幸せと不幸せ、自己と他人、アイテムはいくらでもありそうだ。混沌としてきた世の中で自分の立ち位置をどう決めるか?どの様に自分を貫くか?これからこの様なことをしっかり考えていかないと、すぐ足元をすくわれそうな気がする。フランスの犠牲になった方達の死が無駄になりませんように。        合掌

ここから書くことはとても個人的で、他人様にはどうでもいいことなので先にお断りしておく。深刻なことを書いた後でずっこける様なことだけれど、どちらも私が感じたことだからしょうがない。京都の伏見稲荷に行った、と前のブログで書いた。そこの入り口付近で占い師の方がいた。いるな~と思いながら前を通っただけなのに目が合ってしまい、一緒に行った友達が思いがけず「いいわよ。どうぞ、どうぞ」と言うので気の弱い私はつい手相を見てもらうはめになった。今覚えているのは、「人のために仕事をしている」「今年は仕事運はいいだろう」そして一番気になったのは「珍しい!女性にしては色々な線がすごくはっきりしている。感情線以外は全て男だね。」と言われたことである。感情線が情が深いことを表していて、人間関係でも冷たく割り切ることができないそうだ。でも感情だけ女性で他は男らしいってどんな人生になるのだろう?と、とても不思議に思った。

窓ガラスの向こうの風景

窓ガラスの向こうの風景

さて、最近「色えんぴつセラピー」という本を手にいれ、色から何がわかるんだろうと好奇心の赴くままに付属のシートの九つ書いてある丸に色を塗った。その総合判定的な色の組み合わせの解説を見てびっくり。「こういう色を選ぶ人は男性に多い。この場所に男性は赤か黄色を塗る。」が~ん。ぴったり当てはまる。始めの所で色の塗り方から私は「束縛を嫌い、自由になんでもしたい。」と出て、その後も何か色々と当てはまって、これは信憑性が高いと感じた最後のところだったので、「はっ、私は感情面でも男になってしまったのか」とショックを覚えた。母親が姉の次に男の子を強烈に望んだせいか?(ちゃんと私を可愛がって育ててくれた)子供が男の子ばかりだったせいか?(そういえば家族の中で一番男らしい、と言われたことがある)それとも仕事を始めて社会に触れる機会が多くなったせいか?なんとなくあせる気持ちで最近少し手を抜いているお料理をしっかり作ったり、着物を着る機会をもう少し増やそう、などと考えたりした。果たして効果があるかな?

なんでだろう?

母の施設に飾られたお雛様 (お顔がばれない様に少しぼやかしました???)

母の施設に飾られたお雛様
(お顔がばれない様に少しぼやかしました???)

色々と「なんでだろう?」と思うことがあるが、政策痛烈批判のブログが最近話題になっているようなので、そこの部分は避けて書こうと思う。まず、テロを繰り返しているISはどこから武器を手に入れているのだろうか?世界の主要な国を敵にまわして、公にはどこも支持、支援するところはないように思うのだが、それでも勢力を保っているのが不思議でしょうがない。支配した地域が余程潤沢な所だったのだろうか?多分私には知りえない複雑な事情が混在しているのだろう。紛争地域のニュースを見るたびに「殺しあわなくても、いずれ死ぬものを」という言葉が思いうかぶ。「十分生きた。」と満足して最後を迎えたい。

最近気になることは、何故日本には女性にしか使われない言葉があるのだろう、ということだ。「若妻」「新妻」「未亡人」「古女房」ざっと思いつくだけでもこれだけある。男性に関してはわずかに「男やもめ」という言葉があるが、これも「やもめ」という女性をさす元になる言葉の対としての言葉だろう。まぁ、「ぬれ落ち葉」という悲しい名前がつかないだけ、女性は良しとするべきなのかもしれない。

話はどんどん落ちるが、この前みつけた面白い言葉遊び。(結構こういうの好き)「なすがまま」の後に続く言葉は?答えは「きゅうりがパパ」です。(笑)

「ひね」おばさんのつぶやき

世の中の言葉の中には、若い時なんともなく受け入れていたけれど、今になるとちゃんちゃらおかしいや、という言葉がある。(ちゃんちゃら、という言葉今でも使うかな?)その最たるものが若い男性が女性にささやく「君を一生幸せにする。」「守ってあげたい。」の部類の言葉。外国でもこれに類似する言葉あるのかしら。I want to make you happy.(君を幸せにしたい)くらいはあるだろう。

大体これらの言葉は結婚をほのめかすものとして使われるが、本当に人は他人を「幸せに」することを保証できるのか、また「守る」という言葉はそもそも上から目線で、さる集団のボスザルと雌ザルの関係ではあるまいし。。。と思ってしまうのである。

山から降りてきた日本狐に襲われた谷保神社の鶏達。でも何匹か生き残った。また増えてほしい。

山から降りてきた日本狐に襲われた谷保神社の鶏達。でも何匹か生き残った。また増えてほしい。

もっとも、こんな言葉を真剣に受け止めている女性はほとんどいないと思う。「好きだ」という拡張子くらいにしか捉えていないだろう。従って私が別にめくじらを立てる必要もない訳だけれど、たとえ結婚しても人から幸せを保証してもらうことは不可能だし、守らなければいけないのはまずわが子であり、生活そのものであるので、始めから甘い幻想は持たされない方がいいわよ、とひねおばさんは(ひねの意味は”ひねくれている”のひねではなく”ひねしょうが”のように使われる「古い」の意味です。念のため)つぶやくのである。