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まとめてブログ (1)日本の子供達

こんなに物があふれている日本で、食べるに事欠く子がいるなんて。。。私の子育ての経験から、しっかり食べさせれば大抵の事は乗り越えてくれる。働ける年になったら食は自分の責任だと思う。働けない年で、魚や山の幸をとれる環境ではない子達には、大人が気をつけてやらねば。

「食」ほど提供する側の心、技術が一方的なものはないと思う。食べる方は聞かれたら「今日はこれが食べたい」と言うことができるが、後はお任せ。出されたものはそのまま食べるしかない。子供を思って作った食事とそうでない食事に入っているパワーが同じはずがない。良い思いのこもった食事をたべさせてあげたい。

食べることが困難な子供が楽しく安心して食べることができる場所が、少しずつできているようだけれど、私も余裕があれば沢山そのような施設を作り、ついでに自然の中でたっぷり遊ばせたい。今までも何度か書いたけれど、未来を背負うのは子供であり、信頼できる身近な大人がいて、のびのびと安心して育つことが日本の将来を作る、と信じているから。

周りも大分うちができた

周りも大分うちができた

いるから。

今一番大事なこと

大分、ブログをつけるのが空いてしまったので、今日は少しまとめてつけようと思う。最近心配なのは、20代の男性の犯罪が目立つこと。生きる方向性を失った若者が多いような気がする。世間の価値観がお金と権力に一元化され、「他人に認められるかどうか」で自分の価値が決まってしまうのでは、そして皆が同じように考えているのであれば、少しでも不利な条件の環境では「浮かぶ瀬のない」人が多くなるのは当たり前だろう。

一瞬として同じではない空の芸術

一瞬として同じではない空の芸術

どう考えても教育のあり方を見直した方がいい。基本は、「どんな環境でも自分を誇れる」人間を育て、同時に「他人も自分と同じ様に尊重する」感性や考え方を身につけることだと思う。知識の詰め込みがどれ程役にたつのだろう。例えば日本史を大学の受験科目に選んだ人のどれ程が正確に、明治維新や日露戦争が始まった年号を正確に言えるだろうか?あっという間に忘れてしまう知識にしのぎを削って、人間として大事な視点が教育の実践で忘れられているように思われて仕方ない。

かく言う私も今だから言える。「流れ」の中にいる時は「泳ぎきる」ことしか考えることができなかった。或る人から私の中の「成果主義」を指摘されたが、それは受けてきた教育の賜物(?)だと感じる。日本を本当に大事にしたいのなら何より「自分という人間」「他人という人間」をしっかり尊重できる教育がまず必要だと心底思う。